2013年 09月 15日
日本の半導体産業と家電産業 |
日本の半導体企業と家電産業の苦境が,マスコミの話題となってから久しい。
私の会社時代は,テレビのLSI(半導体集積回路)の開発設計にかかわり、今、大学では「電子回路」「ディジタル信号処理」「集積回路設計」などという講義を担当しているので、日本の半導体産業やディジタル家電産業の敗退には本当に心が痛む思いがする。
その原因を分析する書籍も山のように出ているので、それらの論評に類した議論を繰り返すつもりはないのだが,1990年代に,LSIのシステム設計の現場にかかわって来た技術者の一人としての感想を,ちょっと記してみたいと思う。
昔の真空管やトランジスタの時代には、電子製品の設計・製造は個別部品の組み立てと密接に結びついていた。NHK発行の「テレビジョン技術教科書」には、回路のことが詳細に記されていたものである。
ところが、1970年代にはアナログ回路のLSI化が実現し、1990年代になるとディジタル化が進み、製品の機能のすべてがLSI(集積回路)の中に組み込まれるようになった。
このように、製品のシステムの基本機能がLSIのチップの中に組み込まれてしまうことを、システム・オン・チップ(SOC)と呼ぶ。
SOCの登場は、従来の電子機器(特にディジタル家電製品)の設計・製造のプロセスに大きな変化をもたらした。製品の使い勝手を決めるマイコンのソフトウェアの開発以外は、製品の中枢部の回路システム設計が、SOCの設計に取って替わられてしまうこととなった。
現在の、半導体産業およびディジタル家電産業の苦境の原因は、まさに、このSOC化にその原点を求めることが出来る。SOCの出現によって、テレビや携帯電話やデジカメなどのディジタル家電機器の製造工程は、Windows+Intel (Wintel) のパソコンの場合と極めて類似する形になってしまった。
パソコンを開発する事業部隊は、スタート時点から、Wintel の構造から事業をスタートしたので、製品開発の過剰投資を防ぎ、差別化のできる点にのみ特化する方針を、1980年代から貫いてきた。
一方、ディジタル家電の技術者達(私も例外ではなかった)や経営陣は、理屈では理解していても、体感的にその認識が希薄であったといえる。従来から蓄積されてきた日本製品のブランド力の優位性とそれに対する自信から、真剣なる改善への努力に力が入らなかったのは事実である。
日本のディジタル家電の優位性に頼っていた半導体SOCメーカも、大きな改善策の手を打つことができずに、今日まで来てしまった。(たぶん危機感は、家電メーカよりは、はるかに早くから持っていたと思うのだが)
そこに、2000年代に、韓国と台湾に、巨大規模の家電メーカ(サムスン電子)と半導体ファウンダリ(TSM)が出現して、一挙に状況は変化してしまった。その結果、この急激な変化に対応する準備ができていなかった、日本の家電メーカと半導体メーカは、大きな苦境に直面することとなった。
変化に対応できない日本メーカとか、経営が甘いという非難の声が、評論家やアナリスト達からは強いのだが、私は、それはちょっと違和感を覚えている。
例えば、韓国のサムスン電子は、パナソニックを手本として、長い時間をかけて必死にそれを追いかけて今の地位を築きあげてきた。また、台湾のTMCは、日本の半導体製造設備を大量に買い付けて、規模での生き残りを模索した結果、現在にいたっている。
また、飛ぶ鳥を落とす勢いであったアップル社も、ソニーを手本としてソニーのような製品を作りたいと努力を重ねてきた会社でもある。
そう考えると、日本のメーカの苦境は、先導者たるゆえの必然的な苦境であり、その経営戦略の誤りを声高に批判する声には、素直には同感できない思いがする。(例えば、シャープの堺工場の建設とか、パナソニックの三洋電機の買収などは、批判されても仕方ないことかもしれないが、それは全体の流れの中では、もはやささいな問題のような気がする。)
かつての自動車王国であった米国のデトロイトは見る影もなく寂れてしまった。さらに、それ以前は、米国は世界一の家電王国でもあった訳である。
日本としては、先導してきた産業の復活を必死に考えるのではなく(やめる必要はないが適正規模で生き残るとして)、新規事業の育成を本気に考えて、そこに人材が集まるように社会のしくみを変えていくことが、これからは一番、重要なような気がする。
このような発言をするのは、現在の自分の立場も含めて、過去に自分のしてきたことをすべて否定する訳なので、正直つらいものがある。
しかしながら、日本の将来を考えたとき、現在の若い学生達が、旧態以前とした大企業志向に走り、ベンチャー企業で失敗したときのセーフティネットがほとんど構築されていない今の状況は、日本の将来にとって、非常に好ましくないのではないかと、改めて心配になるこの頃である。
資源のない日本が、成り立っていくには、やはり新しい知的技術産業を起こして、そこに人材を集めねばならないと思うからである。
私の会社時代は,テレビのLSI(半導体集積回路)の開発設計にかかわり、今、大学では「電子回路」「ディジタル信号処理」「集積回路設計」などという講義を担当しているので、日本の半導体産業やディジタル家電産業の敗退には本当に心が痛む思いがする。
その原因を分析する書籍も山のように出ているので、それらの論評に類した議論を繰り返すつもりはないのだが,1990年代に,LSIのシステム設計の現場にかかわって来た技術者の一人としての感想を,ちょっと記してみたいと思う。
昔の真空管やトランジスタの時代には、電子製品の設計・製造は個別部品の組み立てと密接に結びついていた。NHK発行の「テレビジョン技術教科書」には、回路のことが詳細に記されていたものである。
ところが、1970年代にはアナログ回路のLSI化が実現し、1990年代になるとディジタル化が進み、製品の機能のすべてがLSI(集積回路)の中に組み込まれるようになった。
このように、製品のシステムの基本機能がLSIのチップの中に組み込まれてしまうことを、システム・オン・チップ(SOC)と呼ぶ。
SOCの登場は、従来の電子機器(特にディジタル家電製品)の設計・製造のプロセスに大きな変化をもたらした。製品の使い勝手を決めるマイコンのソフトウェアの開発以外は、製品の中枢部の回路システム設計が、SOCの設計に取って替わられてしまうこととなった。
現在の、半導体産業およびディジタル家電産業の苦境の原因は、まさに、このSOC化にその原点を求めることが出来る。SOCの出現によって、テレビや携帯電話やデジカメなどのディジタル家電機器の製造工程は、Windows+Intel (Wintel) のパソコンの場合と極めて類似する形になってしまった。
パソコンを開発する事業部隊は、スタート時点から、Wintel の構造から事業をスタートしたので、製品開発の過剰投資を防ぎ、差別化のできる点にのみ特化する方針を、1980年代から貫いてきた。
一方、ディジタル家電の技術者達(私も例外ではなかった)や経営陣は、理屈では理解していても、体感的にその認識が希薄であったといえる。従来から蓄積されてきた日本製品のブランド力の優位性とそれに対する自信から、真剣なる改善への努力に力が入らなかったのは事実である。
日本のディジタル家電の優位性に頼っていた半導体SOCメーカも、大きな改善策の手を打つことができずに、今日まで来てしまった。(たぶん危機感は、家電メーカよりは、はるかに早くから持っていたと思うのだが)
そこに、2000年代に、韓国と台湾に、巨大規模の家電メーカ(サムスン電子)と半導体ファウンダリ(TSM)が出現して、一挙に状況は変化してしまった。その結果、この急激な変化に対応する準備ができていなかった、日本の家電メーカと半導体メーカは、大きな苦境に直面することとなった。
変化に対応できない日本メーカとか、経営が甘いという非難の声が、評論家やアナリスト達からは強いのだが、私は、それはちょっと違和感を覚えている。
例えば、韓国のサムスン電子は、パナソニックを手本として、長い時間をかけて必死にそれを追いかけて今の地位を築きあげてきた。また、台湾のTMCは、日本の半導体製造設備を大量に買い付けて、規模での生き残りを模索した結果、現在にいたっている。
また、飛ぶ鳥を落とす勢いであったアップル社も、ソニーを手本としてソニーのような製品を作りたいと努力を重ねてきた会社でもある。
そう考えると、日本のメーカの苦境は、先導者たるゆえの必然的な苦境であり、その経営戦略の誤りを声高に批判する声には、素直には同感できない思いがする。(例えば、シャープの堺工場の建設とか、パナソニックの三洋電機の買収などは、批判されても仕方ないことかもしれないが、それは全体の流れの中では、もはやささいな問題のような気がする。)
かつての自動車王国であった米国のデトロイトは見る影もなく寂れてしまった。さらに、それ以前は、米国は世界一の家電王国でもあった訳である。
日本としては、先導してきた産業の復活を必死に考えるのではなく(やめる必要はないが適正規模で生き残るとして)、新規事業の育成を本気に考えて、そこに人材が集まるように社会のしくみを変えていくことが、これからは一番、重要なような気がする。
このような発言をするのは、現在の自分の立場も含めて、過去に自分のしてきたことをすべて否定する訳なので、正直つらいものがある。
しかしながら、日本の将来を考えたとき、現在の若い学生達が、旧態以前とした大企業志向に走り、ベンチャー企業で失敗したときのセーフティネットがほとんど構築されていない今の状況は、日本の将来にとって、非常に好ましくないのではないかと、改めて心配になるこの頃である。
資源のない日本が、成り立っていくには、やはり新しい知的技術産業を起こして、そこに人材を集めねばならないと思うからである。
by sakuraimac
| 2013-09-15 15:07
| 社会
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