2012年 08月 04日
スーパーハイビジョン |
渋谷のNHK放送センターで展示されている、スーパーハイビジョン(SHV)によるロンドンオリンピックの映像を見学してきた。
映画館に来ているような感じだったが、スクリーンに映し出された映像は、非常に高精細で奥行き感があり、また映画のようなちらつきも一切無く素晴らしいものであった。
オリンピックというのは、いつの時代でも、テレビジョンというものの進化の節目となってきた。
1984年のロスアンゼルスオリンピック大会のとき、NHKは初めてハイビジョンの映像を撮影し公開した。それを見たときの感動は今でも忘れられない。こんなに美しい画面がテレビで見られるのかと、本当に感激した思い出がある。
以来、私自身、技術者として20年近くハイビジョンテレビの開発にかかわってきたが、基礎技術ができても、それが広く一般に普及するのには20年はかかるのだなという、別の感慨もよみがえる。
1984年当時は、このようなものが、一般家庭に入るとは、我々技術者には予想もつかなかった。ディスプレイと伝送技術において、あまりに技術のハードルが高すぎたからである。しかし、その高いハードルは年月というものが見事に解決した。
ただ、解決したとたんに、美しいデジタル平面ハイビジョンテレビへの多大なる期待から、世界中の電子機器メーカーは競って過剰な投資をした。その結果は、製品価格の大暴落となって現れた。今や、トップシェアを行く韓国のサムスンやLGでさえ利益は上がらず、テレビは日本の家電メーカーの大苦境の最大の戦犯のごとくに扱われる事態にさえなってしまっている。
素晴らしい技術の詰まった32インチのハイビジョンテレビが、照明器具より安い値段でたたき売りされている現状を見ると、供給側の期待感の大きさが裏目に出る市場原理の冷徹さを感ずるとともに、開発にたずさわってきた者として、無念の思いを禁じざるを得ない。
ところで、話を戻して、この2012年のスーパーハイビジョンの映像は、20年後にはどうなっているのだろうかと想像してみたい。
これ以上の高精細さや大きな画面のテレビなど、もう家庭にはいらないだろうという意見も根強い。確かにニュースやバライエティ番組を見ている限りはそうかもしれない。
しかしながら、ディスプレイと伝送技術は確実に進歩していく。大画面で軽く部屋の壁に貼り付けられるようなディスプレイが普及するのに、20年という時間は十二分すぎるものであろう。そのときに、映画館以上の臨場感のあるスーパーハイビジョンは人々にどのように評価されるだろうか?
その答えはおそらくしごく単純なものであり、私は高く評価されることは間違いないと考えている。
何故なら、1984年当時、ハイビジョンが家庭に入るまでの技術の壁はとてつもなく高かかった。それに比べると、スーパーハイビジョンの実現への壁の方が、はるかに低く感じられるからである。技術ハードルが低く、手軽に実現されるとしたならば、誰にとっても映像は高画質のほうがよいに決まっている。
今はテレビジョンという分野に、あまり世論(というか識者や投資家たち)は味方をしてくれないご時世ではあるが、スーパーハイビジョンの開発にかかわっている方々には、夢と希望と信念を持って、ぜひ研究開発に邁進していただきたいと思う。その努力は必ず報われるものと私は信じている。
映画館に来ているような感じだったが、スクリーンに映し出された映像は、非常に高精細で奥行き感があり、また映画のようなちらつきも一切無く素晴らしいものであった。
オリンピックというのは、いつの時代でも、テレビジョンというものの進化の節目となってきた。
1984年のロスアンゼルスオリンピック大会のとき、NHKは初めてハイビジョンの映像を撮影し公開した。それを見たときの感動は今でも忘れられない。こんなに美しい画面がテレビで見られるのかと、本当に感激した思い出がある。
以来、私自身、技術者として20年近くハイビジョンテレビの開発にかかわってきたが、基礎技術ができても、それが広く一般に普及するのには20年はかかるのだなという、別の感慨もよみがえる。
1984年当時は、このようなものが、一般家庭に入るとは、我々技術者には予想もつかなかった。ディスプレイと伝送技術において、あまりに技術のハードルが高すぎたからである。しかし、その高いハードルは年月というものが見事に解決した。
ただ、解決したとたんに、美しいデジタル平面ハイビジョンテレビへの多大なる期待から、世界中の電子機器メーカーは競って過剰な投資をした。その結果は、製品価格の大暴落となって現れた。今や、トップシェアを行く韓国のサムスンやLGでさえ利益は上がらず、テレビは日本の家電メーカーの大苦境の最大の戦犯のごとくに扱われる事態にさえなってしまっている。
素晴らしい技術の詰まった32インチのハイビジョンテレビが、照明器具より安い値段でたたき売りされている現状を見ると、供給側の期待感の大きさが裏目に出る市場原理の冷徹さを感ずるとともに、開発にたずさわってきた者として、無念の思いを禁じざるを得ない。
ところで、話を戻して、この2012年のスーパーハイビジョンの映像は、20年後にはどうなっているのだろうかと想像してみたい。
これ以上の高精細さや大きな画面のテレビなど、もう家庭にはいらないだろうという意見も根強い。確かにニュースやバライエティ番組を見ている限りはそうかもしれない。
しかしながら、ディスプレイと伝送技術は確実に進歩していく。大画面で軽く部屋の壁に貼り付けられるようなディスプレイが普及するのに、20年という時間は十二分すぎるものであろう。そのときに、映画館以上の臨場感のあるスーパーハイビジョンは人々にどのように評価されるだろうか?
その答えはおそらくしごく単純なものであり、私は高く評価されることは間違いないと考えている。
何故なら、1984年当時、ハイビジョンが家庭に入るまでの技術の壁はとてつもなく高かかった。それに比べると、スーパーハイビジョンの実現への壁の方が、はるかに低く感じられるからである。技術ハードルが低く、手軽に実現されるとしたならば、誰にとっても映像は高画質のほうがよいに決まっている。
今はテレビジョンという分野に、あまり世論(というか識者や投資家たち)は味方をしてくれないご時世ではあるが、スーパーハイビジョンの開発にかかわっている方々には、夢と希望と信念を持って、ぜひ研究開発に邁進していただきたいと思う。その努力は必ず報われるものと私は信じている。
by sakuraimac
| 2012-08-04 23:21
| 科学技術
|
Comments(1)
Commented
by
sakuraimac at 2012-08-10 20:50
最先端技術でも農産物でも市場原理は全く同じで、今のテレビは完全に「豊作貧乏」に陥ってしまっています。あの素晴らしい製品が何故こんな値段になってしまうのか!、というのは半導体と全く同じパターンです。
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