2013年 01月 03日
失敗の本質 |
本棚から昔買った「失敗の本質」という本を引っ張り出して読み直している。出版からもう30年近く経つが、太平洋戦争における日本軍の敗戦の原因を分析したもので、現代の日本の組織論にも通ずるものとして、未だに名著の評判が高い本である。(最近、その続編および紹介本が出版されて、ビジネス書の分野でも注目を集めているようだ。)
日露戦争の話は、司馬遼太郎氏が「坂の上の雲」の中で丁寧に解説してくれているので、おおよそのイメージは私のようなシロウトの門外漢にでも把握することができる。(小説なので歴史として見た場合の正確さはよく分からないが・・・)
しかしながら、太平洋戦争のほうは、色々ある本をいくら読んでも要領を得ず、一体何だったのかさっぱり分からない。
勝てないと皆が分かっていながら開戦に突き進んでいった経緯もさることながら、当時は極東では圧倒的な軍事力を持ち士気も高かった日本軍が、何故あれほど易々と兵力に劣る米国軍に負け続けたのかも、さっぱり分からない。
「失敗の本質」は後者の問題のみに焦点を当てたものだが、続編も含めてふたたび読んでみても、やはりどうもよく理解できないのが正直なところである。
分からないながらも、近代戦史に詳しい半藤一利氏が最近出版した「日本型リーダはなぜ失敗するのか」と、上記の「失敗の本質」を合わせ読んで見て、はじめて、ああそういうことだったのかと、納得させられることがかなり多かった。
「失敗の本質」では、ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦の6つを題材に、日本軍が、勝てるはずの戦いも含めて、何故すべてにおいて敗北し続けたのかということを、冷静に分析している。
それらに共通する日本軍組織の問題点として、あいまいな戦略目的、短期決戦志向、空気の支配、戦闘技術体系、官僚的な組織構造、情実人事の問題などをあげている。
あまりに項目が多すぎて、少々混乱してくるのだが、半藤一利氏の綿密な取材に基づいた人物像を中心とした記述と合わせ読んでみると、何となく概要が理解できてくるような気がしてくる。
一番の大きな問題点は、あいまいな戦略目的という点にあったと言ってよいようだ。ノモンハン事件とインパール作戦は、中央の指令というよりは現地軍が独断で強行した色彩が強いのでとりあえず除くとして、真珠湾攻撃の不徹底さ(これは失敗の本質では取り上げていないが)と、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、レイテ海戦の敗北は、作戦の目的が現地の指揮官に明示されていないか、あるいは、2つの目的が同時に示されていたことが敗因であったことが指摘されている。
現地の指揮官が特別に無能だったというよりは、目的が絞られていないため、現地での判断に迷いや誤りが生じてしまったということが一番大きかったということのようである。
例えば、真珠湾攻撃において、壊滅的な損害を相手に与えずに中途半端で帰還するという失敗を犯したのは、真珠湾攻撃の真の目的が、山本長官から指揮官の南雲中将に明確に伝えられていなかったのが原因であった。作戦の真の目的が伝えられていれば、現地においてはそういう判断は生まれなかったであろうと半藤氏は推測する。
ミッドウェー作戦では、ミッドウェー基地の攻撃と敵艦隊の撃滅の2 つの目的が与えられた。暗号を解読されていたとはいえ、それでもなお十分勝てるだけの戦力の優位性が日本軍側にはあった。(暗号を解読した米軍側は、「劣勢な自軍を見れば、悲惨な結末を事前に知っただけのことだった。」と後に述べたと記されている。)
結局は、2つの目的の間でゆれた指揮官の最終判断の迷いが致命的になった。これも、山本長官と南雲指揮官の間で、真の目的意識の共有が無かったという問題が大きいように思える。
レイテ海戦における、謎の栗田艦隊の反転と呼ばれる行動も、作戦目的が2 つ示されたために、極端な情報不足の中で、現地指揮官の誤判断を招いてしまったようである。目的が2つであって情報が無ければ、指揮官の判断の結果を責めるのは酷とも言えるのではないだろうか。
この作戦目的の2 重性というものは、米国側には日本軍の固有の戦術パターンとして、すでによく認識されていたという。
敗北の理由は山のように分析されているが、一番大きな原因は、指導者が現場の指揮官に目的を明確に示すことをしなかった(できなかった)ことにあったようだ。
というのが、上記の3冊の本を読んで受けた私の印象である。よく言われるような、指揮官が米国に比べて劣っていたとか、軍事技術面で大きく遅れていたという事実は、そこには記述されてはいない。
これらの本を読んでみて、昔教わった、戦略4 層構造論という話を改めてもう一度思い返している。それは下記の4 層構造のうちの上位がしっかりしていないと必ず失敗するという教えである。
1. Philosophy (思想、目的)
2. Policy(方針)
3. Strategy(戦略)
4. Tactics(戦術)
最上位にある目的が 1 つに絞られており、それが明確に伝えられて共有していれば、現場の指揮官はそれなりに自己判断が出来る。逆に、目的や思想が明確でないと、下位の層には、必ず迷いが生ずる。戦いは迷いが生じた方が圧倒的に不利になるのではないだろうか。
私は、歴史も軍事知識も全くの門外漢で、これはシロウトの感想ではあるが、太平洋戦争というのは、始まる前から、国家の目的・目標のグランドデザインにおいて、ずいぶんと指導層の間で迷いが見られるようだ。
国家の目標が定まらずに、右に左に迷走する。そうした中で、明確なグランドデザインを持っていた人間が、指導層・軍部の中にほとんどいなかったように見える。
その中で稀有の存在だったのは、皮肉にも太平洋戦争の起点となったとされる満州事変を起こした石原莞爾だったようだ。
彼の構想は、「いずれ米国とソ連はぶつかり米国が勝利し、太平洋をはさんで日本と米国は対峙する。米国と対決するのは、現在の日本の国力ではとうてい無理である。そのために、中国が統治できず混乱している満州を日本の統治下に置いてここを繁栄させ、日本、満州、中国との間で、同盟関係を結んで将来に備えるべきである。」というものである。
これは当時としては極めて合理的な思想だったと言えるのではないだろうか。(実際の歴史は米国とソ連の戦争は起こらず、ソ連の脅威のおかげで、敗戦国の日本は米国から優遇され経済的繁栄を享受できたわけであるが。)
なお、満州への進出を狙っていた米国の軍部・指導層は、日本の満州事変の成功を見て、先を越されたことを非常にくやしがったという。日本が中国の主権を侵して侵略したという当時の国際連盟の非難はあくまでも建前である。当時の世界の先進国たちがしていたことを見れば、泥棒が獲物を先に取られたと言ってスリを非難しているのと変わらないように見える。歴史というのは、今の視点から見て書かれている教科書を決してそのまま信用することはできないのだ。
なお、この米国のくやしさ(と増大する日本への脅威感)というものが起点となり、その後のナチスとの連携と日中戦争の愚行が、米国の日本に対する執拗なイジメとイヤガラセにつながり、決してしたたかではない日本がそれに過剰反応して暴発してしまったというのが太平洋戦争であった、と言うのはあまりに単純化しすぎる歴史解釈であろうか・・・。
石原莞爾の実像は、学校時代の歴史の教科書で習った、「満州事変を引き起こして日本を戦争に引き込んだ悪人の一人」というイメージとは全く異なっている。
不幸だったのは、彼の思想が当時の陸軍には理解されずに、独断専行で成功した戦闘パターンだけがもてはやされ、彼が日本の国力を疲弊させるものとして、もっとも避けるべきと主張していた日中戦争に、陸軍の後輩達が無謀に突き進んでいったことであったのだろう。(なお、満州国の統治・運営は、民族平等の理想は高く、現実にも当初は産業の興隆、インフラの整備とかなりうまくいっていた。その様子は、草柳大蔵氏の力作「実録満鉄調査部」に詳しい。)
ところで、グランドデザインという点ではともかく、客観的に状況を最もよく理解していた一人は、山本五十六であったと言われている。彼も国力の差から見て、日本は米国には絶対に勝てないと考えており、あくまで日米開戦には反対であった。
それでも、国家がどうしても戦争をやるという決断を下すのなら、唯一の戦略としては、奇襲によってハワイに集結している米国の太平洋艦隊を全滅させて、極東における戦争継続の能力を一時的にでも米国から奪い去り、その時点で、早期講和に持ち込む以外には方法はないというものであった。
これもその成否は別として、戦略的合理性は十分にあったと思われる(米国民の反応は計算外としても)。 ハワイ奇襲において、石油基地の攻撃が中途半端に終わり、米国艦隊の空母を取り逃がした時点で、山本長官には、日本の悲惨な将来の姿がはっきりと見えていたに違いない。
こうした、戦略目的の合理性が、全く皆に理解・共有されずに、国家の政治が迷走しながら運営されていったことが、一番の失敗の本質だったのではないか、というのが上記の本の読後の私の感想である。
以上、浅薄な聞きかじりの知識をもとに書いてみたにすぎないが、太平洋戦争というのは、本当のところは何だったのかということは、やはり正直よく分からない。そもそも、色々な本に書かれていることの事実関係が正確なのかどうかもまだはっきりとはしていないようだ。
例えば、「失敗の本質」では、ノモンハン事件では日本軍が誤った状況判断と劣悪な装備にて惨敗したと記されている。ところが、その後、ソ連の崩壊後にロシア側から公開された機密資料によると、ソ連軍のほうが日本軍よりも損害が大きく、ソ連側には勝ったという認識は全く無かったという事実が明らかにされた。戦闘レベルでは日本は決して負けてはおらず、惨敗したとされる関東軍第23師団は実は大いに善戦していたのではないかということで、専門家の間では論議を呼んでいるようだ。
あまりに近すぎる戦争なので、怨念もまだ残されており(日本国内に限らず中国や韓国にも)、研究者や作家もある種の呪縛からは完全に解き放たれてはいないようにも感ずる。そういう意味では、まだ、太平洋戦争は冷静に語れる歴史にはなっていないのかもしれない。
歴史にはなっていないことから、シロウトが何かを学ぼうとしても、非常に難しい。しかしながら、日本国民としては、そろそろ、この戦争について冷静な分析を学べるようにならなければいけない時期に来ているのではないだろうかという気がする。
(註)石原莞爾については下記を参照ください。
http://sakuraimac.exblog.jp/18435158/
日露戦争の話は、司馬遼太郎氏が「坂の上の雲」の中で丁寧に解説してくれているので、おおよそのイメージは私のようなシロウトの門外漢にでも把握することができる。(小説なので歴史として見た場合の正確さはよく分からないが・・・)
しかしながら、太平洋戦争のほうは、色々ある本をいくら読んでも要領を得ず、一体何だったのかさっぱり分からない。
勝てないと皆が分かっていながら開戦に突き進んでいった経緯もさることながら、当時は極東では圧倒的な軍事力を持ち士気も高かった日本軍が、何故あれほど易々と兵力に劣る米国軍に負け続けたのかも、さっぱり分からない。
「失敗の本質」は後者の問題のみに焦点を当てたものだが、続編も含めてふたたび読んでみても、やはりどうもよく理解できないのが正直なところである。
分からないながらも、近代戦史に詳しい半藤一利氏が最近出版した「日本型リーダはなぜ失敗するのか」と、上記の「失敗の本質」を合わせ読んで見て、はじめて、ああそういうことだったのかと、納得させられることがかなり多かった。
「失敗の本質」では、ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦の6つを題材に、日本軍が、勝てるはずの戦いも含めて、何故すべてにおいて敗北し続けたのかということを、冷静に分析している。
それらに共通する日本軍組織の問題点として、あいまいな戦略目的、短期決戦志向、空気の支配、戦闘技術体系、官僚的な組織構造、情実人事の問題などをあげている。
あまりに項目が多すぎて、少々混乱してくるのだが、半藤一利氏の綿密な取材に基づいた人物像を中心とした記述と合わせ読んでみると、何となく概要が理解できてくるような気がしてくる。
一番の大きな問題点は、あいまいな戦略目的という点にあったと言ってよいようだ。ノモンハン事件とインパール作戦は、中央の指令というよりは現地軍が独断で強行した色彩が強いのでとりあえず除くとして、真珠湾攻撃の不徹底さ(これは失敗の本質では取り上げていないが)と、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、レイテ海戦の敗北は、作戦の目的が現地の指揮官に明示されていないか、あるいは、2つの目的が同時に示されていたことが敗因であったことが指摘されている。
現地の指揮官が特別に無能だったというよりは、目的が絞られていないため、現地での判断に迷いや誤りが生じてしまったということが一番大きかったということのようである。
例えば、真珠湾攻撃において、壊滅的な損害を相手に与えずに中途半端で帰還するという失敗を犯したのは、真珠湾攻撃の真の目的が、山本長官から指揮官の南雲中将に明確に伝えられていなかったのが原因であった。作戦の真の目的が伝えられていれば、現地においてはそういう判断は生まれなかったであろうと半藤氏は推測する。
ミッドウェー作戦では、ミッドウェー基地の攻撃と敵艦隊の撃滅の2 つの目的が与えられた。暗号を解読されていたとはいえ、それでもなお十分勝てるだけの戦力の優位性が日本軍側にはあった。(暗号を解読した米軍側は、「劣勢な自軍を見れば、悲惨な結末を事前に知っただけのことだった。」と後に述べたと記されている。)
結局は、2つの目的の間でゆれた指揮官の最終判断の迷いが致命的になった。これも、山本長官と南雲指揮官の間で、真の目的意識の共有が無かったという問題が大きいように思える。
レイテ海戦における、謎の栗田艦隊の反転と呼ばれる行動も、作戦目的が2 つ示されたために、極端な情報不足の中で、現地指揮官の誤判断を招いてしまったようである。目的が2つであって情報が無ければ、指揮官の判断の結果を責めるのは酷とも言えるのではないだろうか。
この作戦目的の2 重性というものは、米国側には日本軍の固有の戦術パターンとして、すでによく認識されていたという。
敗北の理由は山のように分析されているが、一番大きな原因は、指導者が現場の指揮官に目的を明確に示すことをしなかった(できなかった)ことにあったようだ。
というのが、上記の3冊の本を読んで受けた私の印象である。よく言われるような、指揮官が米国に比べて劣っていたとか、軍事技術面で大きく遅れていたという事実は、そこには記述されてはいない。
これらの本を読んでみて、昔教わった、戦略4 層構造論という話を改めてもう一度思い返している。それは下記の4 層構造のうちの上位がしっかりしていないと必ず失敗するという教えである。
1. Philosophy (思想、目的)
2. Policy(方針)
3. Strategy(戦略)
4. Tactics(戦術)
最上位にある目的が 1 つに絞られており、それが明確に伝えられて共有していれば、現場の指揮官はそれなりに自己判断が出来る。逆に、目的や思想が明確でないと、下位の層には、必ず迷いが生ずる。戦いは迷いが生じた方が圧倒的に不利になるのではないだろうか。
私は、歴史も軍事知識も全くの門外漢で、これはシロウトの感想ではあるが、太平洋戦争というのは、始まる前から、国家の目的・目標のグランドデザインにおいて、ずいぶんと指導層の間で迷いが見られるようだ。
国家の目標が定まらずに、右に左に迷走する。そうした中で、明確なグランドデザインを持っていた人間が、指導層・軍部の中にほとんどいなかったように見える。
その中で稀有の存在だったのは、皮肉にも太平洋戦争の起点となったとされる満州事変を起こした石原莞爾だったようだ。
彼の構想は、「いずれ米国とソ連はぶつかり米国が勝利し、太平洋をはさんで日本と米国は対峙する。米国と対決するのは、現在の日本の国力ではとうてい無理である。そのために、中国が統治できず混乱している満州を日本の統治下に置いてここを繁栄させ、日本、満州、中国との間で、同盟関係を結んで将来に備えるべきである。」というものである。
これは当時としては極めて合理的な思想だったと言えるのではないだろうか。(実際の歴史は米国とソ連の戦争は起こらず、ソ連の脅威のおかげで、敗戦国の日本は米国から優遇され経済的繁栄を享受できたわけであるが。)
なお、満州への進出を狙っていた米国の軍部・指導層は、日本の満州事変の成功を見て、先を越されたことを非常にくやしがったという。日本が中国の主権を侵して侵略したという当時の国際連盟の非難はあくまでも建前である。当時の世界の先進国たちがしていたことを見れば、泥棒が獲物を先に取られたと言ってスリを非難しているのと変わらないように見える。歴史というのは、今の視点から見て書かれている教科書を決してそのまま信用することはできないのだ。
なお、この米国のくやしさ(と増大する日本への脅威感)というものが起点となり、その後のナチスとの連携と日中戦争の愚行が、米国の日本に対する執拗なイジメとイヤガラセにつながり、決してしたたかではない日本がそれに過剰反応して暴発してしまったというのが太平洋戦争であった、と言うのはあまりに単純化しすぎる歴史解釈であろうか・・・。
石原莞爾の実像は、学校時代の歴史の教科書で習った、「満州事変を引き起こして日本を戦争に引き込んだ悪人の一人」というイメージとは全く異なっている。
不幸だったのは、彼の思想が当時の陸軍には理解されずに、独断専行で成功した戦闘パターンだけがもてはやされ、彼が日本の国力を疲弊させるものとして、もっとも避けるべきと主張していた日中戦争に、陸軍の後輩達が無謀に突き進んでいったことであったのだろう。(なお、満州国の統治・運営は、民族平等の理想は高く、現実にも当初は産業の興隆、インフラの整備とかなりうまくいっていた。その様子は、草柳大蔵氏の力作「実録満鉄調査部」に詳しい。)
ところで、グランドデザインという点ではともかく、客観的に状況を最もよく理解していた一人は、山本五十六であったと言われている。彼も国力の差から見て、日本は米国には絶対に勝てないと考えており、あくまで日米開戦には反対であった。
それでも、国家がどうしても戦争をやるという決断を下すのなら、唯一の戦略としては、奇襲によってハワイに集結している米国の太平洋艦隊を全滅させて、極東における戦争継続の能力を一時的にでも米国から奪い去り、その時点で、早期講和に持ち込む以外には方法はないというものであった。
これもその成否は別として、戦略的合理性は十分にあったと思われる(米国民の反応は計算外としても)。 ハワイ奇襲において、石油基地の攻撃が中途半端に終わり、米国艦隊の空母を取り逃がした時点で、山本長官には、日本の悲惨な将来の姿がはっきりと見えていたに違いない。
こうした、戦略目的の合理性が、全く皆に理解・共有されずに、国家の政治が迷走しながら運営されていったことが、一番の失敗の本質だったのではないか、というのが上記の本の読後の私の感想である。
以上、浅薄な聞きかじりの知識をもとに書いてみたにすぎないが、太平洋戦争というのは、本当のところは何だったのかということは、やはり正直よく分からない。そもそも、色々な本に書かれていることの事実関係が正確なのかどうかもまだはっきりとはしていないようだ。
例えば、「失敗の本質」では、ノモンハン事件では日本軍が誤った状況判断と劣悪な装備にて惨敗したと記されている。ところが、その後、ソ連の崩壊後にロシア側から公開された機密資料によると、ソ連軍のほうが日本軍よりも損害が大きく、ソ連側には勝ったという認識は全く無かったという事実が明らかにされた。戦闘レベルでは日本は決して負けてはおらず、惨敗したとされる関東軍第23師団は実は大いに善戦していたのではないかということで、専門家の間では論議を呼んでいるようだ。
あまりに近すぎる戦争なので、怨念もまだ残されており(日本国内に限らず中国や韓国にも)、研究者や作家もある種の呪縛からは完全に解き放たれてはいないようにも感ずる。そういう意味では、まだ、太平洋戦争は冷静に語れる歴史にはなっていないのかもしれない。
歴史にはなっていないことから、シロウトが何かを学ぼうとしても、非常に難しい。しかしながら、日本国民としては、そろそろ、この戦争について冷静な分析を学べるようにならなければいけない時期に来ているのではないだろうかという気がする。
(註)石原莞爾については下記を参照ください。
http://sakuraimac.exblog.jp/18435158/
by sakuraimac
| 2013-01-03 17:28
| 歴史
|
Comments(2)
Commented
by
sakuraimac at 2013-01-29 12:31
太平洋戦争はしょせん負ける戦いだったのだとあまり戦闘の詳細を顧みない風潮の中で、失敗の本質はやはり優れた名著であると思います。
負けると分かっていても最善を尽くして戦えば、それは敵からも尊敬されます。クリント・イーストウッドが監督を務めた映画、「硫黄島からの手紙」も栗林中将の硫黄島における善戦が米国人の心をも打った結果だと思います。
私たちは今一度、自分たちの祖父母が戦った太平洋戦争のことを、偏見や予断のない目でもう一度見直してみる必要があるのではないかと改めて思います。
負けると分かっていても最善を尽くして戦えば、それは敵からも尊敬されます。クリント・イーストウッドが監督を務めた映画、「硫黄島からの手紙」も栗林中将の硫黄島における善戦が米国人の心をも打った結果だと思います。
私たちは今一度、自分たちの祖父母が戦った太平洋戦争のことを、偏見や予断のない目でもう一度見直してみる必要があるのではないかと改めて思います。
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by
sakuraimac at 2013-01-29 13:33
あと、日露戦争時と比べると、欧州での情報収集、米国における情宣活動が非常に不足していたように見えます。前者はナチスと手を結ぶという最悪の選択に結びつき、後者は米国の対日感情の悪化の増長を許し、日本への制裁強化に結びつき日米開戦にまで発展しました。すべてが悪い方向に向かって回っていったのだなあという感を深くします。