2013年 02月 18日
シュレディンガーの猫 |
現代の物理学は、相対性理論と量子力学の2つから成り立っている。大学の物理の教科書には必ずこの2つが現代物理学の双璧として載っている。ただし、この2つのたどった歴史を見るとずいぶんと異なった道を歩んできたようだ。
一般相対性理論は、特殊相対性理論を基にアインシュタインが独力で作り上げた。その後数々の実験によってその正しさが実証され、現代に至るまで完璧な理論として何の疑いもなく万人に認められている。
一方、量子力学のほうは、多くの人々の共同によって作りあげられた。相対性理論と並んで輝かしい成果を上げつつも、その解釈と矛盾に関して当初から色々と論議がなされ、21世紀になっても未だに明確な結論が出ずに専門家の間で議論が続いている。
私は物理学は専門ではないので特に深い関心を持ってきたわけではないのだが、2008年に発行された「量子力学の解釈問題」という本(原著は2004年刊)をたまたま読んでみて、その内容に大変ビックリした。
当時行われた国際会議で、専門家90人に量子力学の解釈においてどの立場を支持するかというアンケートを取ったところ、下記のような結果になったという。
①コペンハーゲン解釈 4人
②未発見の収縮メカニズム 4 人
③ガイド波解釈 2 人
④多世界解釈 30 人
⑤態度未定 50 人
これだけの成果を挙げてきた量子力学の解釈において、21世紀になっても、まだ、態度未定の専門家が半数以上もいるというのである。そんなおかしな話があってもよいのだろうか? そのようなものを、1世紀近くもの間、人々は有り難がって信奉し、物理の教科書にはもっともらしく記載され、学生たちは何の疑問もいだかずに勉強してきたのだろうか。驚くべきことである。(ちなみに自分の大学のカリキュラムを調べてみたら、量子力学と名のついた講義は何と10 個以上も見つかった。)
この量子力学への解釈への問題に対して、最初に疑問を提起したのが、量子力学の創始者の一人であるシュレディンガーである。それは「シュレディンガーの猫」と呼ばれるパラドックスとして有名なものである。
その話に入る前に、シュレディンガーの量子波動方程式についてちょっと触れておく。量子力学によれば、電子のような素粒子は、波の性質と粒子の性質の2つを持つ。そのうち波の性質を表した微分方程式が、シュレディンガーの波動方程式と呼ばれるものである。その方程式の解である波動関数Ψ(x,t) は複素数で表されており、その絶対値を求めると粒子の存在確率が求められるとされている。
ところが、そこで、量子力学の解釈問題が発生する。複素数で表現される波である波動関数Ψ(x,t) はあらゆる状態を取り得て無限に広がっている。(それが物理的に何を表しているのかということが、不思議なことに現在に至っても明らかにはなっていないそうである。)
この複素数の波動関数の絶対値を求めるという操作(観測)を行うと、その瞬間に、確率的ではあるが位置が確定した粒子となる。これは「波束の収縮」と呼ばれている。
これは、考えようによっては何かおかしな話でもある。観測する前は無限の状態が重なっていて、観測した瞬間にひとつの状態に収縮するということになる。アインシュタインは観測によって初めて存在が認められる(しかも確率的に)という考え方に納得せず、量子力学には本質的な欠陥があるに違いないと主張した。発案者のシュレディンガー自身もこの矛盾に対して、猫のたとえ話を提出して疑問を呈した。
この有名な「シュレディンガーの猫」と呼ばれるたとえ話は次のようなものである。
確率1/2 で崩壊する放射性同位元素があり、カウンタはその放射能を受けた瞬間にハンマーによって毒ガスの容器の蓋を壊す。その結果発生した毒ガスによって猫は死ぬ。ところが観測によって初めて状態が確定するという量子力学の解釈に従えば、猫の生死は、人間が観測窓から観測するまで決まらないということになる。観測するまでは、猫は確率1/2の状態で生死が重なった状態におかれる。ミクロの世界だから、特別に確率的解釈を認めてよいではないかという考え方を持つ人々に対して、その解釈はマクロの世界にも拡大できるので、おかしいのではないかとシュレディンガー自身が問題提起をした訳である。
以来、「シュレディンガーの猫」の矛盾はさまざまな論争の元となってきた。シュレディンガーはこの解釈問題の議論にうんざりしたのか、最後は物理学から生物学に転向してしまったという。量子力学宇宙論で有名なホーキング博士は「シュレディンガーの猫」という言葉を聞くと怒り出すという話をどこかで読んだことがある。
ところで、話を戻して冒頭にあげた5つの解釈についてであるが、代表的なコペンハーゲン解釈と多世界解釈の2つについて説明を試みてみたい。(シロウトの私にはちょっとしんどく、本当に正しく説明できているかどうかは自信がないのだが・・・)
コペンハーゲン解釈とは、観測前に波動関数に従った空間的広がりがあったことと、観測時点では一点に収束していること、収束の確率が確率解釈に依存することの3つの実験事実を合意事項として採用し、波動関数の物理的意味は求めないというものである。矛盾の追求を放棄した立場とも言える。(現在の物理・化学の教科書はほとんどこの立場で書かれているようだ。しかしながら、この解釈を支持する専門家は、現在では90名中4名しかいないのである!)
多世界解釈のほうは、なかなか説明が難しいのであるが、「シュレディンガーの猫」に対する解答は次のようになる。すなわち、宇宙は「猫が生きている世界」と「猫が死んでいる世界」の重なりあいのまま存在し、波束の収束などというものは起こらないし、確率的な解釈も必要としない。「猫が生きている状態」に属する観測者は猫が生きていると観測し、「猫が死んでいる状態」に属する観測者は猫が死んでいると観測する。観測者は、猫を観測するまで自分がどちらの状態に属するのか知ることは出来ない。このように説明すると矛盾が回避できるというのである。この考え方はオックスフォード大学を中心にさかんらしい。
(正直のところ、私にはこのSF小説のような説明を理解することができない。この世にはいくつも世界が重なって存在し、しかも観測者である自分もそれぞれの世界に存在しているなどという話は、いきなり理解しろと言われても普通の人間の頭ではちょっと無理がある。しかしながら、この解釈を支持する専門家は、90名中30名もおり現在は最大多数派のようである。)
細かい議論は別として、確固たる基礎を築いてきたと思われる量子力学において、こんな足元の基本問題が未だに解決されていないというのは、全く驚くべきことである。しかもそこから、多世界解釈などという摩訶不思議な議論が生まれているのである。(さらにこの多世界解釈は最新の宇宙論のひとつである多元宇宙論にもつながっているようだ。)
この、量子力学の問題について、大変分かりやすく説明している下記のサイトがある。興味のある方にはぜひご一瞥をお勧めしたい。私は、本稿を書くにあたり確認の意味で読み始めたのだが、思わず引き込まれて夜中の3時まで読み耽ってしまった。
量子力学はどうも苦手だという学生諸君も、復習がてらに一度眺めてみてもらいたいと思う。授業ではよく分からなかったことが理解できるようになるかもしれない。
http://homepage2.nifty.com/eman/quantum/contents.html
量子力学に限らず、現代物理学というのは調べれば調べるほど面白い。まるで奇想天外な小説を読んでいるようだ。例えば宇宙のインフレーション理論などは、この膨大な宇宙の始まりは素粒子より小さな点であったという話なのだから、もう、シロウトの理解力をはるかに超えた想像を絶する世界である。無に近いところから壮大な宇宙が創造されたなどというのは、現実を超えた宗教の世界の話のようである。
極微の世界は量子力学によって、また宇宙のことは相対性理論で片がついているものばかりと思っていたのだが、それは私の無知と浅学と怠慢のゆえであり、理系人間としては大変恥ずべきことであった。
現代では、量子力学は極微の世界のみではなく、壮大な宇宙の問題に深くかかわっているのだ(ということをうかつにも長い間知らなかった)。そして、シュレディンガーの猫の生死の解釈議論から始まった量子力学の謎は、宇宙論や超ひも理論などともからんで、解決の方向には行かずにますます深まっていくばかりのようでもある。
この壮大な謎を解く立場に立ちたいとはあまり思わないが(その能力も全くないし)、ただその謎が今後どう解明されていくのかについては大変興味が沸いてくる。これからもずっと見守っていきたいと思う。私の生きている間に何か新しい答えが出てくるのかどうかは全くわからないが。
<独白>
シロウトの疑問なので、こっそりと最後に記すが、私は相対性理論の元になっている「光の速度が観測系にかかわらずに一定である」という前提がどうしてもすんなりと理解ができない(何かスッキリしない)。そう仮定するとすべての現象がうまく説明できるというのであれば、そう思わねばいけないのかなとは思う。しかし、それならば量子力学の波動関数だって、そう仮定することでうまく実験結果が説明できるのなら、そんなに大げさな解釈議論をせずともいいのではないかとも思ってしまう。
一方、宇宙の構成(暗黒物質や暗黒エネルギー)の話では、ドップラー効果の観測から宇宙は膨張しているという結果が出てそこから議論が始まっている。しかしながら、光速度一定の話と同じくドップラー効果というのも、そのまま信じていいのものなのだろうか。
光速度一定の原則が破れるかと一時期話題になった CERN のニュートリノが光速を超えたという実験結果の話もあった。ビックバン、インフレーション理論、暗黒物質、暗黒エネルギー、果ては多元宇宙論までに発展している宇宙論は宇宙の加速膨張現象をそのベースとしている。そして、宇宙の加速膨張現象は、ドップラー効果と、宇宙マイクロ波背景放射の観測に寄って間違いないものとされている。しかし、そこから導かれるあまりに想像を絶する宇宙の姿に、これらの観測結果は本当に信じてよいものなのだろうかという、単純素朴なシロウトの疑問が発生してしまう。
ただし、昔天動説を信じていた人々が、日常感覚には反する地動説をすぐには受け入れられなかったという事実からも、人間の感覚というのは当てにはならないことを十分自覚しなければならないのかもしれないのだが・・・。
一般相対性理論は、特殊相対性理論を基にアインシュタインが独力で作り上げた。その後数々の実験によってその正しさが実証され、現代に至るまで完璧な理論として何の疑いもなく万人に認められている。
一方、量子力学のほうは、多くの人々の共同によって作りあげられた。相対性理論と並んで輝かしい成果を上げつつも、その解釈と矛盾に関して当初から色々と論議がなされ、21世紀になっても未だに明確な結論が出ずに専門家の間で議論が続いている。
私は物理学は専門ではないので特に深い関心を持ってきたわけではないのだが、2008年に発行された「量子力学の解釈問題」という本(原著は2004年刊)をたまたま読んでみて、その内容に大変ビックリした。
当時行われた国際会議で、専門家90人に量子力学の解釈においてどの立場を支持するかというアンケートを取ったところ、下記のような結果になったという。
①コペンハーゲン解釈 4人
②未発見の収縮メカニズム 4 人
③ガイド波解釈 2 人
④多世界解釈 30 人
⑤態度未定 50 人
これだけの成果を挙げてきた量子力学の解釈において、21世紀になっても、まだ、態度未定の専門家が半数以上もいるというのである。そんなおかしな話があってもよいのだろうか? そのようなものを、1世紀近くもの間、人々は有り難がって信奉し、物理の教科書にはもっともらしく記載され、学生たちは何の疑問もいだかずに勉強してきたのだろうか。驚くべきことである。(ちなみに自分の大学のカリキュラムを調べてみたら、量子力学と名のついた講義は何と10 個以上も見つかった。)
この量子力学への解釈への問題に対して、最初に疑問を提起したのが、量子力学の創始者の一人であるシュレディンガーである。それは「シュレディンガーの猫」と呼ばれるパラドックスとして有名なものである。
その話に入る前に、シュレディンガーの量子波動方程式についてちょっと触れておく。量子力学によれば、電子のような素粒子は、波の性質と粒子の性質の2つを持つ。そのうち波の性質を表した微分方程式が、シュレディンガーの波動方程式と呼ばれるものである。その方程式の解である波動関数Ψ(x,t) は複素数で表されており、その絶対値を求めると粒子の存在確率が求められるとされている。
ところが、そこで、量子力学の解釈問題が発生する。複素数で表現される波である波動関数Ψ(x,t) はあらゆる状態を取り得て無限に広がっている。(それが物理的に何を表しているのかということが、不思議なことに現在に至っても明らかにはなっていないそうである。)
この複素数の波動関数の絶対値を求めるという操作(観測)を行うと、その瞬間に、確率的ではあるが位置が確定した粒子となる。これは「波束の収縮」と呼ばれている。
これは、考えようによっては何かおかしな話でもある。観測する前は無限の状態が重なっていて、観測した瞬間にひとつの状態に収縮するということになる。アインシュタインは観測によって初めて存在が認められる(しかも確率的に)という考え方に納得せず、量子力学には本質的な欠陥があるに違いないと主張した。発案者のシュレディンガー自身もこの矛盾に対して、猫のたとえ話を提出して疑問を呈した。
この有名な「シュレディンガーの猫」と呼ばれるたとえ話は次のようなものである。
確率1/2 で崩壊する放射性同位元素があり、カウンタはその放射能を受けた瞬間にハンマーによって毒ガスの容器の蓋を壊す。その結果発生した毒ガスによって猫は死ぬ。ところが観測によって初めて状態が確定するという量子力学の解釈に従えば、猫の生死は、人間が観測窓から観測するまで決まらないということになる。観測するまでは、猫は確率1/2の状態で生死が重なった状態におかれる。ミクロの世界だから、特別に確率的解釈を認めてよいではないかという考え方を持つ人々に対して、その解釈はマクロの世界にも拡大できるので、おかしいのではないかとシュレディンガー自身が問題提起をした訳である。
以来、「シュレディンガーの猫」の矛盾はさまざまな論争の元となってきた。シュレディンガーはこの解釈問題の議論にうんざりしたのか、最後は物理学から生物学に転向してしまったという。量子力学宇宙論で有名なホーキング博士は「シュレディンガーの猫」という言葉を聞くと怒り出すという話をどこかで読んだことがある。
ところで、話を戻して冒頭にあげた5つの解釈についてであるが、代表的なコペンハーゲン解釈と多世界解釈の2つについて説明を試みてみたい。(シロウトの私にはちょっとしんどく、本当に正しく説明できているかどうかは自信がないのだが・・・)
コペンハーゲン解釈とは、観測前に波動関数に従った空間的広がりがあったことと、観測時点では一点に収束していること、収束の確率が確率解釈に依存することの3つの実験事実を合意事項として採用し、波動関数の物理的意味は求めないというものである。矛盾の追求を放棄した立場とも言える。(現在の物理・化学の教科書はほとんどこの立場で書かれているようだ。しかしながら、この解釈を支持する専門家は、現在では90名中4名しかいないのである!)
多世界解釈のほうは、なかなか説明が難しいのであるが、「シュレディンガーの猫」に対する解答は次のようになる。すなわち、宇宙は「猫が生きている世界」と「猫が死んでいる世界」の重なりあいのまま存在し、波束の収束などというものは起こらないし、確率的な解釈も必要としない。「猫が生きている状態」に属する観測者は猫が生きていると観測し、「猫が死んでいる状態」に属する観測者は猫が死んでいると観測する。観測者は、猫を観測するまで自分がどちらの状態に属するのか知ることは出来ない。このように説明すると矛盾が回避できるというのである。この考え方はオックスフォード大学を中心にさかんらしい。
(正直のところ、私にはこのSF小説のような説明を理解することができない。この世にはいくつも世界が重なって存在し、しかも観測者である自分もそれぞれの世界に存在しているなどという話は、いきなり理解しろと言われても普通の人間の頭ではちょっと無理がある。しかしながら、この解釈を支持する専門家は、90名中30名もおり現在は最大多数派のようである。)
細かい議論は別として、確固たる基礎を築いてきたと思われる量子力学において、こんな足元の基本問題が未だに解決されていないというのは、全く驚くべきことである。しかもそこから、多世界解釈などという摩訶不思議な議論が生まれているのである。(さらにこの多世界解釈は最新の宇宙論のひとつである多元宇宙論にもつながっているようだ。)
この、量子力学の問題について、大変分かりやすく説明している下記のサイトがある。興味のある方にはぜひご一瞥をお勧めしたい。私は、本稿を書くにあたり確認の意味で読み始めたのだが、思わず引き込まれて夜中の3時まで読み耽ってしまった。
量子力学はどうも苦手だという学生諸君も、復習がてらに一度眺めてみてもらいたいと思う。授業ではよく分からなかったことが理解できるようになるかもしれない。
http://homepage2.nifty.com/eman/quantum/contents.html
量子力学に限らず、現代物理学というのは調べれば調べるほど面白い。まるで奇想天外な小説を読んでいるようだ。例えば宇宙のインフレーション理論などは、この膨大な宇宙の始まりは素粒子より小さな点であったという話なのだから、もう、シロウトの理解力をはるかに超えた想像を絶する世界である。無に近いところから壮大な宇宙が創造されたなどというのは、現実を超えた宗教の世界の話のようである。
極微の世界は量子力学によって、また宇宙のことは相対性理論で片がついているものばかりと思っていたのだが、それは私の無知と浅学と怠慢のゆえであり、理系人間としては大変恥ずべきことであった。
現代では、量子力学は極微の世界のみではなく、壮大な宇宙の問題に深くかかわっているのだ(ということをうかつにも長い間知らなかった)。そして、シュレディンガーの猫の生死の解釈議論から始まった量子力学の謎は、宇宙論や超ひも理論などともからんで、解決の方向には行かずにますます深まっていくばかりのようでもある。
この壮大な謎を解く立場に立ちたいとはあまり思わないが(その能力も全くないし)、ただその謎が今後どう解明されていくのかについては大変興味が沸いてくる。これからもずっと見守っていきたいと思う。私の生きている間に何か新しい答えが出てくるのかどうかは全くわからないが。
<独白>
シロウトの疑問なので、こっそりと最後に記すが、私は相対性理論の元になっている「光の速度が観測系にかかわらずに一定である」という前提がどうしてもすんなりと理解ができない(何かスッキリしない)。そう仮定するとすべての現象がうまく説明できるというのであれば、そう思わねばいけないのかなとは思う。しかし、それならば量子力学の波動関数だって、そう仮定することでうまく実験結果が説明できるのなら、そんなに大げさな解釈議論をせずともいいのではないかとも思ってしまう。
一方、宇宙の構成(暗黒物質や暗黒エネルギー)の話では、ドップラー効果の観測から宇宙は膨張しているという結果が出てそこから議論が始まっている。しかしながら、光速度一定の話と同じくドップラー効果というのも、そのまま信じていいのものなのだろうか。
光速度一定の原則が破れるかと一時期話題になった CERN のニュートリノが光速を超えたという実験結果の話もあった。ビックバン、インフレーション理論、暗黒物質、暗黒エネルギー、果ては多元宇宙論までに発展している宇宙論は宇宙の加速膨張現象をそのベースとしている。そして、宇宙の加速膨張現象は、ドップラー効果と、宇宙マイクロ波背景放射の観測に寄って間違いないものとされている。しかし、そこから導かれるあまりに想像を絶する宇宙の姿に、これらの観測結果は本当に信じてよいものなのだろうかという、単純素朴なシロウトの疑問が発生してしまう。
ただし、昔天動説を信じていた人々が、日常感覚には反する地動説をすぐには受け入れられなかったという事実からも、人間の感覚というのは当てにはならないことを十分自覚しなければならないのかもしれないのだが・・・。
by sakuraimac
| 2013-02-18 19:49
| 科学技術
|
Comments(11)
Commented
by
泥棒
at 2013-02-24 11:13
x
量子力学って完全に哲学ですね。
よく理論が破綻しないもんだなあと思ってしまいます。
よく理論が破綻しないもんだなあと思ってしまいます。
0
Commented
by
sakuraimac at 2013-02-26 04:22
泥棒さん、お久しぶり。いや、私は量子力学自体は純粋な科学だと思います。実験結果と完全に合い、産業面での功績は相対性理論よりはるかに大きい。大学に11個も量子力学の講義があるのが、何よりの証拠です。だから、科学の道具として使うのなら、何ら問題はない。ところが、1歩突っ込んでその物理的意味を問うと急に哲学論争になってしまう。実に不思議な学問です。個人的には、解釈問題よりも、宇宙の始まりをどう量子力学が解明できるかに興味が湧きます。ホーキンス博士の立場ですよね。
Commented
by
sakuraimac at 2013-02-26 04:32
今の物理学界は、相対性理論と量子力学と素粒子論の3つがあり、最大のテーマは宇宙の創生ではないかと思います。ただし、昔と違って、理論の検証が大掛かりになりすぎて、難しくなってしまっているのが、問題なのではないかと思います。検証が出来ないから、色々な理論とか解釈が出てきて、それが哲学論議になり、さらには、宗教論にまで繋がっていく。何か、また大きなブレークスルーが必要な気がします。
「神」を完全に解明しました!!(SB量子神学)
ぜひ批評して頂きたい「神」の理論が有ります。量子力学の多世界解釈を利用し、全知全能の「神」があらゆる○○○について「○○○である」と「○○○でない」の両方を実現していると考えることにより、人間が感じている「なぜ○○○なのか?」という謎はすべてダブル・トートロジーに解消され消滅する、という理論です。
詳しい説明は、Amazon(KDP)による電子書籍『「神」を完全に解明しました!!(SB量子神学)』シリーズの《基礎論》(ASIN:B019FR2XBC)、《詳細論》(ASIN:B019QNGL4K)、《真如論》(ASIN:B01EGRQXC6)、《独在論》(ASIN:B01EJ2URXO)の中にあります。
ぜひ批評して頂きたい「神」の理論が有ります。量子力学の多世界解釈を利用し、全知全能の「神」があらゆる○○○について「○○○である」と「○○○でない」の両方を実現していると考えることにより、人間が感じている「なぜ○○○なのか?」という謎はすべてダブル・トートロジーに解消され消滅する、という理論です。
詳しい説明は、Amazon(KDP)による電子書籍『「神」を完全に解明しました!!(SB量子神学)』シリーズの《基礎論》(ASIN:B019FR2XBC)、《詳細論》(ASIN:B019QNGL4K)、《真如論》(ASIN:B01EGRQXC6)、《独在論》(ASIN:B01EJ2URXO)の中にあります。
【 全知全能の「神」の定義】
まず、特定の1つの状態として全知全能の「神」を定義しようとすると、解無しです。「神」を「○○○である」と定義すると、「神」は「○○○でない」を放棄し、全知全能でなくなってしまうからです。「神」が全知全能であるためには、「○○○である」と「○○○でない」の両方を満たさねばなりませんが、これだと矛盾が生じてしまい、「神」とは何かを議論する事自体が無意味になってしまいます。
これを超越する方法が1つ有ります。量子力学の多世界解釈です。「神」は、この世界で「○○○である」を、別の世界で「○○○でない」を実現し、両者は線形の重ね合わせであって互いに相互作用しないので、個々の世界に矛盾は無い、と考えれば良いのです。つまり「神」を、様々な状態の集合として定義することになります。
「全知全能の「神」は、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を体験しているか?」と尋ねてみます。もちろんYESです。NOだったら全知全能とは言えません。つまり、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を体験すること」は、全知全能の「神」であるための必要条件です。では、これ以外にも条件が必要でしょうか? それは不要です。仮にこれ以外に「○○○であること」が必要だと仮定してみても、結局これは、「「○○○である」と認識している心を体験すること」になるからです。従って、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を体験すること」は、全知全能の「神」であるための必要十分条件です。そして全知全能の「神」の定義は、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を要素とする集合{M}」になります。
M0が完全な無意識状態の「空」であり、M1、M2、M3、…が特定の有意識状態「色」であり、M0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕が成立します。大乗仏教でいう「真如」の超越状態がM0、束縛状態がM1、M2、M3、…です。西田幾多郎のいう「絶対無」がM0、「絶対有」がM1、M2、M3、…であり、「絶対矛盾的自己同一」がM0=M1+M2+M3+…です。
まず、特定の1つの状態として全知全能の「神」を定義しようとすると、解無しです。「神」を「○○○である」と定義すると、「神」は「○○○でない」を放棄し、全知全能でなくなってしまうからです。「神」が全知全能であるためには、「○○○である」と「○○○でない」の両方を満たさねばなりませんが、これだと矛盾が生じてしまい、「神」とは何かを議論する事自体が無意味になってしまいます。
これを超越する方法が1つ有ります。量子力学の多世界解釈です。「神」は、この世界で「○○○である」を、別の世界で「○○○でない」を実現し、両者は線形の重ね合わせであって互いに相互作用しないので、個々の世界に矛盾は無い、と考えれば良いのです。つまり「神」を、様々な状態の集合として定義することになります。
「全知全能の「神」は、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を体験しているか?」と尋ねてみます。もちろんYESです。NOだったら全知全能とは言えません。つまり、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を体験すること」は、全知全能の「神」であるための必要条件です。では、これ以外にも条件が必要でしょうか? それは不要です。仮にこれ以外に「○○○であること」が必要だと仮定してみても、結局これは、「「○○○である」と認識している心を体験すること」になるからです。従って、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を体験すること」は、全知全能の「神」であるための必要十分条件です。そして全知全能の「神」の定義は、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を要素とする集合{M}」になります。
M0が完全な無意識状態の「空」であり、M1、M2、M3、…が特定の有意識状態「色」であり、M0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕が成立します。大乗仏教でいう「真如」の超越状態がM0、束縛状態がM1、M2、M3、…です。西田幾多郎のいう「絶対無」がM0、「絶対有」がM1、M2、M3、…であり、「絶対矛盾的自己同一」がM0=M1+M2+M3+…です。
【「神」のすべてがトートロジー】
ライプニッツのモナドロジーに則り、実在するのは個々の心(モナド)だけであり、客観的物質世界なるものは実在しないと考えます。さらに量子力学の多世界解釈を取り、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…が実在していると考え、その集合{M}を「神」と定義します。人間の心は要素の1つです。「神」は、あらゆる心の状態を体験しているという意味で「全知全能」です。個々の心が持てる情報をNビットとし、個々のビットが独立して「0」、「1」、「?」(=「0」+「1」)の3つを取り得るとすると、全部で3^N種類の心になります(N→∞)。
2つの心MiとMjが、シュレディンガーの猫の「生きた状態を知覚した心」と「死んだ状態を知覚した心」のように矛盾する情報を持つとき、<Mi|Mi>=<Mj|Mj>=1(自分にとって自分の存在確率は1)ですが、<Mi|Mj>=<Mj|Mi>=0(自分にとって相手の存在確率は0)です。つまり個々の心Mi(i=0、1、2、3、…)は、「「存在する」と認識する視点に立てば「存在する」」、「「存在しない」と認識する視点に立てば「存在しない」」のダブル・トートロジーを満たしています。これを「半存在」と呼びます。こう考えると、「なぜ存在するのか?」、「なぜ存在しないのか?」という謎自体が消滅します。
ライプニッツのモナドロジーに則り、実在するのは個々の心(モナド)だけであり、客観的物質世界なるものは実在しないと考えます。さらに量子力学の多世界解釈を取り、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…が実在していると考え、その集合{M}を「神」と定義します。人間の心は要素の1つです。「神」は、あらゆる心の状態を体験しているという意味で「全知全能」です。個々の心が持てる情報をNビットとし、個々のビットが独立して「0」、「1」、「?」(=「0」+「1」)の3つを取り得るとすると、全部で3^N種類の心になります(N→∞)。
2つの心MiとMjが、シュレディンガーの猫の「生きた状態を知覚した心」と「死んだ状態を知覚した心」のように矛盾する情報を持つとき、<Mi|Mi>=<Mj|Mj>=1(自分にとって自分の存在確率は1)ですが、<Mi|Mj>=<Mj|Mi>=0(自分にとって相手の存在確率は0)です。つまり個々の心Mi(i=0、1、2、3、…)は、「「存在する」と認識する視点に立てば「存在する」」、「「存在しない」と認識する視点に立てば「存在しない」」のダブル・トートロジーを満たしています。これを「半存在」と呼びます。こう考えると、「なぜ存在するのか?」、「なぜ存在しないのか?」という謎自体が消滅します。
1人の人間である自分の心M1は、「なぜ自分の心M1は、「存在しない」ではなく「存在する」の方なのか?」、「なぜ自分の心は、他のM2、M3、M4、…ではなくこのM1なのか?」、「なぜ自分が住む世界の物理法則は、他の物理法則ではなくこの物理法則なのか?」、…等の謎を感じますが、「神」の視点に立てば、すべての謎が消滅します。「神」は全知全能であり、あらゆる○○○に対し、「○○○である」と認識する心と「○○○でない」と認識する心の両方を作っています。そして、「「○○○である」と認識する視点に立てば「○○○である」と認識する」、「「○○○でない」と認識する視点に立てば「○○○でない」と認識する」というダブル・トートロジーが成立しているだけです。「神」に謎は何も有りません。
さらに、自分が体験しているのは1人の人間の心M1だけだと考えると、M1に対し「もっとこうありたかったのに…」という不満が生じます。実は自分こそが「神」であり、本当は存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を平等に体験しているのだと悟れば、何一つ不満も無くなります。これが究極の悟りです。「神」は完全な「無」M0であると同時に、すべての「有」M1、M2、M3、…でもあります。これがM0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕。「神」もまた「半存在」であり、「存在する」と「存在しない」の両方を実現しています。一方だけ実現して他方を放棄すると、全知全能でなくなってしまいますから。
さらに、自分が体験しているのは1人の人間の心M1だけだと考えると、M1に対し「もっとこうありたかったのに…」という不満が生じます。実は自分こそが「神」であり、本当は存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を平等に体験しているのだと悟れば、何一つ不満も無くなります。これが究極の悟りです。「神」は完全な「無」M0であると同時に、すべての「有」M1、M2、M3、…でもあります。これがM0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕。「神」もまた「半存在」であり、「存在する」と「存在しない」の両方を実現しています。一方だけ実現して他方を放棄すると、全知全能でなくなってしまいますから。
Commented
by
sakuraimac at 2016-06-10 15:58
SumioBaba さん、コメントありがとうございます。
私は神とか宗教はあまり詳しくないのですが、コメントを読んでいて面白いなと思いました。
M0=M1+M2+M3+..... というのは量子力学の研究者の支持する多世界解釈とよく似ていますね。
色即是空・空即是色との関連性も大変興味深いです。
似たような議論を、苫米地英人氏が般若心経について行っており、空=有+無であり、空は無の上位概念である、と主張されてます。
私は神とか宗教はあまり詳しくないのですが、コメントを読んでいて面白いなと思いました。
M0=M1+M2+M3+..... というのは量子力学の研究者の支持する多世界解釈とよく似ていますね。
色即是空・空即是色との関連性も大変興味深いです。
似たような議論を、苫米地英人氏が般若心経について行っており、空=有+無であり、空は無の上位概念である、と主張されてます。
素人が専門的な書籍等を読むときは、主流学説から外れた通俗説が主流学説として紹介されている可能性を考える必要があります。
たとえ、真っ当な内容であっても、読む側に知識不足により読み違えが生じることを考えるべきと思います。
その本を読むと「当時行われた国際会議」で行われたアンケートでは、「コペンハーゲン解釈」は人間の意識が測定結果を決めるという意識解釈のことを指しています。
意識解釈をコペンハーゲン解釈の1つとして数えることはありますが、意識解釈はコペンハーゲン解釈の中でも少数派です。
多数派のコペンハーゲン解釈は、標準理論の数学的手法をツールとしては受け入れつつも、その数式が示す物理的意味については考えないものとしています。
コペンハーゲン解釈を支持するが意識解釈は支持しないという人は、このアンケートにどう答えるでしょうか。
設問の内容にもよりますが、もしも、選択肢が「コペンハーゲン解釈(人間の意識が測定結果を決める)」となっていたら、回答は「コペンハーゲン解釈」と「未発見の収縮メカニズム」と「態度未定」に分かれるでしょう。
だとしたら、このアンケートが示唆することはコペンハーゲン解釈が「最大多数派」であるということです。
たとえ、真っ当な内容であっても、読む側に知識不足により読み違えが生じることを考えるべきと思います。
その本を読むと「当時行われた国際会議」で行われたアンケートでは、「コペンハーゲン解釈」は人間の意識が測定結果を決めるという意識解釈のことを指しています。
意識解釈をコペンハーゲン解釈の1つとして数えることはありますが、意識解釈はコペンハーゲン解釈の中でも少数派です。
多数派のコペンハーゲン解釈は、標準理論の数学的手法をツールとしては受け入れつつも、その数式が示す物理的意味については考えないものとしています。
コペンハーゲン解釈を支持するが意識解釈は支持しないという人は、このアンケートにどう答えるでしょうか。
設問の内容にもよりますが、もしも、選択肢が「コペンハーゲン解釈(人間の意識が測定結果を決める)」となっていたら、回答は「コペンハーゲン解釈」と「未発見の収縮メカニズム」と「態度未定」に分かれるでしょう。
だとしたら、このアンケートが示唆することはコペンハーゲン解釈が「最大多数派」であるということです。
「21世紀になっても、まだ、態度未定の専門家が半数以上もいる」ことは何ら「おかしな話」ではありません。
というのも、測定結果は実験で確かめることができますが、測定するまでの過程は原理的に(現在の技術水準の問題ではない)確認不可能だからです。
そして、測定結果にのみ射影仮説を適用するため、すなわち、測定するまでの過程と測定結果が数式上で違うものとして扱われているため、測定結果から過程を推測することもできません。
物理学で重要なことは結果を計算するための法則を見い出すことなので、必ずしもメカニズムを解明する必要はありません。
シュレーディンガーの猫についても、カウンタの後にHeisenberg cutが設定できるので「確率1/2の状態で生死が重なった状態」が生じないことが量子測定理論の知見により判明しています。
というのも、測定結果は実験で確かめることができますが、測定するまでの過程は原理的に(現在の技術水準の問題ではない)確認不可能だからです。
そして、測定結果にのみ射影仮説を適用するため、すなわち、測定するまでの過程と測定結果が数式上で違うものとして扱われているため、測定結果から過程を推測することもできません。
物理学で重要なことは結果を計算するための法則を見い出すことなので、必ずしもメカニズムを解明する必要はありません。
シュレーディンガーの猫についても、カウンタの後にHeisenberg cutが設定できるので「確率1/2の状態で生死が重なった状態」が生じないことが量子測定理論の知見により判明しています。
多世界解釈については、崩壊時には世界が分岐しておらず、かつ、「確率1/2の状態で生死が重なった状態」が生じるまでに世界が分岐しないと、問題が解決できません。
多世界解釈の理論では、観測しようとすると測定対象と測定器の間の量子もつれが生じ、デコヒーレンスが生じて【結果1になる測定対象と結果1を測定する測定器】と【結果2になる測定対象と結果2を測定する測定器】の間の干渉が失われます。
この干渉性の喪失を世界の分岐とみなせるので多世界解釈と呼びます。
これをシュレーディンガーの猫に当てはめると、カウンタで計測した段階でデコヒーレンスが生じるので、観測者から見れば「確率1/2の状態で生死が重なった状態」の問題が生じないも同然となります。
「光の速度が観測系にかかわらずに一定である」ことは実験によって確かめられた事実です。
ドップラー効果も、理論的に容易に導けるものであり、かつ、実験によって確かめられた事実です。
「CERN のニュートリノが光速を超えたという実験結果」が示唆していたことは、「光速度一定の原則が破れる」ことではなく、光速度が物理的限界速度ではないことです。
実験に間違いがあったことは確認されたために、速度限界が破られることはありませんでした。
たとえ、「あまりに想像を絶する宇宙の姿」であろうとも、それが実験事実や実験結果に適合する理論と矛盾しないなら、否定する理由にはなりません。
多世界解釈の理論では、観測しようとすると測定対象と測定器の間の量子もつれが生じ、デコヒーレンスが生じて【結果1になる測定対象と結果1を測定する測定器】と【結果2になる測定対象と結果2を測定する測定器】の間の干渉が失われます。
この干渉性の喪失を世界の分岐とみなせるので多世界解釈と呼びます。
これをシュレーディンガーの猫に当てはめると、カウンタで計測した段階でデコヒーレンスが生じるので、観測者から見れば「確率1/2の状態で生死が重なった状態」の問題が生じないも同然となります。
「光の速度が観測系にかかわらずに一定である」ことは実験によって確かめられた事実です。
ドップラー効果も、理論的に容易に導けるものであり、かつ、実験によって確かめられた事実です。
「CERN のニュートリノが光速を超えたという実験結果」が示唆していたことは、「光速度一定の原則が破れる」ことではなく、光速度が物理的限界速度ではないことです。
実験に間違いがあったことは確認されたために、速度限界が破られることはありませんでした。
たとえ、「あまりに想像を絶する宇宙の姿」であろうとも、それが実験事実や実験結果に適合する理論と矛盾しないなら、否定する理由にはなりません。