2011年 07月 24日
アナログテレビ放送 |
7月24日(日)正午に、アナログテレビ放送が終了した。時報とともに終了表示の画面に変わり、12時間後には電波が停止する。テレビの研究開発に長年たずさわってきた者としては、ひとつの時代の終焉に立ち合ったような気がして感慨深かった。
アナログカラーTVは、1960年に本放送が始まってから51年の歴史を持つ。私が技術者として最も感銘を受けるのは、この科学技術の発展著しい時代において、半世紀に渡って、その基本システムが、全く変わらずに人々に受け入れられてきたことである。
アナログカラーTVは、いわば20世紀前半の電子工学の粋を集めたものといえる。当時としては非常に技術ハードルの高いものであったが、技術者達は、信念を持って様々な研究成果をもとに高度なシステムを作り上げた。それが、半世紀にも渡って有用であり続けたということは驚くべきことである。
当時の設計思想というものが、いかに先進的で優れたものであったかという証拠とも言えるだろう。
大学において、テレビのことを教える機会はあまり無いが、テレビで使われた基礎技術の片鱗というものは、電磁気学、電子回路、情報伝送などの基礎科目の中に今でも残されている。また、テレビがコンピュータと並んで、集積回路の発展に大変大きな寄与をしてきたという事実も、忘れてはならないことだと思う。
テレビの技術開発に関しては、2人の日本人が極めて大きな貢献をしている。ひとりは高柳健次郎氏で、1926年、世界で初めてブラウン管によるテレビ映像の伝送に成功し、「テレビの父」として歴史のその名を残した。そのときの映像が「イ」の文字であったことは有名である。
もう一人は、八木秀次氏である。テレビ受信に広く使われている八木アンテナの発明者であり、1925年にその構造を考案している。その後、日本では使われず、第二次世界大戦の際、英国軍からの戦利品の中にレーダー用の八木アンテナが発見され、日本で再評価(発見)されたという逸話も有名である。
LPレコードがCDに取って代わられ、フィルム写真がデジカメに取って代わられる。これは時代の流れであり、アナログTVもデジタルTVに、取って代わられるのは時間の問題であった。ただ、その終焉の時期が、2011年7月24日と決められていたということが、時代の移り変わりを改めて実感させてくれることともなった。革新的技術というものは、誕生の日は明確に記録されるが、終焉の日というものは明らかにされたり話題になることは少ない。死亡の時刻まで決められていたアナログTVというものは、ユニークであり、ある意味では幸せ者であったと言えるかもしれない。
インターネットの普及により、若い世代のテレビ離れが話題となって久しい。また、番組内容の愚劣さを指摘する識者も多い。ただ、TwitterとFacebookが若い世代を動かしたと言われるエジプト革命も、それが各国に伝わり、中東革命に広がったのはテレビの影響が大きかったと言われている。また、東北震災で、一番情報手段としてほしかったのはテレビであったとの調査結果も出ている。
慎重に選択され手をかけて編集された映像情報を、リアルタイムに送る情報伝達手段としてのテレビは、アナログ/デジタルを問わず、これからも衰えることは決してないであろう。
<追記>
余談であるが、アナログTVで出来たことがデジタルTVでは出来なくなったことが2つある。(あまり重要なことではないかもしれないが、ご参考までに)
1. FM音声がなくなったので、FMラジオでTVの音声を聞くことができなくなった。
2. 画面表示に時間遅れが出るので、秒単位の表示ができず、時計の画面がなくなった。
アナログカラーTVは、1960年に本放送が始まってから51年の歴史を持つ。私が技術者として最も感銘を受けるのは、この科学技術の発展著しい時代において、半世紀に渡って、その基本システムが、全く変わらずに人々に受け入れられてきたことである。
アナログカラーTVは、いわば20世紀前半の電子工学の粋を集めたものといえる。当時としては非常に技術ハードルの高いものであったが、技術者達は、信念を持って様々な研究成果をもとに高度なシステムを作り上げた。それが、半世紀にも渡って有用であり続けたということは驚くべきことである。
当時の設計思想というものが、いかに先進的で優れたものであったかという証拠とも言えるだろう。
大学において、テレビのことを教える機会はあまり無いが、テレビで使われた基礎技術の片鱗というものは、電磁気学、電子回路、情報伝送などの基礎科目の中に今でも残されている。また、テレビがコンピュータと並んで、集積回路の発展に大変大きな寄与をしてきたという事実も、忘れてはならないことだと思う。
テレビの技術開発に関しては、2人の日本人が極めて大きな貢献をしている。ひとりは高柳健次郎氏で、1926年、世界で初めてブラウン管によるテレビ映像の伝送に成功し、「テレビの父」として歴史のその名を残した。そのときの映像が「イ」の文字であったことは有名である。
もう一人は、八木秀次氏である。テレビ受信に広く使われている八木アンテナの発明者であり、1925年にその構造を考案している。その後、日本では使われず、第二次世界大戦の際、英国軍からの戦利品の中にレーダー用の八木アンテナが発見され、日本で再評価(発見)されたという逸話も有名である。
LPレコードがCDに取って代わられ、フィルム写真がデジカメに取って代わられる。これは時代の流れであり、アナログTVもデジタルTVに、取って代わられるのは時間の問題であった。ただ、その終焉の時期が、2011年7月24日と決められていたということが、時代の移り変わりを改めて実感させてくれることともなった。革新的技術というものは、誕生の日は明確に記録されるが、終焉の日というものは明らかにされたり話題になることは少ない。死亡の時刻まで決められていたアナログTVというものは、ユニークであり、ある意味では幸せ者であったと言えるかもしれない。
インターネットの普及により、若い世代のテレビ離れが話題となって久しい。また、番組内容の愚劣さを指摘する識者も多い。ただ、TwitterとFacebookが若い世代を動かしたと言われるエジプト革命も、それが各国に伝わり、中東革命に広がったのはテレビの影響が大きかったと言われている。また、東北震災で、一番情報手段としてほしかったのはテレビであったとの調査結果も出ている。
慎重に選択され手をかけて編集された映像情報を、リアルタイムに送る情報伝達手段としてのテレビは、アナログ/デジタルを問わず、これからも衰えることは決してないであろう。
<追記>
余談であるが、アナログTVで出来たことがデジタルTVでは出来なくなったことが2つある。(あまり重要なことではないかもしれないが、ご参考までに)
1. FM音声がなくなったので、FMラジオでTVの音声を聞くことができなくなった。
2. 画面表示に時間遅れが出るので、秒単位の表示ができず、時計の画面がなくなった。
by sakuraimac
| 2011-07-24 17:56
| 科学技術
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