2012年 10月 06日
大学教授の仕事 |
大学に来てから、7年目になる。色々感ずるところもあるのだが、杉原厚吉先生の「大学教授という仕事」という本を読んだところ、仕事の内容や状況が自分の場合と非常によく似ているので驚いた。
いつか、教授の仕事について書いてみたいと思っていたのだが、この本にすべてが書かれてしまっているので、やめることとした。(大学教授の仕事にご興味のある方は、ぜひ同書を読んでみてください。)
詳細は、杉原先生の本にゆずるとして、その中で、特に同感した次の2点についてだけ、ちょっとだけ感想を述べてみたい。
1.ストレスの少ない職業である。
2.大変忙しい職業である。
ストレスが少ない理由は、大学教授というのは、職制上その上にもう誰もいないということに尽きる。プレッシャーをかけられたりおこられたりするということがほとんど無い。皆、頭を下げてはくれるが、クレームをつけられたり罵倒されたりすることはまずない。
そのせいか、家内に「最近、えらそうなことばかり言うようになったわね。年のせいで頭が固くなったんじゃない?それとも職業病?」と言われるようになってしまった。
ありがたい職業だと口にしたら、秘書さんと助教には、「それは、先生が途中から来て教授になったからですよ。事務の人の態度なんか全く違うのだから。」 と言われてしまった。なるほど、若いころから上がってくる人々の苦労を私は全く知らなかった訳だ。
今のところ、家内と秘書さんは、私の慢心を諫めてくれる数少ない貴重なアドバイザーとなっている。
上に人間がいないという理由の他には、毎年の多数の部下の人事決定に関する気苦労がないのと、仕事の納期の厳しさが無いというのが、会社時代に比べて、著しいストレスの軽減に役立っている。
一方、忙しいということに関しては、手抜きをしてサボろうと思えば、いくらでもサボることはできる。しかしながら、やる気を出して前向きに取り組んだり、内外からの依頼を快く受けていると、仕事は無尽蔵に発生する。サボり続けていると、自分の地盤がどんどん沈下して存在感が無くなってしまうので、やはり、どうしても必然的に頑張ろうとする。
会社時代のように、目標とか期限が無いので、自己管理をきちんとしないと、サラリーマンとは別の意味での仕事漬けになってしまう。メリハリが無いので、深夜遅くまで、また土日でも休暇中でもだらだらと仕事を続けることとなってしまう
会社時代は、目前に積み上がる仕事に順位付けをして、自分の処理能力に合わせて、重要度の低い仕事を切り捨てることを、最初に決めたものである。 ところが、大学教授になると、その辺の時間管理・自己管理がいいかげんになって、内外を問わず頼まれると何でも引き受けてしまうので、いつも忙しいということになってしまう。
大学の教師は、夏休みや春休みが長くて、暇で楽な商売だろうと世間では思われているに違いない。 ところが内情は全く違う。休みの期間のほうが、学会参加、論文作成、査読、大学院生の研究指導とかえって忙しいのが現実である。
それにプラスされる対外活動の1例をあげると、今週は、幕張にて、CEATEC(IT・エレクトロニクス総合展)と同時共催される、国際学会 GCCE の幹事の仕事を行ってきた。国際学会においては、学生6名に英語での論文発表をさせたので、その英語指導にこの夏休みは大変であった。
もうひとつの大変だった仕事は、CEATEC 会場にて、GCCE主催のシンポジウムを企画したことである。会社時代はテレビの研究開発をしてきたので、昨今の、マスコミでのテレビ産業の扱われ方のあまりのひどさに義憤を感じていた。
GCCE を主催された龍谷大学の長谷智弘先生が、CEATEC と共同して大ホール会場を確保するとともに、安田浩先生などの有名な先生方の約束を取り付けておいてくれていたので、テレビ産業にかかわる方々を元気付けるための 「テレビの未来」 というシンポジウムを行うことを思いついた。
スマートTV と超高精細TV の2部構成として、パネリストを、総勢15名集めた。これには半年かかった。会社時代の知合いをたずね、各種講習会に参加して、話の上手そうな人と名刺交換をして知合いになったりと、ずいぶんと走り回った。(最近始めたFacebook も結構役に立った。)
努力した結果は、かなりの成功であり、幕張メッセの500人ホールに700人の聴衆参加があり立ち見が出るほどであった。凋落産業とされるテレビの話題に、これだけの人々が来てくれたことは、本当に感激であった。
こうした、活動ができるのも、大学教授ならではのことである。実業界の中にいると、それぞれの立場というものがあるので、自由な活動は非常に難しい。 利害関係のない中立の立場であるということが、社会の中では大学教授のひとつの重要な利点である。(テレビ放送での時事解説に大学教授がよく出てくるのも、知識の豊富さというよりはこの中立性の意味合いのほうが大きい場合が多い。)
社会的活動は何の報酬もないし、自分が有名になる訳でもなく、完全な裏方ボランティア活動である。しかしながら、人々の役に立ち、色々な人々と知り合いになれるという、何にも代えがたい満足感がある。
今週は、半年がかりの一仕事を無事終えることができた。 来週からは、新学期の講義が待っている。
いつか、教授の仕事について書いてみたいと思っていたのだが、この本にすべてが書かれてしまっているので、やめることとした。(大学教授の仕事にご興味のある方は、ぜひ同書を読んでみてください。)
詳細は、杉原先生の本にゆずるとして、その中で、特に同感した次の2点についてだけ、ちょっとだけ感想を述べてみたい。
1.ストレスの少ない職業である。
2.大変忙しい職業である。
ストレスが少ない理由は、大学教授というのは、職制上その上にもう誰もいないということに尽きる。プレッシャーをかけられたりおこられたりするということがほとんど無い。皆、頭を下げてはくれるが、クレームをつけられたり罵倒されたりすることはまずない。
そのせいか、家内に「最近、えらそうなことばかり言うようになったわね。年のせいで頭が固くなったんじゃない?それとも職業病?」と言われるようになってしまった。
ありがたい職業だと口にしたら、秘書さんと助教には、「それは、先生が途中から来て教授になったからですよ。事務の人の態度なんか全く違うのだから。」 と言われてしまった。なるほど、若いころから上がってくる人々の苦労を私は全く知らなかった訳だ。
今のところ、家内と秘書さんは、私の慢心を諫めてくれる数少ない貴重なアドバイザーとなっている。
上に人間がいないという理由の他には、毎年の多数の部下の人事決定に関する気苦労がないのと、仕事の納期の厳しさが無いというのが、会社時代に比べて、著しいストレスの軽減に役立っている。
一方、忙しいということに関しては、手抜きをしてサボろうと思えば、いくらでもサボることはできる。しかしながら、やる気を出して前向きに取り組んだり、内外からの依頼を快く受けていると、仕事は無尽蔵に発生する。サボり続けていると、自分の地盤がどんどん沈下して存在感が無くなってしまうので、やはり、どうしても必然的に頑張ろうとする。
会社時代のように、目標とか期限が無いので、自己管理をきちんとしないと、サラリーマンとは別の意味での仕事漬けになってしまう。メリハリが無いので、深夜遅くまで、また土日でも休暇中でもだらだらと仕事を続けることとなってしまう
会社時代は、目前に積み上がる仕事に順位付けをして、自分の処理能力に合わせて、重要度の低い仕事を切り捨てることを、最初に決めたものである。 ところが、大学教授になると、その辺の時間管理・自己管理がいいかげんになって、内外を問わず頼まれると何でも引き受けてしまうので、いつも忙しいということになってしまう。
大学の教師は、夏休みや春休みが長くて、暇で楽な商売だろうと世間では思われているに違いない。 ところが内情は全く違う。休みの期間のほうが、学会参加、論文作成、査読、大学院生の研究指導とかえって忙しいのが現実である。
それにプラスされる対外活動の1例をあげると、今週は、幕張にて、CEATEC(IT・エレクトロニクス総合展)と同時共催される、国際学会 GCCE の幹事の仕事を行ってきた。国際学会においては、学生6名に英語での論文発表をさせたので、その英語指導にこの夏休みは大変であった。
もうひとつの大変だった仕事は、CEATEC 会場にて、GCCE主催のシンポジウムを企画したことである。会社時代はテレビの研究開発をしてきたので、昨今の、マスコミでのテレビ産業の扱われ方のあまりのひどさに義憤を感じていた。
GCCE を主催された龍谷大学の長谷智弘先生が、CEATEC と共同して大ホール会場を確保するとともに、安田浩先生などの有名な先生方の約束を取り付けておいてくれていたので、テレビ産業にかかわる方々を元気付けるための 「テレビの未来」 というシンポジウムを行うことを思いついた。
スマートTV と超高精細TV の2部構成として、パネリストを、総勢15名集めた。これには半年かかった。会社時代の知合いをたずね、各種講習会に参加して、話の上手そうな人と名刺交換をして知合いになったりと、ずいぶんと走り回った。(最近始めたFacebook も結構役に立った。)
努力した結果は、かなりの成功であり、幕張メッセの500人ホールに700人の聴衆参加があり立ち見が出るほどであった。凋落産業とされるテレビの話題に、これだけの人々が来てくれたことは、本当に感激であった。
こうした、活動ができるのも、大学教授ならではのことである。実業界の中にいると、それぞれの立場というものがあるので、自由な活動は非常に難しい。 利害関係のない中立の立場であるということが、社会の中では大学教授のひとつの重要な利点である。(テレビ放送での時事解説に大学教授がよく出てくるのも、知識の豊富さというよりはこの中立性の意味合いのほうが大きい場合が多い。)
社会的活動は何の報酬もないし、自分が有名になる訳でもなく、完全な裏方ボランティア活動である。しかしながら、人々の役に立ち、色々な人々と知り合いになれるという、何にも代えがたい満足感がある。
今週は、半年がかりの一仕事を無事終えることができた。 来週からは、新学期の講義が待っている。
by sakuraimac
| 2012-10-06 01:16
| 仕事
|
Comments(0)