2013年 07月 10日
ゲーデルの不完全性定理 |
サイエンス作家の竹内薫氏の言葉によると、科学の歴史を見ると概念的な飛躍を必要とする知の革命がいくつかあり、20世紀の理数系においては、相対性理論、量子力学、そしてゲーデルの不完全性定理の3つがあげられるのだそうである。
「ゲーデルの不完全性定理」とは何のことだろうと思って、昔、本を買って読んでみたことがあるが、数学が苦手な私には、何のことだかさっぱり理解ができずに見事に挫折した記憶がある。
最近、竹内薫氏が、「不完全性定理とは何か」というシロウト向けの解説書を書いてくれたので、改めて読んでみた。とても易しく書いてくれているので,何となく分かったような気分にさせられた。(正直100%理解できたと言えるかどうかはよくわからないのだが。)
これを機会に、不完全性定理の歴史について調べてみたことを紹介してみたいと思う。(要約は下記のサイトをコピーさせていただいた。)
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/fukanzen.html
「数学的に証明された」ことは、議論の余地はなく永遠不変の真理であり、数学を基盤にし、証明を積み重ねていけば、いつかは「世界のすべての問題を解決するひとつの理論体系」に到達できるのではないかと、かつては信じられていた。
1930年に数学界の巨匠ヒルベルトは、「数学理論には矛盾は一切無く、どんな問題でも真偽の判定が可能であること」を完全に証明しようと、全数学者に一致協力するように呼びかけた。これは「ヒルベルトプログラム」と呼ばれ、数学の論理的な完成を目指す一大プロジェクトとして、当時世界中から注目を集めた。
そこへ、若きゲーデルが現れて、「数学理論は不完全であり、決して完全にはなりえないこと」を数学的に証明してしまった。
ゲーデルの不完全性定理とは以下のようなものだった。
1)第1不完全性原理:「ある矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する」
2)第2不完全性原理:「ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、その理論体系の中で証明できない」
一見すると、完全無欠に見える数学理論の中にも、「真とも偽とも決められない命題」「証明も反証もできない命題」が含まれていることを意味する。そして、数学理論が「自らの理論体系は完璧に正しい」と証明することがそもそも不可能なのである。
この不完全性定理は、数学のみならず、理論体系一般すべてに適用することができる。そのため、哲学者、科学者、法律家など「論理的に突き詰めていけば、どんな問題についても真偽の判定ができ、それを積み重ねていけば、いつかは真理に辿り着けると信じていた人々」に大きな衝撃を与えた。(ゲーデルショックと呼ばれる)
不完全性定理は述べる。「どんな理論体系にも、証明不可能な命題(パラドックス)が必ず存在する。それは、その理論体系に矛盾がないことを その理論体系の中で決して証明できないということであり、つまり、おのれ自身で完結する理論体系は構造的にありえない。」
我々が、理性により作り出した理論体系が真理に到達することは決してない。
以上が、上記のサイトから抜き出した要約である。
ゲーデルショックは、数学界、科学界に途方もないインパクトを与え、現在を含め未来へも大きな課題を残しているものとされている。
なるほどそういうものなのかと,その位置づけを今にしてようやく理解することができた。
しかしながら,技術者である私には、華々しい成果をあげた量子力学と相対性理論に比べてみると、不完全性定理は、一体、どんな成果をあげてきたのだろうか?と素朴な疑問が浮かんでしまう。
不完全性定理によって、その後の数学の発展が阻害された訳でもなく、科学技術の進展が何らかの影響を受けた訳でもないようだ。どうも、これは、科学技術の問題というよりは、哲学の問題に近いもののようだ。だとするならば、私の問いは、哲学は科学技術の進展にどういう影響を与えただろうかという問いと同じなのかもしれない・・・。
昔から、気になっていた、不完全性定理なるものに、私なりの理解が少しばかり進んだことを、竹内薫氏に大いに感謝したい思いである。
(なお,ゲーデルの証明方法は、そんなに複雑なものではないが、論理学もコンピュータ科学も専門ではない私にとっては実に摩訶不思議なものに感ずる。関心のある方は、ぜひ竹内氏の本をご一読してみてください。)
「ゲーデルの不完全性定理」とは何のことだろうと思って、昔、本を買って読んでみたことがあるが、数学が苦手な私には、何のことだかさっぱり理解ができずに見事に挫折した記憶がある。
最近、竹内薫氏が、「不完全性定理とは何か」というシロウト向けの解説書を書いてくれたので、改めて読んでみた。とても易しく書いてくれているので,何となく分かったような気分にさせられた。(正直100%理解できたと言えるかどうかはよくわからないのだが。)
これを機会に、不完全性定理の歴史について調べてみたことを紹介してみたいと思う。(要約は下記のサイトをコピーさせていただいた。)
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/fukanzen.html
「数学的に証明された」ことは、議論の余地はなく永遠不変の真理であり、数学を基盤にし、証明を積み重ねていけば、いつかは「世界のすべての問題を解決するひとつの理論体系」に到達できるのではないかと、かつては信じられていた。
1930年に数学界の巨匠ヒルベルトは、「数学理論には矛盾は一切無く、どんな問題でも真偽の判定が可能であること」を完全に証明しようと、全数学者に一致協力するように呼びかけた。これは「ヒルベルトプログラム」と呼ばれ、数学の論理的な完成を目指す一大プロジェクトとして、当時世界中から注目を集めた。
そこへ、若きゲーデルが現れて、「数学理論は不完全であり、決して完全にはなりえないこと」を数学的に証明してしまった。
ゲーデルの不完全性定理とは以下のようなものだった。
1)第1不完全性原理:「ある矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する」
2)第2不完全性原理:「ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、その理論体系の中で証明できない」
一見すると、完全無欠に見える数学理論の中にも、「真とも偽とも決められない命題」「証明も反証もできない命題」が含まれていることを意味する。そして、数学理論が「自らの理論体系は完璧に正しい」と証明することがそもそも不可能なのである。
この不完全性定理は、数学のみならず、理論体系一般すべてに適用することができる。そのため、哲学者、科学者、法律家など「論理的に突き詰めていけば、どんな問題についても真偽の判定ができ、それを積み重ねていけば、いつかは真理に辿り着けると信じていた人々」に大きな衝撃を与えた。(ゲーデルショックと呼ばれる)
不完全性定理は述べる。「どんな理論体系にも、証明不可能な命題(パラドックス)が必ず存在する。それは、その理論体系に矛盾がないことを その理論体系の中で決して証明できないということであり、つまり、おのれ自身で完結する理論体系は構造的にありえない。」
我々が、理性により作り出した理論体系が真理に到達することは決してない。
以上が、上記のサイトから抜き出した要約である。
ゲーデルショックは、数学界、科学界に途方もないインパクトを与え、現在を含め未来へも大きな課題を残しているものとされている。
なるほどそういうものなのかと,その位置づけを今にしてようやく理解することができた。
しかしながら,技術者である私には、華々しい成果をあげた量子力学と相対性理論に比べてみると、不完全性定理は、一体、どんな成果をあげてきたのだろうか?と素朴な疑問が浮かんでしまう。
不完全性定理によって、その後の数学の発展が阻害された訳でもなく、科学技術の進展が何らかの影響を受けた訳でもないようだ。どうも、これは、科学技術の問題というよりは、哲学の問題に近いもののようだ。だとするならば、私の問いは、哲学は科学技術の進展にどういう影響を与えただろうかという問いと同じなのかもしれない・・・。
昔から、気になっていた、不完全性定理なるものに、私なりの理解が少しばかり進んだことを、竹内薫氏に大いに感謝したい思いである。
(なお,ゲーデルの証明方法は、そんなに複雑なものではないが、論理学もコンピュータ科学も専門ではない私にとっては実に摩訶不思議なものに感ずる。関心のある方は、ぜひ竹内氏の本をご一読してみてください。)
by sakuraimac
| 2013-07-10 17:57
| 科学技術
|
Comments(9)
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nouko
at 2013-07-21 21:23
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ええと、突然すみません。老婆心ながら。
そのサイト(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/fukanzen.html)の不完全性定理の説明はボロボロで、間違いや誤解だらけなので参考にしないほうが安全ですよ~(^^;;;)
そのサイト(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/fukanzen.html)の不完全性定理の説明はボロボロで、間違いや誤解だらけなので参考にしないほうが安全ですよ~(^^;;;)
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nouko
at 2013-07-21 21:27
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あと不完全性定理をきっかけに今でいうところの”計算可能性理論”の研究が進んだという側面があるので、不完全性定理、少なくとも計算機科学などの役にはたっていると思うのですよ・・・。
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nouko
at 2013-07-21 21:35
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>ゲーデルショックは、数学界、科学界に途方もないインパクトを与え、現在を含め未来へも大きな課題を残しているものとされている。
現場の数学者でゲーデルの不完全性定理の結果を深刻に受け止めている人はかなり少ないですし、なおかつ、不完全性定理の影響は(数学を除く)自然科学には及ばないことがわかっているので、この説明はかなりあやしいです。
現場の数学者でゲーデルの不完全性定理の結果を深刻に受け止めている人はかなり少ないですし、なおかつ、不完全性定理の影響は(数学を除く)自然科学には及ばないことがわかっているので、この説明はかなりあやしいです。
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sakuraimac at 2013-07-22 20:49
noukoさん,コメントどうもありがとうございます。私は電子工学のエンジニアで,この方面は全くシロウトなので,専門家のアドバイスをいただけるのは大変嬉しいです。本をたくさん読むほどの勉強家でもないし,Web情報は怪しげなものが多いので,コメントをいただけるのは大変ありがたいです。どうもありがとうございます。
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nouko
at 2013-07-22 22:24
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先生、ご返信ありがとうございます。
残念ながら不完全性定理まわりはトンデモ言説・誤情報の溜り場になっていて、たとえ数学の(数理論理学以外の)他の分野できちんとした業績のあるかたが書かれた本とかでも、結構怪しい内容だったりすることがあるのですよねぇ・・・。いわんやネット上の情報をや、といった感じです。
残念ながら不完全性定理まわりはトンデモ言説・誤情報の溜り場になっていて、たとえ数学の(数理論理学以外の)他の分野できちんとした業績のあるかたが書かれた本とかでも、結構怪しい内容だったりすることがあるのですよねぇ・・・。いわんやネット上の情報をや、といった感じです。
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nouko
at 2013-07-22 22:24
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数ある啓蒙書の中で複数の専門家の方がすすめている(たとえば http://taurus.ics.nara-wu.ac.jp/staff/kamo/shohyo/logic-2.html)のは『数学ガール』の不完全性定理の巻なのですが、確かに(専門家のおめがねにかなうくらい)正確には書けているのは間違いないですし、画期的な啓蒙書であるとは思うのですが、しかし同時に、全く数理論理学の予備知識のない人があの本を読んだだけで不完全性定理を理解できるようになるか?と言われると正直かなり心もとないところがあると思います。特に最後のほうの章では突然難易度が急上昇するので、多くの人はそこで振り落とされることになると思います。とはいえそれ以外にオススメできる啓蒙書がないというのも事実でして・・・(私はきちんと読んでいないのですが、竹内さんの本も非専門家が書いたにしてはよく書けている、というのが専門家の方々の評価だったようです)。
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nouko
at 2013-07-22 22:24
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あと、私はぜんぜん「専門家」ではないのですよ~(^^;; 趣味で数理論理学を学んでいるものです。不完全性定理についてはまだ勉強中なのですが、不完全性定理に関する明らかに間違った言説が判別できる程度にはなってきた、という程度のレベルの人間であります。
私のような若輩者に丁寧なご返信をくださりどうもありがとうございました。
私のような若輩者に丁寧なご返信をくださりどうもありがとうございました。
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sakuraimac at 2013-07-22 22:57
noukoさん、どうもありがとうございます。ブログ上でこういう意見交換ができるのは、とても嬉しいことです。もしよろしければ、非公開モードで、何らかの情報をいただければ、Facebook などでも意見交換ができればと思います。
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『縮約(縮退)自然数』
at 2019-07-07 04:42
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≪…ゲーデルショックは、数学界、科学界に途方もないインパクト…≫や
≪…哲学は科学技術の進展にどういう影響を与えただろうかという問い…≫を、
『・・・ こんなことをいちゃなにをいっているかわからない・・・そのものが[数学]であり―≪…「<自明>なもの(こと)など、もはや存在しない!!」≫ということを自ら組み立てている道具そのものであるとの― [梵我一如] ・・・』
と[パラダイムシフト]して、あらためて、ライプニッツの《モナド》に『同定』できそうな
『(わけのわかる ちゃん)(まとめ ちゃん) (わけのわからん ちゃん)(かど ちゃん)(ぐるぐる ちゃん)(つながり ちゃん)』の[縁起]として[西洋哲学]と[東洋哲学](仏教)との[融合]は、どうでしょうか?
≪…哲学は科学技術の進展にどういう影響を与えただろうかという問い…≫を、
『・・・ こんなことをいちゃなにをいっているかわからない・・・そのものが[数学]であり―≪…「<自明>なもの(こと)など、もはや存在しない!!」≫ということを自ら組み立てている道具そのものであるとの― [梵我一如] ・・・』
と[パラダイムシフト]して、あらためて、ライプニッツの《モナド》に『同定』できそうな
『(わけのわかる ちゃん)(まとめ ちゃん) (わけのわからん ちゃん)(かど ちゃん)(ぐるぐる ちゃん)(つながり ちゃん)』の[縁起]として[西洋哲学]と[東洋哲学](仏教)との[融合]は、どうでしょうか?