乃木将軍 |
山川草木うたた荒涼
十里風なまぐさし新戦場
征馬前まず人語らず
金州城外斜陽に立つ
乃木希典将軍といえば日露戦争で旅順を攻略して日本の勝利に貢献し、明治天皇に殉じた軍人である。乃木将軍が詩歌にも優れた才能があったことははじめて知った。
1行めの「うたた」とはどういう意味だろうと辞書を調べたら、「物事が一段と進むさま」とあり、例文として「山川草木うたた荒涼」の文が載っていた。これにはびっくりした。乃木将軍の歌は辞書の例文に載るほど有名なものだったようだ。
司馬遼太郎は、「乃木ほどその性格が軍人らしい男はなく、同時に乃木ほど軍人の才能の乏しい男もめずらしい。」と「殉死」で述べている。「坂の上の雲」でも、乃木将軍を愚将として描いている。
人物評価をするのは、作家の自由であるが、問題なのは、史実ではない創作を行ってそれを事実のように述べているところである。司馬遼太郎は、余りの苦戦ぶりに、児玉総参謀長が一時的に指揮権を乃木将軍から預かり、戦闘目標を203高地に変えて28センチ榴弾砲を移動しで敵を粉砕して旅順を平定した、として戦略を変更したのは児玉だと解説している。
ところが産経新聞の解説記事では次のような記述がある。
「この争奪戦には満州軍総参謀長の児玉源太郎が作戦に深く関与し、決定的な役割を果たしたとする説が根強いが、公刊戦史や一次史料を読み解く限り、その事実はない。確かに児玉は12月1日に第3軍司令部を督励視察し、乃木から指揮権を委ねられた。しかしすでに戦闘は後半戦に突入しており、作戦への関与は限定的だっただろう。主要攻撃目標を203高地に転換したのも、28センチ榴弾砲を投入したのも第3軍司令官、乃木希典の決断である。」
産経新聞の説に従えば、乃木将軍は決して愚将ではない。司馬遼太郎が何故、乃木将軍を愚将として扱うのかよく分からない。いたずらに突貫攻撃で兵士の命を落とす無能の指揮官ということなのだろうか。それであれば10年後の第一次世界大戦の塹壕戦で、ヨーロッパ国々は同じような戦いをしているのをどう説明すればよいのだろうか。
司馬遼太郎は、日露戦争の後の乃木将軍に対する国民のあまりに熱狂的な評判に、危機感を感じていたのかもしれない。次の太平洋戦争では軍事技術の無い将軍が要職について米国に惨敗し続けたのだから。