理工系大学教員の随想録です。m.sakurai@ieee.org
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# by sakuraimac | 2013-12-23 09:26 | 文学 | Comments(1)
2013年 12月 15日

性善説と性悪説

会社に勤めていた頃、同僚に「○○さんは他人のいいところしか見ないのですね。」と言われたことがある。皮肉めいた忠告だったのだが、管理職につくときにはこれはけっこう重要なことだったのだなと、今でもこの言葉を時々思い出すことがある。(他人の欠点もしっかりと把握しておかないと、とんでもないところで、足をすくわれてしまうことがある。)

世の中には、他人の良い点に目が行く人と、欠点ばかりが気になる傾向の人の2種類があるようだ。(私は前者で、上記の同僚は後者のほうだったようである。)

他人を見る態度として、性善説と性悪説という言葉が時々使われる。他人の善意を信ずるか、信じないかという意味合いで使われることが多いが、語源の意味を調べると少しニュアンスが違うようだ。

性善説は、人間は生まれたときは無垢の善とも言うべき存在でありその後に悪を身につけていくとするものであり、性悪説は、人間は生まれたときは悪(利己的)であるが、その後に善を学んでいくとするものである。どちらも、人間の本性よりは、環境・教育の重要性を説いているのがその本来の意味合いのようである。

しかしながら、語源の意味合いはさて置いておいて、我々の関心事は、やはりその人の本性は何なのだろうか?という点に向かうのではないだろうか。

人気韓流ドラマの「トンイ」で、側室に昇格した主人公に対して、侍女が「何故あの者の罪を許すのですか。性根は変わりません。きっとまた災いを起こします。」と忠言するのに対して、主人公は「確かに、また裏切られるかもしれない。しかし私はあの者にチャンスを与えたい。かつて自分がチャンスを与えられてきたように。」と答える場面があった。

実社会においては、どちらの言い分も正しいに違いない。(なお、後者のような考え方をする人間は、優れた教育者になれても、トップリーダには向かないのかもしれないが。)

上記の会話の中で、「チャンスを与える」というのはとてもよい言葉だと印象に残っている。たまに遺伝子異常でどうしても悪いことしか考えられない人間もいるようだが、多くの人間は、より良くありたい、できれば人から好かれたいという欲求を持っているはずである。(これは、そのほうが当人にとって得になるからであり、性格が良いか悪いかという問題とは別のものと私は理解している。)

自分が向上できて生きがいを見出せるチャンスが与えられれば、程度の差こそあれ誰もが前向きに頑張るのではないだろうか。

一度失敗すると、そのチャンスはもう2度と訪れないという状況は、人を慎重かつ保身的で後ろ向きにしてしまう。今の日本の社会では、残念ながら、その傾向が色濃く残っている。企業社会では、まだまだ、ベンチャー企業の失敗者を救うセーフティネットが構築されていない。(米国シリコンバレーのベンチャー企業への投資においては、失敗の回数の多さもひとつの条件になるということを聞く。)
また、入口で正社員になれなければ、一生涯その格差は解消されない。再起のチャンスが非常に少ない社会なのである。

今の若者は覇気がない、チャレンジ精神が無いという話をよく耳にする。ところが、学生たちと直接に接してみると、私は、それはちょっと違うのではないかということを感じている。チャンスや目標を与え得ない社会構造が、一番の問題ないのではないだろうかと思うことが多いのである。

なお、米国でも安定性を求めて公務員を志向する学生もたくさんいるのだから、覇気やチャレンジ精神を全員に求めるのは無理なことは明らかである。ただし、そのような素養のある貴重な数少ない若者に、チャンスを与えられないこと、そして育てられていないことが、今の日本の非常に大きな問題なのだと感ずる。

さて、余談が長くなってしまったが、話を戻して、私自身は性悪説か性善説のどちらを信じているのだと問われれば、たぶん性悪説者だろうと思う。
冒頭の同僚に言わせれば、私は人のよい性善説者だと言うだろうが、私自身の主観から言えば、大多数の人間は基本的には自分の利益によってしか動かないと考えているので、性悪説者なのだろうと思う。

また、目前の利益と長期の利益(自己実現をし人に好かれて自分が幸福になる)の違いを悟るには、経験を積んで学ぶ必要もあると思うので、言葉の本来の意味に即してもやはり性悪説者となってしまう。(他人の善意を信じないという意味での性悪説とはちょっと違うのだが。)

<付記>
善意ということに関して少し付記しておきたい。例えば、危険にある見知らぬ子供を自分の身も顧みずとっさに助けるというのは、理屈を超えた人間の善性とも言えるだろう。隣人への親切も、不幸な人を助けて寄付やボランティアに参加するのも善意だろう。これらは純粋なものであり否定される余地はない。そういう無私の善意というものの存在は、私は信じている。

ただし、それは、どちらかというと例外的なもので多数派ではないとも思う。キリストが「罪なき者のみ石もてこの女を打て」と問うたとき、自分の心の中のうしろめたさに気がついてひとりひとり群衆が去っていくという有名な場面が聖書にある。それが平均的な人間の姿というものなのではないだろうか。(大衆の良心を覚醒させたキリストとは対照的に、大衆の良心を麻痺させた代表がヒトラーだったのではないだろうか。)

<蛇足>
蛇足ではあるが、上記の聖書の話に関連してどうしても思い浮かんでくる、正義感というものにも、ここでついでに触れておきたい。(本題からははずれるが、理系の私には発言する場が無いのでお許しのほどを)
正義感というのは、悪や不正や矛盾に憤る心情でのことであるが、それは無条件には肯定できない側面を持っている。
正義感が社会の不正をただし良い方向に向かわせるという例も少なくはないだろう。しかしながら、歴史を見てみると正義の名分のもとに(あるいはその名を利用して)行われた人間の非情なる悪業の、あまりの多さに慄然としてしまうことがある。

理想社会の実現を目指して20世紀に突如として生まれた共産主義革命は、人々のいだいた正義感と理想主義への期待とは全く裏腹に、言語に絶する悲惨極まりない多くの悲劇を世の中に生み出してしまった。古くは十字軍から始まり、中世の異端審問と魔女狩り、そしてフランス革命に代表される数々の民衆革命においても、そこで正義の名のもとに行われた残虐非道は数知れない。

日本での、昭和の軍部の独走に勢いをつける元となった、2・26事件を起こした青年将校たちは、皆、純真な正義感のもとに行動していた。決して悪い心を持っていた訳ではない。しかしながら、結果は日本を戦争へと導く大きな力となってしまった。そこに、正義というものの恐さがある。

人間は欲得づくの元で動き、それに若干のうしろめたさを感じている間はそんなにひどいことにはならない。ところが、正義の名分を与えられてそれを信じ込むと、どんなに残虐非道なことでも迷わずやってしまう。

欲得=悪 and 正義=善、という方程式は絶対に成り立たないのが人間の生きる社会だということは、歴史がはっきりと証明していると思う。
「欲得」はごく単純で目に見えるものなので、本人がそれを自覚している限りはあまり危険視する必要は無い。欲望を制御する社会ルールは人類が長年かけて作り上げてきた。
しかしながら、「正義」という概念は、時としてルールを力で根底から覆す力を持つ。それゆえに、それは本当に正しいものなのだろうかと、冷静になってとことん疑ってかかる姿勢というものが、我々には必要なのではないかと思うのである。

欲得を否定し、正義を標榜するものは、そこに悪意は無いにしても(むしろ無いがゆえに)、大きな危険性を内包している可能性があると疑ってかかってまず間違いはないと思う。自分が理性のある人間だと思うのなら、正義を安易に信じてその快感に酔ってはいけないのだ。(キリストに言われて気がつく前に)


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# by sakuraimac | 2013-12-15 17:41 | 人生 | Comments(0)
2013年 12月 09日

無限について

電子工学の講義をしているとき、学生に説明しながら、いつも何か引っかっている式がある。それは、インパルスを表すデルタ関数δ(t)である。式で書くと以下のようになる。

δ(t)=0 : for t≠0、δ(t)=∞ : for t=0
∫δ(t)=1

これは、どの教科書にも書いてある式なのだが、いつも私は何か違和感を覚えながら黒板に書いている。t=0 でのみ∞の値を取るなどということは、どうにも直感的には考えにくい。t=0ではなく、微小有限幅を持ったt=-Δt~+Δtで考えるべきであり、∞はある上限を持った有限値(1/2Δ)と読み替えて私は内心理解をしている。

もう一つ、よく黒板に書く式にフーリエ変換の式がある。

F(jω)=∫f(t)exp(-jωt)dt

これは、時間積分の式であるが、積分範囲はマイナス∞からプラス∞である。これも、何かしっくりこない。時間には限りがあると考えるのが自然である。有限ではあるが、すごく大きな値と読み替えて、∞という記号は便宜的に借用しているものと私は理解している。

特に実害はないので、気持ちは悪いが∞という表現はそのまま使っている。(なお、アナログ信号をディジタル化しDFT(ディジタルフーリエ変換)まで話が進むと無限の問題は消える。従って、コンピュータの世界に入ってしまうと無限の話を引きずることはないのであるが。)

ところで、日頃自分の心のなかでくすぶっていたこの無限の問題に、たまたま明示的な形で直面したのが、先日ブログに書いたオイラーの自然数の無限和の公式の話である。

1+2+3+4+….=-1/12 という世にも不思議な公式である。

自然数の無限和が∞ではなく-1/12に収束するなど、そんな馬鹿なことがあるのだろうかと以前のブログ「オイラーの公式の謎」に書いた。そうしたら、数学の専門家らしき方が見つけてくださり、「それは無限和に対する定義の違いから発生するものなのだ。」というコメントを書き込んでくださった。

http://sakuraimac.exblog.jp/19944849

Twitterでも紹介してくれたので、その日一日で、私のこのマニアックなブログ記事へのアクセス件数がいきなり104件も発生したのでビックリしてしまった。

以来、技術者の私としては、以前から気持ちが悪くてしかたがなかった無限というものについて、少し調べて考えてみようという気になり、無限に関する数学と物理の本を読み始めた。

まだ勉強途上ではあるのだが、無限という概念は、昔から哲学・数学の分野では色々な人々が考え議論してきたようである。
ただ、物理学や工学の世界での無限と、数学の世界での無限では意味合いがどうも少し違うようだ。

物理学や工学では自然を相手にしており、手に負えないくらいの大きな量や数が多いものは、あまり深くは追求せずにとりあえず無限として表現する。しかしながら、その背後では、無限とは言いつつも、実際にはどこかで有限値となるだろうと、暗黙裏に解釈しながら無限という言葉を使っているフシがある。

ところが、数学の世界では、無限は純粋に無限である。したがって、無限に関しては、深い考察がなされ、数多くの研究者たちが、その解明に取り組んできた。また、無限の定義に関しても色々な試みが行われてきた。(前述のブログへのコメントも、無限はひとつの定義だけでは表せられないということを教えてくれたのだと思う。)

数学は物理学とは密接な関係があり、相互に大きな影響を与え合いながら発展してきたという歴史がある。物理学にとっては、数学は絶対なる信頼感のおける最高のパートナーである。物理学の上に成り立っている工学も同じである。したがって、数学に対して疑問を持つということは、我々にとっては、普通はまず有り得ないことである。

しかしながら、無限に関してだけは、ちょっと事情が違うような気がする。自然科学(ここでは物理学と工学をとりあえず考えているのだが)は、自然現象を解明するものであり、当然、完璧な論理を求める数学とは異なるものである。
あくまで、自然界に存在するものの解明が目的であり、自然界に存在しないものは、研究の対象とはならない。(人間の直観では存在は想像すらされなかったものが、数式によって予言され、後から自然界において発見されたという実例が数多くあることは事実であるとしても、やはり存在するということが大前提である。)

その観点からすると、「数学の世界で定義されるある種の無限というものは、自然界には存在せず、数学における無限の概念を、そのままそっくり自然科学に適用するのは間違いなのではないか?」という、素朴な疑問が私には湧いてくるのである。

その好例が、オイラーの無限和の公式、1+2+3+4+….=-1/12 なのではないかと思う。誤解を恐れずに言えば、この式は数学の世界の無限に関する一種の遊戯であり、自然科学にとっては、実在しない無意味なものではないか?という疑問である。

大栗博司先生が、自然科学である「超弦理論」の次元の説明に、数学の無限に対するある種の定義から生まれてきた公式、1+2+3+4+….=-1/12 をそのまま使うのは、不適切なことではないのかと、誠に恐れ多いことながら浅学シロウトから問題提起をしてみたい思いがしている。

ただし、私の考えは間違いであり、数学の無限の概念に基づく現象が、自然界でも存在するということが、実証される日がいつか来るのかもしれない。それが実証されるとしたら、おそらく超弦理論によるものになると想像されるのだが、こればかりはシロウトの私には全く予想がつかないことであるのだが・・・。


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# by sakuraimac | 2013-12-09 06:34 | 科学技術 | Comments(0)
2013年 12月 02日

就職活動2014

今年も就職活動の時期になった。就職情報をこのブログで書くのはあまり気が進まないのだが、学生からのアクセスがいつも多いので、今年も情報としてちょっと載せてみる。

雑誌AERA(12.9号)に、主要企業102社に求める人材条件をアンケートした結果が出ている。それによると企業の求める人材能力の10位までは以下のようになっている。

1. 行動力(89社)
2. コミュニケーション能力(85社)
3. 積極性(80社)
4. 向上心(78社)
5. やる気・モチベーション(73社)
6. 柔軟性(67社)
7. 責任感(64社)
8. 基礎学力(62社)
9. ストレス耐性(46社)
10. 問題発見能力(44社)

また、経験については、
1. 部活動経験(74社)
2. サークル経験(70社)
3. 研究・学業に取り組んだ経験(67社)
4. アルバイト経験(66社)
5. 留学経験(63社)

昨年までは圧倒的な1位だったコミュニケーション能力が2位に後退して、行動力が1位となったのが印象的である。企業活動がより活発になってきたという証なのだろうか。1~5位まではとにかく前向きな積極性が求められている。
ただし、これらは理系と文系を合わせたものなので、ちょっと見方には気をつけなくてはならない。理系の研究開発職では、経験の項目3. の研究・学業に取り組んだ経験、をかなり重視する会社も少なくない。(研究や勉学についてきちんと説明ができないと、威勢のよいハッタリだけでは乗り切れないのである。)

就活成功者の話として、エントリーシートを書く際の体験談が載せられている。0歳から現在にいたるまでの自己分析シートを作成したというのだが、そのときに家族からの情報が非常に大きかったという。家族の協力も重要なのだ。

あと大切なのは、OB訪問であり、できるだけ社会人と接する機会を多く持つべきという意見も多い。

さて、エントリーの関門をくぐり抜けると、面接の本番が始まる。学生にとっては初めての経験であるが、これが中々大変である。大学の就職室における指導もあるが十分とは言えない。書店のマニュアル本などは読まないでほしいという企業担当者もいる。

まさか、研究室で研究指導教員が指導する訳にもいかないし(ひょとしたら必要なのかもしれないという思いが頭をかすめる昨今でもあるのだが)、うまい方法は中々無い。ただ、参考になる提言として、友人数人でグループを作って練習をすればよいというものがある。他人の欠点というのはよく見えるものなので、お互いに指摘し合うというのは理にかなっている。
面接官も友人も同じ人間、他人に好印象を与えるという意味では、人間評価の基本原則にそう大きな差はないと思われる。これは、学生諸君もぜひ参考にしてほしいところである。

なお、教員の立場としては、研究室の学生たちが、研究をそっちのけで就活に没頭するのは、正直のところ決して嬉しい話ではない。共同研究などでは進行が停滞してしまい非常に困ってしまう。だが、彼らにとっては一生の問題。我々としては、もはや仕方がないものとあきらめざるを得ない。

修士1年生は、皆、希望がかなってHappyに就職が決まって、早く元気で研究活動に戻ってきてほしいと願うのみである。

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# by sakuraimac | 2013-12-02 18:37 | 教育・大学 | Comments(0)
2013年 11月 27日

経済学は科学か?

今年のノーベル経済学賞がまたもや物議を醸しているという記事(週刊東洋経済誌 11/2 号)を見て、ずっと気になっていたので、ちょっとここに記して見たい。

二つの全く相反する学説が同時に受賞したというものであるが、これに関連して同記事は、ノーベル経済学賞というものへの疑問点をあげている。それは2点あって、ひとつは「科学」であると言う印象を与えるとそれが無条件で正しいものとして人々に受け入れられてしまうという問題点、もうひとつはそれが「政治的」価値判断から中立であるかのように認識されてしまうことの危険性である。

私は経済学は全く門外漢なので、それを論ずる資格も知識も自分にはないことは十分自覚している。

ただ、この記事を読んで、どうしても思い出すのが、マルクス経済学のことである。
マルクスが提唱しエンゲルスが普及して、多くの知的人々を魅了したのは、「科学的」な唯物史観と、「政治的」な階級闘争であったと思う。
その思想をベースにして生まれた独裁共産主義というものが、20世紀においてどれだけの多くの人々に被害を及ぼしたかを、はっきりと指摘する論評を一般にはあまり見かけないのは、社会学・歴史学には全くシロウトである私にはずっと不思議で仕方がなかった。

私の乏しい聞きかじりの知識で不正確かもしれないが、レーニンとスターリンがソ連で粛清した自国民は2000万人以上とも言われている。毛沢東の文化大革命のもとで殺された中国の人々は、2000万人~6000万人?、ポルポト共産政権が殺した自国民は200万人、また、アフリカの各地における悲惨極まりない内戦の背景には、旧ソ連が推進したアフリカ諸国の共産化の影響が色濃くあったことは以前から指摘されている。また、中国共産政権が周辺諸国に対して行った暴挙での犠牲者も決して無視はできない。

共産主義の名のもとに殺された人々がどれだけいたかということは、何故、歴史学者はちゃんと数えて皆に示さないのだろうか。ナチスのユダヤ人600万人の虐殺は世紀の悪業と喧伝されるが、共産主義の名のもとに行われた悪業によって死んだ人々の数は、シロウトの私の目から見ても、明らかにそれよりは1桁は多いように感ずる。(1説には1億人という話さえある。)

そのことを思い出すと、冒頭の東洋経済誌の批判、すなわち、経済学が「科学」と「政治的」中立性を装うことの危険性への指摘は実にもっともな正論だと思う。

専門家たちはそんなことはもう十分に分かっているのかもしれないが、問題は一般のシロウトに近い人々が、自分の日常生活に直結する経済や政治というものを、どのように感じて理解するのかということなのだ。

本文はノーベル経済賞の話から、いきなり共産主義に飛躍して、自分勝手な議論を展開しただけかもしれない。
共産主義の悲劇は経済学のせいではなく、階級闘争という概念が、人を殺すことに正義の名分を与えてしまった結果と言うべきなのだろう。しかしながら、そのことに多くの知識人(およびマスコミも)が気がつかなかったのは、マルクス経済学の科学性への幻覚が原因のひとつであったというのも事実なのではないだろうか。
検証と再現性の確認のできない経済学は、いかに数学を駆使したとしても、本質的に科学とは言えないと思う。同時に経済学は政策に影響を与える政治的な側面を常に内包せざるを得ない。
その政治とは切り離せない経済学が、あたかも科学のような再現性のある真理であるとの印象を人々に与えることの危険性は、過去の共産主義の大げさな例を持ち出すまでもなく、リーマンショックの一因となった金融工学の例からも学ぶことができるのではないだろうか。



# by sakuraimac | 2013-11-27 18:51 | 社会 | Comments(3)
2013年 11月 20日

半導体技術と集積回路

自分が大学で受け持っている授業のひとつに、「集積回路設計」というものがある。

現在のIT・情報通信の発展と、それが我々の生活に及ぼす影響には著しいものがあるが、それらの基本原理というものは、20世紀半ばのチューリング、ノイマン、シャノンらによってほぼ完成されている。IT・情報通信の分野では、全く新しい基礎概念というものは、この半世紀間にはほとんど生まれていないような気がする。(インターネットは例外かもしれないが)

IT・情報通信技術が、我々の生活を大きく変えるようになったのは、集積回路の驚異的な発達に非常に大きく依存している。「集積回路設計」の講義の前に、いつもスライドで学生に説明していることがある。それは、1946年に作られた世界初のコンピュータENIACと、今日、我々が日常生活で使っているノートPCとの比較である。

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コンピュータの基本原理は変わっていないが、ENIACとノートPCの能力差は、4桁から7桁にも及ぶ。これらのものすごい数値を実現しているのは、わずか1Cm四方のシリコンチップ上に、数億個ものトランジスタを集積した大規模集積回路(LSI)のおかげである。
数億個の素子といっても、ちょっと普通の人には想像がつかないと思うが、1個のトランジスタ素子の大きさが、電子顕微鏡で見られるウィルスよりも小さいと言えば、そのイメージを思い浮かべる手助けになるかもしれない。

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このLSIを作るための技術というものには、この半世紀間の研究および技術開発者達のものすごい知恵が詰まっている。講義をしているときにも、その技術のすごさに自分自身が思わず感嘆してしまうことがある。

この驚異のLSI技術の発展に大きく貢献し、大規模な産業として育ててきたのは日本である。1980年代の日本の半導体メーカは世界を席巻していた。上位10社の中では日本のメーカは実に6社が占めていた。ところが、時代は変わりその30年後の今、日本の半導体メーカは苦難に直面し、事業撤退と大規模リストラの嵐に見舞われている。

講義では、日本の半導体産業の歴史も学生に紹介しているだが、さすがに今年はその紹介にも躊躇してしまう。

半導体技術は、まだまだ飽和には達しておらず、3次元LSI、SiC(炭化ケイ素)など次世代の技術が控えている。しかしながら、事業面での規模の競争に勝てずに、日本メーカーの撤退があいつぐ。これだけの素晴らしい技術を持っていながら、その技術者たちが路頭に迷うなどということは、誠に残念極まりないことである。

大手企業のリストラはマスコミをにぎわしており、もう日本の半導体産業は将来は無いような論調もある。ただし、実はその一方では、健闘している日本メーカも少なくない。その一端をちょっとここでは紹介してみたい。(主な出典は日経エレクトロニクス誌 2013-11-11号)

1. 東芝セミコンダクター社:
国内1位、世界でも6位の地位を保っており、NANDフラッシュメモリでは、サムスン電子と互角の勝負をして大健闘している。半導体の中途技術者も大量に採用しており、日本の半導体企業の最大のホープである。

2. デンソー:
絶好調の自動車産業(トヨタ)の電子化にともない、半導体技術者を大量に採用している。苦境にある富士通セミコンダクター社の岩手工場を社員ごと買収している。

3. ジェイデバイス:
各社がもはや不要とする国内各地の後工程拠点を次々と買収し、国内最大の後工程メーカ(OSAT)となっている。台湾勢がひしめくOSAT業界において、トップ5の地位をねらう。

4. ソニー:
デジカメやスマホのカメラのCMOSセンサーでは、世界で30%の圧倒的シェアを占めるトップメーカである。需要増に備えて、苦境にあるルネサスの鶴岡工場の買収を検討中。

5. エルピーダメモリ:
財政破綻で、米国Micron Technology 社に買収されたが、モバイル用のDRAMが好調であり、エルビーダ社員は一人も解雇されておらず、Micron+旧エルピーダは、サムスン電子を追い世界一の座を狙う規模の会社となった。(坂本幸雄社長は退陣したが、私は彼はりっぱだったと思う。)

こういう元気のある半導体メーカの話を聞くと少しホッとする。集積回路の講義は学生の将来に役に立つのだろうかという、私のかすかな不安感も払拭される。日本の半導体産業の復活を心から願う思いである。

今日も、集積回路の中でも最も重要な、MOSトランジスタの動作解析という部分の講義を終えて、講義資料のスライドを貼り付けてこの記事を書いている。半導体産業の復権を願いつつ。



# by sakuraimac | 2013-11-20 23:08 | 科学技術 | Comments(2)
2013年 11月 10日

オイラーの公式の謎

大学で電子工学の授業をしていると、黒板に書く回数が最も多い式のひとつに、下記の有名なオイラーの公式がある。

e^ix=cos(x)+i×sin(x) (1)

これは、三角関数と自然対数の底eを複素数の領域で結びつけるもので、理工学の分野では広く用いられている重要な公式のひとつである。ちなみに、小川洋子の小説「博士の最も愛した数式」に出てくる、e^iπ+1=0 はこのオイラーの公式において、x=πと置いたものである。

オイラーは、膨大な数学上の業績を残しており、その全著作はまだ完成していないという偉大な数学者であり、数々の有用な公式を残している。

ところで、前々回、「超ひも理論」の項で紹介した入門書「超弦理論入門」の中で、大栗博司先生は、次の式を、オイラーの公式のひとつとして紹介している。

1+2+3+4+….=-1/12 (2)

この式に基づいて、極微の弦の世界の次元数が9次元になることを説明しており、付録には上記の数式の証明を詳細に紹介している。

これには、私は大変驚いた。自然数を無限に足していって、その結果がマイナスの数になるなどというのは常識では信じられないことである。高校では、1+2+3+…+n=n(n+1)/2 と習った。ここで、n→∞とすれば、右辺は∞になるに決まっている。それが一体どうして-1/12などという数になるのか?

これは一体何なのだと思って、調べ出したら、色々な話が出てきてますます驚いた。2007年頃に朝日新聞とテレビでこのオイラーの公式が紹介されて、ネット上でもずいぶんと話題となっている。ただし、話題となった割には、数学の専門家のサイトを捜しても、何だか話がはっきりしない。答えは∞か-1/12のどちらかという単純な話なのだから、どうしてもっとスッキリした説明が無いのか不思議になってくる。

気になって仕方がないので調べてみた結果、皆の見解は次の4つに大別できるようである。

① 1+2+3+4+….=-1/12 は間違いでウソである。(特に理由は記されていない)
② ζ(-1)= -1/12となるので、収束すると解釈すると、1+2+3+4+….=-1/12は正しい。
③ ζ(-1)= -1/12となるがこれは拡大解釈なので、1+2+3+4+….=-1/12は正しくない。
④ ζ(-1)= -1/12+∞なので、1+2+3+4+….=-1/12は正しくない。

何かよく分からないのであるが、まずは数式が呈示されているので、とりあえず以下に書いてみる。

複素ゼータ関数ζ(s)は、次のように定義される。

ζ(s)=Σn^(-s)=1^(-s)+2^(-s)+3^(-s)+4^(-s)+……. : Re(s)>1 (3)

これを、条件Re(s)>1を無視して、s=-1 と置くと、以下のようになる。

ζ(-1)= 1+2+3+4+…. (4)

そこで、②~④にはζ(-1)という表現が出てくるのであるが、条件Re(s)>1を無視するのは明らかに正しくないので、このままではζ(-1)は意味がない。ところが、複素関数の解析接続という概念を用いると、ゼータ関数の条件が拡張されて、ζ(-1)が意味を持つようになる。この解析接続という概念がシロウトの私にはよく理解できていないのだが、数学書では正しいとされているようなので、そのまま信用するとする。その解析接続された式は以下のようになる。

ζ(s)=2^sπ^(s-1)sin(πs/2)Γ(1-s)ζ(1-S) (5)

上式において、s=-1 とすると、以下の計算数値が出てくる。

ζ(-1)=-1/12 (6)

式(4)と式(6)を等しいと置くと、式(2)が出てくるという訳である。ここまでは、どうやら、数学的には間違ってはいないようだ。

ところで、高校で習ったように、

1+2+3+4+….+n=n(n+1)/2 (7)

である。ここで、n→∞とすると、当然式(7)は∞となる。

ということは、自然数の無限和1+2+3+4+….には、∞と-1/12の2つの解があることになる。これは一体どういうことなのか? 数学はシロウトの私にはさっぱり訳が分からない。そこで、色々調べた結果が、上記の①~④の皆の見解である。ますます私には分からなくなる。

ただし、何となく雰囲気的に、式(2)の表現は間違いであるとの意見が多いようだ。
では、式(6)はどうしてくれるのだ、という問いには誰も明確には答えてはくれない。しかも、大栗先生は、皆が間違いだという式(2)を堂々と使って、超弦理論の次元数の説明をしている。大栗先生ほどの専門家が間違ったことを書くはずはない。

これは一体何なのだろうか?

近年私の出会った事柄の中で、これは最大級の摩訶不思議な謎である。もう少ししつこく探求し続けていきたいと思っている。

なお、以下は参照したWebサイトの一例である。本当は解析接続の専門書をきちんと読まねばいけないのだろうが・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/1%2B2%2B3%2B4%2B%E2%80%A6

http://d.hatena.ne.jp/nokiya/20120121/1327159644

http://www.geocities.jp/ikuro_kotaro/koramu/346_zeta.htm

http://samidare.halfmoon.jp/mathematics/ZetaAnalyticContinuation/


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# by sakuraimac | 2013-11-10 21:21 | 科学技術 | Comments(35)
2013年 11月 03日

美顔の研究

画像関連の学会の研究テーマを見ると、最近は人間の顔に関する発表がずいぶんと多い。顔の検出、顔認証、骨格解析、ディジタル化粧など様々であるが、人間生活における顔の画像処理に関するニーズというものがいかに増えてきたかということが実感される。日本には日本顔学会というものが10数年以上も前から設立されており、これも大変盛況である。

最近、我々の画像研究のひとつとして、顔の画像処理、それも特に美顔処理というテーマを起こした。特に目新しい話題ではないのだが、我々の持っている高性能のノイズ除去と超解像技術を人間の顔に応用したらどうなるだろうか、という軽い気持ちから始めてみたものである。

ところで、美顔処理という研究テーマを起こすためには、まず美しい顔とは何かということを知っておく必要がある。そこで、少し美顔についての過去の研究を調べてみた。

人の顔に関する一番古い研究としては、1879年にゴールトンが提唱した平均値仮説がある。多くの顔の写真を重ね合わせていくと、美男・美女になるというものである。この研究は経緯が面白い。犯罪者の顔を集めて重ねていくと悪い特徴が強調されて究極の犯罪者の顔が現れるだろうというのが研究目的であったのだが、結果は全く逆となり美男子顔が生まれてしまった。その実験結果が元となって、平均的な顔を人間は美しく感ずるという平均値仮説が提唱される。
その後は、対称顔仮説、幼児顔仮説などが提唱されたが、これらはあまり大きな説得力を得なかったようであり、その後はあまり有力な仮説は出ていないようだ。

最近の美顔研究としては、年齢変化による特徴量の検出、コンピュータグラフィックによる構造変化、魅力度に関する調査などの研究が主なところになっているようである。

一方、学術的なものとは別に、実用的な意味で最も熱心に美顔の構造を研究しているのは、美容整形医であろう。高須クリニックでは、美しい顔の形状比率について詳しい解説を公表している。

http://www.takasu.co.jp/topics/beautytheory/check.html

これは、理論というよりは、美容整形の経験から得られた理想数値というものであろう。

一方では美顔というのはかなり主観的な部分もあるだろうから、一般の人々が、美顔に対してどういう条件をあげているかを調べておく必要もある。日本における美人のひとつの調査結果としては、次のような統計結果が公表されている。
1.ハリのある若々しい肌
2.バランスのよい体型
3.歯の美しさ
4.ツヤのある髪
5.透明感のある肌
肌に関するものが2つ上位に来ているのが特徴的である。

一方では、整形外科の顔に関する施術項目を見ると
1.目(二重まぶた、目もと)
2.肌(しわ、たるみ、にきび、毛穴、しみそばかす、ほくろ)
3.鼻
4.口(口もと、くちびる)
5.あご輪郭
6. 歯
となっている。ここでも肌に関するものが非常に多いのが特徴的である。

さて、ここまで調べた結果、顔の構造を変化させない範囲での顔写真を美顔処理する研究のターゲットとしては、
① 肌の補正
② 目・髪の毛・鼻・口の補正
の2つに絞ってみるのがよさそうとの結論に至った。

①に関しては、高性能のノイズ除去の技術が、②に対しては超解像処理の技術を応用できそうである。詳しいことは、まだ公表できないが、もしもうまくよい結果が出たら学会発表でもしてみたいと思っている。

なお、今まで、堅い目的の画像処理の研究に特化してきたのだが、年も顧みず、急にこういう柔らかいテーマに興味を持つようになってしまったことに、自分自身が苦笑してしまうこの頃でもある。

<蛇足>
美顔調査のついでに、ちょっと、遊び心を出して日本の女優さんの美人アンケートを取ってみた。私の知り合いネットワークには限りがありいい加減なものではあるが、結果は以下のようになった。(学生達の好みはまだ調査はしていないが)
北川景子 14票
深田恭子 9票
新垣結衣 9票
佐々木希 7票
桐谷美玲 5票
綾瀬はるか 4票
沢尻エリカ 2票
美人というのと好きというのは区別するのが難しいのであるが(学会でも好感度という用語がよく使われている)、上記の人たちが、高須クリニクの美顔比率基準にどれだけあてはまるのかということは、ちょっと興味が湧くところでもある。(私の専門の情報通信工学とはかけ離れた分野であるが・・・)

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# by sakuraimac | 2013-11-03 12:50 | 娯楽・趣味 | Comments(0)
2013年 10月 20日

超ひも理論

9/23にNHKが放送したスペシャル番組「神の数式第2回」が非常に興味深く印象に残っている。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0922/

現在の物理学の最先端にある難解な超弦理論(超ひも理論、Superstring theory)について、物理学者達がたどってきた道のりとその将来への可能性について分かりやすく説明がなされていた。科学に多少なりとも関心のある人にとっては、知的興味を大いに刺激される大変優れた番組であったと思う。

世界は微小なひもから成り立つという超弦理論は、はじめはほとんど注目されていなかった。それが、1984年にシュワルツとグリーンが超弦理論の数式から、相対性理論と素粒子論の数式を導き出すことに成功した瞬間に、世界中の物理学者の関心が一挙に集まり、超弦理論が現代物理学の最先端に躍り出た。その時の描写はとても印象的であった。

私は物理学には全くのシロウトであり、特に素粒子論については全く理解はしていないのだが、テレビの録画画面からその数式を写し取ってみた。

超弦理論の式: Z=∫[Dg][DX][DΨ]exp{-1/2π∫Md^2σ√h[hαβ∂αXμ-iΨμραΨμ]}
から複雑な計算を経て、
一般相対性理論の式:Rμv-1/2gμvR=KTμv と
素粒子論の式: 1/4FμvFμv+(iΨDΨ+h.c.)+(ΨiYijΨjφ+h.c.)+|Dμφ|^2-V(φ)
が見事に導き出されてくる。

この結果に、物理学者達は目を覚まされるような衝撃を受け、革命あるいは奇跡だと、超弦理論は大絶賛を受ける。以来、この超弦理論は物理学の花形となり、多くの物理学者達が挑戦するようになり、現在も発展を続けている。

というのが、上記のテレビ番組から、得た知識である。この番組に刺激されて、今まで敬遠していた、超弦理論の入門書を何冊か読んでみた。以下、シロウトなりに理解した概要を書いてみたい。(シロウトのにわか勉強につき、間違いやいいかげんなところがあることはあらかじめお許しを)


20世紀の物理学は相対性理論と量子力学の2つが大きな柱となってきた。相対性理論は主に宇宙規模の問題に、また量子力学は分子レベル以下の極微の世界の問題を解くものとして、実用的には住み分けが行われてきた。
一方、理論物理の世界では双方の矛盾を統合する理論(量子重力理論)を構築することに、強い関心が持たれてきた。ホーキング博士のブラックホールに関する業績は有名である。この量子重力理論が宇宙の問題の解決につながるとして、一般の人々の関心をも集め出したのは、宇宙のビッグバン以前の状況が、インフレーション理論で説明されるようになってからである。

インフレーション理論では、宇宙は、量子力学の領域である極微の領域から一挙に光速以上の速さで膨張して瞬時にビックバンに至り、その後も加速膨張を続けて今の宇宙が出来たというものである。宇宙が出来上がった過程を説明するためには、相対性理論と量子力学の住み分けは許されず、両者を統合できる理論が、宇宙の謎を解明する上でも求められ始めた訳である。

相対性理論と量子力学を統合できる可能性のある最も有望な理論が、現在は超弦理論ということとなっている。

ところで、20世紀の物理学には相対性理論と量子力学の他に、もう一つ素粒子論の分野がある。物質とは何から出来ているかその最小構成要素を追求していく学問である。現在は、素粒子としては、6種類のクォークと6種類のレプトン、4種類のゲージボゾン、そしてヒッグス粒子と、全部で17種類が存在している。

超弦理論は、これらの基本的な粒子を構成する要素として、極微のサイズで振動する弦(string)を仮定する。その弦の振動によって、これらの17種類の粒子が出来上がっていると考えるものである。

17種類の素粒子が出来上がる弦の振動の方向性、特に光速で飛ぶ光子が質量を持たない条件を計算すると、弦の存在する領域の次元数は9次元であるということが数学的に導かれる。
では、現実の我々の住む世界の3次元との差の6次元とは一体何なのか。ここで、すでに数学者のカラビが研究しヤウが証明していた6次元の空間の理論を応用して、6次元が縮退(コンパクト化)されているという理論が提唱される。これが、カラビ・ヤウ空間と呼ばれるものである。我々の住む世界が9次元というのではなく、弦の世界の9次元はコンパクト化されて我々には3次元にしか見えないということらしい。

一方、弦の動きに関して、弦は膜(ブレーン)に張り付いているというブレーン理論が提案される。ブレーンも弦と同じく宇宙を構成する要素であると考える。
現在、ブレーン理論を使って宇宙の構成を説明するモデルを作ろうと多くの物理学者が取り組んでいる。
色々な提案がなされているが、ブレーン宇宙論からは、宇宙はひとつではなく、たくさん存在しており、理論計算によると、ブレーン宇宙の数は、10^200個にも及ぶという。(マルチバース宇宙)
また、ビッグバンは2つのブレーンが衝突したものであり、永遠に繰り返されるので、宇宙には始まりはなく永遠に循環する。さらには、ブレーンの張力によって、暗黒エネルギーの存在を考えなくとも宇宙の加速膨張を説明できるという提案もある。

ただ、この花々しい超弦理論の進展に疑問を呈する物理学者もいる。
まず、弦の大きさが、極微(プランク乗数のレベル)の大きさであり、観測が不可能であることがあげられる。実験観測データが全く得られないしその見込みも立たない。その中で、理論だけがどんどん膨らんでいく。実験の裏付けが無いために、何でもありの世界になってしまっている。それは科学と呼べるものだろうかという批判である。(ウォイト:「ストリング理論は科学か」)

インフレーション理論の提唱者でもある佐藤勝彦氏は面白いことを言っている。「最近のブレーン宇宙論の世界は、オタクの人々が集まって、好き勝手なことを言っているようにも見える。実際に宇宙論の国際会議でも、ブレーン宇宙論と観測宇宙論の話は2つに分かれており、前者の会合が終わると、“ブレーン宇宙論の理論モデルは色々ありますが、それはさておき、現実の宇宙の話に戻ってリアリテイのある話をしましょう”ということになる。」のだそうである。

一方、超弦理論の研究者である大栗博司氏は、実証の難しさを認めつつも、物理の基礎理論が実証されるには長い年月が必要とされてきたことを説く。例えば、ニュートンの万有引力の法則が実証されるのには100年、相対性理論は26年、ヒッグス粒子の検証には半世紀かかっている。必ず、検証される日は来るとして、量子重力理論を確立し、宇宙の誕生の謎にもせまる唯一の理論として、超弦理論の発展に大きな期待を表明している。

批判論も擁護論も、結局は、超弦理論が物理学界で大いに盛り上がっており、多くの物理学者が参加している結果として出てきていると理解してよいようだ。

個人的には、素粒子論というのは、何か複雑で面倒そうなので敬遠してきたのだが、素粒子論から出てきて、何と相対性理論をも内蔵しており、宇宙の誕生の問題に密接つに結びついている超弦理論には、大変興味が湧いてきて知的興奮を覚える。
一番の壁となっている観測実験による検証において、何か革新的なブレークスルーが生まれれば、超弦理論は現実的にも大きく発展できるのではないかと思われる。超弦理論が、宇宙の謎をどこまで解明できるものなのか、シロウトながらその将来がとても楽しみな思いがする。


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# by sakuraimac | 2013-10-20 16:49 | 科学技術 | Comments(7)
2013年 10月 09日

4Kテレビと8Kテレビ

10/1 の CEATEC(IT・エレクトロニクス総合展)において、「始動!4K/8K時代」というパネルディスカッションを聴講した。幕張メッセの大ホールが満員になっていたので、おそらく1000名近くの聴講者があったのではないかと思われる。

4K/8K テレビは、次世代のテレビとして、総務省も次世代放送推進フォーラムを立ち上げて官民あげての推進を行おうとしている。2020年の東京オリンピック招致が決まったことも、推進を後押ししている。

ところで、4K/8K と一括した呼称が行われているが、その実態には大きな差がある。まず、4Kテレビとは、画素数が、3840×2160であり、現行のハイビジョンの画素数1920×1080 の4倍のものである。8Kテレビとは、画素数が8K×4Kであり、ハイビジョンの16倍の画素数を持つ。

画素数は、情報量と比例するから、4Kテレビはハイビジョンの4倍、8Kテレビはハイビジョンの16倍の情報量を持つことになる。

表示画面の画素数については色々議論があるが、大雑把に言えば多いにこしたことはない。デジカメもスマホもタブレットも、画素数は常に増えつつある。ディスプレイとかカメラの画素数の増加は、一般に思われているほど技術的には大変なことではない。やろうと思えばいくらでも可能である。そして、いったん実現されれば、価格は量産効果によってあっと言う間に下がるので、ディスプレイの画素数は特に大きなハードルとはならないであろう。

他方、あまり議論の表面には上がってはこないのだが、テレビ放送の場合、最大の技術ボトルネックは、増量した情報データをいかにしてエンドユーザに届けるかという、伝送方式にある。かつて、HDTVで世界を先導しようとした日本は、伝送方式であるMUSE方式でつまずいた。MUSEの後遺症のおかげで、日本のテレビ放送のディジタル化が数年遅れたとも言われている。

そこで、ここでは、技術的には最大の課題である伝送方式を中心にして少し解説をしてみたい。

最初に、技術的なことを語る前に、日本におけるテレビ放送の特殊性に触れておく。10数年前から、テレビ放送は衛星放送に移行して、地上放送の電波は他の目的に明け渡すべきという議論がさかんに行われてきた。しかしながら、衛星放送は視聴者の数が伸びず、結局は地上放送が最大の視聴者を得ているという事情は変わらなかった。このことは地上ディジタル放送の完了を経て、皆が認識したことでもある。何故そうなるかということについては話すと長くなるので別の機会にゆずるとして、ここでは現実に即して地上波放送を中心述べてみたい。

次世代テレビの地上放送となると、韓国の放送局 KBS が一歩進んでいる。最新の圧縮方式 HEVC (High Efficiency Video Coding)を用いて、60フレーム・プログレッシブ4K テレビを、6MHzの地上放送波1Chにて伝送するのに成功している。
ごく大雑把に言えば、4Kテレビはハイビジョンの4倍の情報量があるが、HEVCは現行のディジタル放送で使用されているMPEG2の4倍の圧縮効率がある。という訳で、4Kテレビの情報量の増加は、圧縮方式の進歩によって相殺されており、実験成功の結果はごく自然なものと言える。

ところで、伝送方式として一括して述べてきたが、厳密にいうと、伝送方式は、画像データを圧縮する圧縮方式(Source Coding)と、電波に載せる変調方式(Channel Coding) の2つから成り立っている。KBS は前者のみに頼って成功した訳であるが、8Kテレビ となるとさらに4倍情報量が増えるので、後者の変調方式にも手をつけなければならない。

NHK は、その変調方式においてかなり積極的な試みを行っている。

http://www.nhk.or.jp/strl/publica/rd/rd134/PDF/P26-34.pdf

まず、現在のOFDMの変調を64QAM から、256QAM~4096QAM に多値化することを検討している。多値化によって、受信感度は下がるが、伝送情報量は増える。さらに、水平と垂直偏波を独立に利用したMIMO(Multiple Input Multiple Output)方式を用いて、おおよそ、現行方式の6倍程度の伝送容量の増加を実現している。これに、上記のHEVCによる4倍を加えると、約24倍の情報量を、1Chで伝送できることとなる。すなわち、16倍の情報量を持つ8Kテレビの地上放送が可能となる。

なお、NHKは、2Ch を使った実験を行っているが、原理的には1Ch伝送は可能であると思われる。世の中では、8Kテレビの地上伝送は無理ではないかと感じている人が多いように思うが、伝送技術としての技術解はあると言える。(受信感度の低下がどこまで許容されるかは課題であるが)

という訳で、MUSE の頃とは違って、8Kテレビの伝送は、技術的には十分可能であるという結果が出ていることをご紹介しておきたい。

<考察>
ところで、技術の本当のところを十分理解した上で、やはり実現の大変さと視聴者のニーズとのバランスは十分考えねばならない。
伝送設備・受信機開発の大変さについては、私見ではあるが、従来のアナログ放送からディジタルハイビジョンへの移行時を1.0とすると、4K放送では0.3倍(圧縮Codecを替えるだけ)、8K放送では1.5倍くらい(電波とアンテナをいじらねばならない)の感じがする。
一方、家庭でのテレビの解像度に対するユーザの価値観の増加度は、アナログ放送画面を基準として、そこからディジタルハイビジョンへ移行したときの満足感を1.5倍とすると、4Kテレビでは1.7倍、8Kテレビでは1.8倍くらいの感覚であろうか。

高精細化に関しては山のように議論があるが、8Kテレビは家庭用ユーザニーズの点では飽和してしまっている(オーバースペック)感があることでは、大半の意見は一致していると思う。テレビの新しい使い方(例えばテレビ画面上で新聞を読むなど)が出てこない限りは残念ながら8Kテレビの将来は全く不透明だと言わざるを得ない。8Kテレビは技術的には圧倒的に優れたものではあるが、ユーザニーズの点では大きな疑問が残るのは明らかである。

8Kの夢を持つのはよいことではあるが、まずは現実的な4K放送の実現に注力すべきではないかというのが私の率直な感想である。
もっと突っ込んで言うと、次世代テレビ放送は、経営的観点から躊躇する放送局がどれだけ前向きになれるかというその一点にかかっている。本来なら皆を引っ張って行くべき立場のNHKが、8Kというあまりに飛び過ぎた目標にしばられていることは、実は日本にとっては大変不幸な状況だと思う。(UHDTVの世界規格に採用されたと浮かれているような悠長な事態ではないのだ。)

NHKは現実を直視して、8Kの看板を下ろす必要はないにしても、実行面では4K放送へ路線を変更する勇気を持ってほしい。今のままでは、NHKが8K放送を実現した頃には日本のテレビメーカーは現状に耐え切れずに皆撤退してしまっている可能性は極めて大きい。という現実への認識を、かかわっている方々はぜひ共有して頂きたいと思う。


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# by sakuraimac | 2013-10-09 20:35 | 科学技術 | Comments(0)