2015年 01月 12日
2045年問題と人工知能 |
最近は、人工知能に関する話題をマスコミでもよく目にするようになった。日本ではまだそれほど大きくは取り上げられてはいないが、米国や欧州では、かなり大きな論議になっているようだ。
米国においては、Google をはじめとして有力なIT企業が人工知能の著名な研究者を集めその研究に大きな投資をしていることが注目されている。Google が招聘したレイ・カーツワイル氏は、この分野では著名な研究者であるが、様々な予測を的中させてきた研究者としても有名である。
カーツワイル氏は、現在の人工知能は指数関数的に発展し、2029年には人間の知能と同等になり(真のチューリングテストに合格する)、2045年には人間の全能力を大きく越える超知能が実現され、シンギュラリティ(技術特異点)が訪れると予言している。
シンギュラリティが2045年問題として話題になっているのは、機械が人知を超えてしまったら人間が機械に支配されてしまうのではないかという心配感と、それに至る前に人間の仕事がどんどんと機械に取られてしまうのではないかという不安感が原因になっているようだ。
特に後者の雇用問題はすでに現実の問題として起こり始めていることが米国では話題になっている。経済が好調で企業業績が回復しているのにもかかわらず、雇用状況はむしろ悪化しているという現実は、コンピュータによって人間の仕事が取って変わられているという事態が進行しているためではないかとの分析が行われている。
過去にも機械化が人間の職業を奪う歴史はあった。産業革命の蒸気機関、大量生産の自動化ライン、オフィスオートメーションなどは、その時点で失業者を産んできた。一方では、技術の革新は新しい産業を生み出し、新規の雇用機会をも創出してきた。
ところが、人工知能の場合は、あまりに進展が早すぎて、雇用創出が追いつかないと同時に、今までとは異なり人間の究極の能力である頭脳にかなり肉迫してくるので、新規の雇用は増えないのではないかという予測が論議の根底にあるようだ。
その辺の議論を、Facebookの友人たちの間でやっていたら、「2045年問題 コンピュータが人類を超える日: 廣済堂新書 」の著者である松田卓也先生から、色々な有益なコメントと貴重な資料の紹介を頂くことができた。
特に印象的であったのは、MITのチームが行った研究で、コンピュータによる人工知能によって取って変わられる職業は、トップとボトムの間の中間層であり、それはU字曲線を描くというものである(「機械との競争」:日経BP社刊) 。
トップとは、経営とか研究開発のような創造性が要求されるものであり、ボトムとは、家事とかウェイレスなどの日常的な業務ではあるが人間が機械化を望まないものである。その中間にある、法律、医療、証券などの分野は、ほとんどが人工知能の侵食を受けるという分析である。
これは、言われてみると、なるほどと思うところがある。例えば、最近の多くの医者は患者の顔も見ずに、検査結果のデータと画像を眺めて、結果をPCに打ち込むことに専念している。川柳の大賞に、「お医者様パソコン見ないでオレを見て」というのがあったが、思わずうなずく人も少なくないだろう。このような状況ならば、重大な病気でない限り開業医の仕事の90%はロボットでも代行出来るのではないかと言われても仕方がないような気がする。
証券トレーダーの仕事はすでに多くがコンピュータ化されており、ある企業の株が瞬時に大量売りされて株価が大暴落したのは、コンピュータがミスをした結果だという話しがある。また、法律事務所の弁護士の仕事でさえも、その大半は、実はコンピュータで代行できるので、弁護士もそういらなくなるだろうという予測も報告されている。
介護の現場も、人間相手とはいえ、多くは単純な肉体作業のようだ。有能な介護ロボットが出来ればかなりの作業の代行は可能になるに違いない。認知症の進展を遅らせるには、人間が相手をするより人工知能を持った会話ロボットの方が有効であるとの指摘もある。
過去の経験やデータから、ある種の法則にしたがって結論を出すような作業については、ビッグデータを解析して特徴を抽出するという人工知能の作業は、我々が常識から想像するよりははるかに多くの仕事ができるようになってきているようだ。
人間の脳の働きとコンピュータの仕組みは全く異なるので、機械が人間の脳に追いつくことは、とても出来ないだろうという感覚を持つ人は多いに違いない。しかしながら、機械(コンピュータ)が、愚直に計算を繰り返していった結果、人間の高度な知力を超えてしまった例も出てきた。その好例としては、チェスや将棋がある。囲碁も早晩そうなるであろう。
IBMの質疑応答システムのワトソンも有名であり、最近は企業において導入される例が報道されている(日本でもみずほ銀行のコールセンターへの導入が話題となっていた)。
Google が開発した自動運転は、6年前までは不可能と言われていた、混んだ道路での自動運転を実現してしまった。そこには、素晴らしい認識技術のブレークスルーがあったというよりは、膨大な地図情報のビッグデータを大規模に活用した結果であると言われている(上述の「機械との競争」)。
膨大な知識を持ち、それを何らかの形で活用すると、しくみは人間の脳とは異なっていても、量の効果によって我々が想像する以上に、人間の脳と類似のアウトプットが出せるようになってきつつあるようだ。カーツワイル氏の主張するように量が指数関数的に増大するのだとしたら、将来はどうなるのか想像ができないところがある。
人間は生物の機能を模擬しようとしながらも、全く別の形にてそれを実現してきた。馬の速さと力を目指した自動車は、車輪によって馬よりは遥かに優れた能力を持つ形で実現した。鳥を目指した飛行機は、ジェット機、はては宇宙空間に飛び出すロケットにまで進化した。それと同様に、人工知能が、人間の頭脳が物を考えるということを別の形で実現し、それを凌駕するように進化していくことを想像することは、そう的外れなことでもないような気もしてくる。
人間の脳とは同じような形ではなくとも、かなりの部分の知的作業の代行を人間の能力を凌駕する形で可能にすることになるのかもしれない。そのときに、我々に残される仕事は何なのだろうか。
上述の、MITのグループは、第一に教育を挙げている。確かに、自分の行なっている大学の授業は、実に30年前とほとんど変わってはいない。黒板にチョークで、毎年、同じ式を書いて学生はそれを写して、同じ試験を受けて卒業していく。
おそらく、作業現場の姿が、30年間も変わっていない知的職業というのは、そう無いだろうと、我ながら苦笑せざるを得ない。もちろん、レポートのペーパーレス化、成績集計の電子化などは進んでいるが、黒板と手書きのノートというのは、これに取って変わるものはあまり見当たらない。これは、決して我々教員の意識が遅れているとかサボっている訳では無い。PCやスライドの画面と、黒板の手書きの文字では、学生の基本能力の習熟の上での学習効果が全く異なるのだ。
子育てとか、教育だけは、どうも、効率化には不適切であり、また機械が代行出来る部分が極めて少ない分野のようだ。そういう職業に就いていることの、ありがたさを改めて実感するとともに責任の大きさも感ずるこの頃でもある。
<追記>
私は、人工知能は専門ではないので、傍観者として興味を持って皆の議論を眺めているだけである。
ただ、この分野の専門の研究者に聞いてみると、シンギュラリティの議論には、ちょっと距離を置いている人も日本では多いようだ。脳のニューロネットワークに関連した人工知能ブームは過去2回あり、今回は3度目である。今回のブームの発端は、Deep Learining と呼ばれる学習探索技術が著しい効果を示したことにある。機械学習の効率が上がっただけで、そんなにすごい技術ブレークスルーが生まれている訳ではないという醒めた見方をする人も少なくないようだ。
では、Google が何故あんなに熱心なのかというと、想像するに、彼らの意識の根底には、量を積み上げていけば、それが質を凌駕出来るという信念というか確信があるようにも見える。
これは、「東大にロボットは入れるか」というプロジェクトを推進している、国立情報科学研究所の新井紀子教授も似たような認識をもとにスタートされたようだ。その新井教授も、昨年の文藝春秋誌6月号において、コンピュータが人間の職業を奪うというテーマにて寄稿をして問題提起をしている。
我々は過去の経験からは想像が出来ないような世界にこれから向かおうとしているのだろうか。
それとも、第3次人工知能ブームもやはり一時的なブームに終わり、カーツワイル氏の言う指数関数的増加は様々な物理的な壁(これは電子工学が専門の私にもいくつか挙げることができるのだが)によって大きく減速して、人々の心配は杞憂に終わるのだろうか。
その将来の姿を色々想像してみることには興味が尽きない思いがする。
米国においては、Google をはじめとして有力なIT企業が人工知能の著名な研究者を集めその研究に大きな投資をしていることが注目されている。Google が招聘したレイ・カーツワイル氏は、この分野では著名な研究者であるが、様々な予測を的中させてきた研究者としても有名である。
カーツワイル氏は、現在の人工知能は指数関数的に発展し、2029年には人間の知能と同等になり(真のチューリングテストに合格する)、2045年には人間の全能力を大きく越える超知能が実現され、シンギュラリティ(技術特異点)が訪れると予言している。
シンギュラリティが2045年問題として話題になっているのは、機械が人知を超えてしまったら人間が機械に支配されてしまうのではないかという心配感と、それに至る前に人間の仕事がどんどんと機械に取られてしまうのではないかという不安感が原因になっているようだ。
特に後者の雇用問題はすでに現実の問題として起こり始めていることが米国では話題になっている。経済が好調で企業業績が回復しているのにもかかわらず、雇用状況はむしろ悪化しているという現実は、コンピュータによって人間の仕事が取って変わられているという事態が進行しているためではないかとの分析が行われている。
過去にも機械化が人間の職業を奪う歴史はあった。産業革命の蒸気機関、大量生産の自動化ライン、オフィスオートメーションなどは、その時点で失業者を産んできた。一方では、技術の革新は新しい産業を生み出し、新規の雇用機会をも創出してきた。
ところが、人工知能の場合は、あまりに進展が早すぎて、雇用創出が追いつかないと同時に、今までとは異なり人間の究極の能力である頭脳にかなり肉迫してくるので、新規の雇用は増えないのではないかという予測が論議の根底にあるようだ。
その辺の議論を、Facebookの友人たちの間でやっていたら、「2045年問題 コンピュータが人類を超える日: 廣済堂新書 」の著者である松田卓也先生から、色々な有益なコメントと貴重な資料の紹介を頂くことができた。
特に印象的であったのは、MITのチームが行った研究で、コンピュータによる人工知能によって取って変わられる職業は、トップとボトムの間の中間層であり、それはU字曲線を描くというものである(「機械との競争」:日経BP社刊) 。
トップとは、経営とか研究開発のような創造性が要求されるものであり、ボトムとは、家事とかウェイレスなどの日常的な業務ではあるが人間が機械化を望まないものである。その中間にある、法律、医療、証券などの分野は、ほとんどが人工知能の侵食を受けるという分析である。
これは、言われてみると、なるほどと思うところがある。例えば、最近の多くの医者は患者の顔も見ずに、検査結果のデータと画像を眺めて、結果をPCに打ち込むことに専念している。川柳の大賞に、「お医者様パソコン見ないでオレを見て」というのがあったが、思わずうなずく人も少なくないだろう。このような状況ならば、重大な病気でない限り開業医の仕事の90%はロボットでも代行出来るのではないかと言われても仕方がないような気がする。
証券トレーダーの仕事はすでに多くがコンピュータ化されており、ある企業の株が瞬時に大量売りされて株価が大暴落したのは、コンピュータがミスをした結果だという話しがある。また、法律事務所の弁護士の仕事でさえも、その大半は、実はコンピュータで代行できるので、弁護士もそういらなくなるだろうという予測も報告されている。
介護の現場も、人間相手とはいえ、多くは単純な肉体作業のようだ。有能な介護ロボットが出来ればかなりの作業の代行は可能になるに違いない。認知症の進展を遅らせるには、人間が相手をするより人工知能を持った会話ロボットの方が有効であるとの指摘もある。
過去の経験やデータから、ある種の法則にしたがって結論を出すような作業については、ビッグデータを解析して特徴を抽出するという人工知能の作業は、我々が常識から想像するよりははるかに多くの仕事ができるようになってきているようだ。
人間の脳の働きとコンピュータの仕組みは全く異なるので、機械が人間の脳に追いつくことは、とても出来ないだろうという感覚を持つ人は多いに違いない。しかしながら、機械(コンピュータ)が、愚直に計算を繰り返していった結果、人間の高度な知力を超えてしまった例も出てきた。その好例としては、チェスや将棋がある。囲碁も早晩そうなるであろう。
IBMの質疑応答システムのワトソンも有名であり、最近は企業において導入される例が報道されている(日本でもみずほ銀行のコールセンターへの導入が話題となっていた)。
Google が開発した自動運転は、6年前までは不可能と言われていた、混んだ道路での自動運転を実現してしまった。そこには、素晴らしい認識技術のブレークスルーがあったというよりは、膨大な地図情報のビッグデータを大規模に活用した結果であると言われている(上述の「機械との競争」)。
膨大な知識を持ち、それを何らかの形で活用すると、しくみは人間の脳とは異なっていても、量の効果によって我々が想像する以上に、人間の脳と類似のアウトプットが出せるようになってきつつあるようだ。カーツワイル氏の主張するように量が指数関数的に増大するのだとしたら、将来はどうなるのか想像ができないところがある。
人間は生物の機能を模擬しようとしながらも、全く別の形にてそれを実現してきた。馬の速さと力を目指した自動車は、車輪によって馬よりは遥かに優れた能力を持つ形で実現した。鳥を目指した飛行機は、ジェット機、はては宇宙空間に飛び出すロケットにまで進化した。それと同様に、人工知能が、人間の頭脳が物を考えるということを別の形で実現し、それを凌駕するように進化していくことを想像することは、そう的外れなことでもないような気もしてくる。
人間の脳とは同じような形ではなくとも、かなりの部分の知的作業の代行を人間の能力を凌駕する形で可能にすることになるのかもしれない。そのときに、我々に残される仕事は何なのだろうか。
上述の、MITのグループは、第一に教育を挙げている。確かに、自分の行なっている大学の授業は、実に30年前とほとんど変わってはいない。黒板にチョークで、毎年、同じ式を書いて学生はそれを写して、同じ試験を受けて卒業していく。
おそらく、作業現場の姿が、30年間も変わっていない知的職業というのは、そう無いだろうと、我ながら苦笑せざるを得ない。もちろん、レポートのペーパーレス化、成績集計の電子化などは進んでいるが、黒板と手書きのノートというのは、これに取って変わるものはあまり見当たらない。これは、決して我々教員の意識が遅れているとかサボっている訳では無い。PCやスライドの画面と、黒板の手書きの文字では、学生の基本能力の習熟の上での学習効果が全く異なるのだ。
子育てとか、教育だけは、どうも、効率化には不適切であり、また機械が代行出来る部分が極めて少ない分野のようだ。そういう職業に就いていることの、ありがたさを改めて実感するとともに責任の大きさも感ずるこの頃でもある。
<追記>
私は、人工知能は専門ではないので、傍観者として興味を持って皆の議論を眺めているだけである。
ただ、この分野の専門の研究者に聞いてみると、シンギュラリティの議論には、ちょっと距離を置いている人も日本では多いようだ。脳のニューロネットワークに関連した人工知能ブームは過去2回あり、今回は3度目である。今回のブームの発端は、Deep Learining と呼ばれる学習探索技術が著しい効果を示したことにある。機械学習の効率が上がっただけで、そんなにすごい技術ブレークスルーが生まれている訳ではないという醒めた見方をする人も少なくないようだ。
では、Google が何故あんなに熱心なのかというと、想像するに、彼らの意識の根底には、量を積み上げていけば、それが質を凌駕出来るという信念というか確信があるようにも見える。
これは、「東大にロボットは入れるか」というプロジェクトを推進している、国立情報科学研究所の新井紀子教授も似たような認識をもとにスタートされたようだ。その新井教授も、昨年の文藝春秋誌6月号において、コンピュータが人間の職業を奪うというテーマにて寄稿をして問題提起をしている。
我々は過去の経験からは想像が出来ないような世界にこれから向かおうとしているのだろうか。
それとも、第3次人工知能ブームもやはり一時的なブームに終わり、カーツワイル氏の言う指数関数的増加は様々な物理的な壁(これは電子工学が専門の私にもいくつか挙げることができるのだが)によって大きく減速して、人々の心配は杞憂に終わるのだろうか。
その将来の姿を色々想像してみることには興味が尽きない思いがする。
by sakuraimac
| 2015-01-12 22:27
| 科学技術
|
Comments(4)
人口知能の父と言われるマービン・ミンスキー他にサイエンスライターの吉成真由美さんがインタビューしている書籍「知の逆転」NHK出版を少し前に読みましたが、その中で吉成さんが「何故、東北大震災で被災した福島原発にロボットを送りこみ作業させることができなかったか?」と質問するとミンスキーは「30年間、AI研究は人型ロボットに執着しすぎてスリーマイル事故当時から進化していない。チェスには勝ててもドアさえ開けられない。」また、「昔のベル研のような長期的視野に立った研究に取り込む環境が失われつつあり、短期成果を学者・研究者は常に求められるようになった」と慨嘆されているのです。そう言えば、福島原発で種々のロボットの活用が試行されていたのをドキュメンタリーTVで随分前に見ましたが、現在、どうなっているのか何方か教えて頂けないかと思います。
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sakuraimac at 2015-01-15 00:03
jayjayさん、コメントどうもありがとうございます。「知の逆転」、よい本ですね。
ミンスキーは2つの事を言っていて、一つは人工知能の進歩が30年無いという事と、もう一つはロボットのハードウェアが人型にこだわり過ぎて来たという事だと思います。
人工知能における進歩が無いというのは事実のようで、新井紀子教授もまさにそれゆえに東ロボプロジェクトを起こしたと言っていますし、Google はそれを力づくで膨大なデータ処理で突破しようとしているのだと私は理解してます。
一方、ロボットのハードウェアが人型にこだわり過ぎてきたというのは、ちょっと違うのでは私は思ってます。産業ロボットは見えないところですごく発達していると思いますが、地味なのであまり目立たず、人型ロボットは面白いのでニュースになりやすいので目立つだけだと思います。
震災のときに役立つものが無かったというのは、まさに想定外の出来事だったので、今まではニーズが無かったし、仕様も分からず、また経済的効果も無いので開発が進んでいなかったからだと思います。国家が本格的に予算を出して援助すれば、何をどうすれば良いのかは分かったので、災害時に有用なロボットの開発は十分可能なのではないかと思われます。
これからこの分野がどう進むのかは、人工知能の研究者を集め、ロボットのハードウェアの会社を買いまくっているGoogleが一体どういう成果を出してくるのかを注視するのが一番なのではと思っております。
ミンスキーは2つの事を言っていて、一つは人工知能の進歩が30年無いという事と、もう一つはロボットのハードウェアが人型にこだわり過ぎて来たという事だと思います。
人工知能における進歩が無いというのは事実のようで、新井紀子教授もまさにそれゆえに東ロボプロジェクトを起こしたと言っていますし、Google はそれを力づくで膨大なデータ処理で突破しようとしているのだと私は理解してます。
一方、ロボットのハードウェアが人型にこだわり過ぎてきたというのは、ちょっと違うのでは私は思ってます。産業ロボットは見えないところですごく発達していると思いますが、地味なのであまり目立たず、人型ロボットは面白いのでニュースになりやすいので目立つだけだと思います。
震災のときに役立つものが無かったというのは、まさに想定外の出来事だったので、今まではニーズが無かったし、仕様も分からず、また経済的効果も無いので開発が進んでいなかったからだと思います。国家が本格的に予算を出して援助すれば、何をどうすれば良いのかは分かったので、災害時に有用なロボットの開発は十分可能なのではないかと思われます。
これからこの分野がどう進むのかは、人工知能の研究者を集め、ロボットのハードウェアの会社を買いまくっているGoogleが一体どういう成果を出してくるのかを注視するのが一番なのではと思っております。
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sakuraimac at 2015-01-15 00:36
追加のコメントなのですが、ロボットは頭脳と体から成り立ってますが、頭脳は人工頭脳というサイエンスから成っており、体はハードウェアなのでエンジニアリングから成っていると思います。ここで、サイエンスとエンジニアリングの差異が明確に現れます。
サイエンスは元々が人間の知的好奇心に基づいており、経済効果とはあまり関係の無いところで進みます。逆にどんなに世の中で求められていても、天才が何かのブレークスルーを発見しないと全く進まないという面があるかと思います。
一方、エンジニアリングの方は社会ニーズと経済効果にもろに直結しています。ニーズと経済効果があるとなればどんどんと進みます。
サイエンスとエンジニアリングが同居しているロボットというのは、その2つの対比を考える上でも非常に興味深いものだと思います。
その答えを、Google がどういう形で出してくるのかということにも、非常に興味が湧きます。
サイエンスは元々が人間の知的好奇心に基づいており、経済効果とはあまり関係の無いところで進みます。逆にどんなに世の中で求められていても、天才が何かのブレークスルーを発見しないと全く進まないという面があるかと思います。
一方、エンジニアリングの方は社会ニーズと経済効果にもろに直結しています。ニーズと経済効果があるとなればどんどんと進みます。
サイエンスとエンジニアリングが同居しているロボットというのは、その2つの対比を考える上でも非常に興味深いものだと思います。
その答えを、Google がどういう形で出してくるのかということにも、非常に興味が湧きます。
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sakuraimac at 2015-01-30 16:45
ナースさん、コメントありがとうございます。
体調は治ったのですが、まだしびれは取れません。きっと、何か原因はあるのでしょうが、今の医学では分からないのでしょうね。分からないものは皆、自律神経失調とか脳機能に問題があるとで、まとめて心療内科に行かされてしまう(笑)。
ナースさんは本当にナースさん(看護師さん)なのでしょうか? 治療を必要とする医療現場の大変さはよく聞きます。ただ、その一方では、大した病気でもない患者のグチを聞いて機械的に大量の薬を出すだけという、開業医の仕事もたくさんありますよね。たぶんロボットでよいのはそういう仕事だと思います。本当に治療が必要な医療はロボットでは絶対に代行はできないと思います。
たぶん、本当の医療の現場では、ロボットや人工知能は人間の仕事を補助して、医者や看護師さんの負担を軽減してくれるものだと思います。介護ロボットもきっとそうですよね。
日本では、ロボットに仕事を奪われるということに、あまり皆が騒がないのは、そういう感覚があるからなのではないかとも思っています。
ただし、気がつかずに仕事を奪われていたというケースも色々あるわけで、その辺が難しいところですね。
体調は治ったのですが、まだしびれは取れません。きっと、何か原因はあるのでしょうが、今の医学では分からないのでしょうね。分からないものは皆、自律神経失調とか脳機能に問題があるとで、まとめて心療内科に行かされてしまう(笑)。
ナースさんは本当にナースさん(看護師さん)なのでしょうか? 治療を必要とする医療現場の大変さはよく聞きます。ただ、その一方では、大した病気でもない患者のグチを聞いて機械的に大量の薬を出すだけという、開業医の仕事もたくさんありますよね。たぶんロボットでよいのはそういう仕事だと思います。本当に治療が必要な医療はロボットでは絶対に代行はできないと思います。
たぶん、本当の医療の現場では、ロボットや人工知能は人間の仕事を補助して、医者や看護師さんの負担を軽減してくれるものだと思います。介護ロボットもきっとそうですよね。
日本では、ロボットに仕事を奪われるということに、あまり皆が騒がないのは、そういう感覚があるからなのではないかとも思っています。
ただし、気がつかずに仕事を奪われていたというケースも色々あるわけで、その辺が難しいところですね。