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2024年 07月 08日
詩吟教室に通い始めて3年になる。あまり熱心な生徒ではないが、有名な頼山陽の川中島などになると、練習に熱が入る。 鞭声粛粛 夜河を渡る 暁に見る 千兵の大牙を要するを 遺恨なり十年 一剣を磨き 流星光底 長蛇を逸す 上杉謙信と武田信玄の10年に渡る5回の戦いを、ドラマチックで躍動するような詩で表現している。詩吟をやっている人の間でも人気があり、発表会では60人のうち4人くらいが川中島を選んでいる。 先日、全国吟詠コンクール埼玉地区予選会に出場した。この2ケ月間練習してきた、頼山陽の川中島、万を時して発表、のはずだったのだが、とんでもない大失敗。上手くいったと降壇してきたら先生が渋い顔をして、間違えたの分かりますか?と聞く。一瞬何のことか分からず、キョトンとしていたら、十年が千年になってましたよとのこと。 「遺恨なり十年」を「遺恨なり千年」と歌ってしまったらしい。全く記憶にないのだが、会場に笑いが広がっていたというので本当らしい。 何度も練習して十年のところは一度も間違えたことはないので、自分でも不思議でしょうがない。しかしこの大ミスで順位は最下位。 閉会の辞で会長さんが、遺恨なり千年、という歌い違いがありましたが、これは面白いですね。加点してあげたくなるようなミスですね。とわざわざ取り上げてくれた。 ウーム、無念なり。来年もまた川中島で挑戦するぞ。 #
by sakuraimac
| 2024-07-08 15:31
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2023年 09月 12日
山川草木うたた荒涼 十里風なまぐさし新戦場 征馬前まず人語らず 金州城外斜陽に立つ 乃木希典将軍といえば日露戦争で旅順を攻略して日本の勝利に貢献し、明治天皇に殉じた軍人である。乃木将軍が詩歌にも優れた才能があったことははじめて知った。 1行めの「うたた」とはどういう意味だろうと辞書を調べたら、「物事が一段と進むさま」とあり、例文として「山川草木うたた荒涼」の文が載っていた。これにはびっくりした。乃木将軍の歌は辞書の例文に載るほど有名なものだったようだ。 司馬遼太郎は、「乃木ほどその性格が軍人らしい男はなく、同時に乃木ほど軍人の才能の乏しい男もめずらしい。」と「殉死」で述べている。「坂の上の雲」でも、乃木将軍を愚将として描いている。 人物評価をするのは、作家の自由であるが、問題なのは、史実ではない創作を行ってそれを事実のように述べているところである。司馬遼太郎は、余りの苦戦ぶりに、児玉総参謀長が一時的に指揮権を乃木将軍から預かり、戦闘目標を203高地に変えて28センチ榴弾砲を移動しで敵を粉砕して旅順を平定した、として戦略を変更したのは児玉だと解説している。 ところが産経新聞の解説記事では次のような記述がある。 「この争奪戦には満州軍総参謀長の児玉源太郎が作戦に深く関与し、決定的な役割を果たしたとする説が根強いが、公刊戦史や一次史料を読み解く限り、その事実はない。確かに児玉は12月1日に第3軍司令部を督励視察し、乃木から指揮権を委ねられた。しかしすでに戦闘は後半戦に突入しており、作戦への関与は限定的だっただろう。主要攻撃目標を203高地に転換したのも、28センチ榴弾砲を投入したのも第3軍司令官、乃木希典の決断である。」 産経新聞の説に従えば、乃木将軍は決して愚将ではない。司馬遼太郎が何故、乃木将軍を愚将として扱うのかよく分からない。いたずらに突貫攻撃で兵士の命を落とす無能の指揮官ということなのだろうか。それであれば10年後の第一次世界大戦の塹壕戦で、ヨーロッパ国々は同じような戦いをしているのをどう説明すればよいのだろうか。 司馬遼太郎は、日露戦争の後の乃木将軍に対する国民のあまりに熱狂的な評判に、危機感を感じていたのかもしれない。次の太平洋戦争では軍事技術の無い将軍が要職について米国に惨敗し続けたのだから。
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by sakuraimac
| 2023-09-12 17:16
| 歴史
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2022年 06月 21日
中学生の頃の思い出である。
中学校の体育の鉄棒の授業で「蹴上がり」というものがある。学校で教わる鉄棒の技の中ではたぶん最も難しいものであったと思う。 蹴上がりの様子の動画の一例を載せる。 https://www.youtube.com/watch?v=bZCsvCZHfyA&ab_channel=月陸ちゃんねる 体育の先生は、「蹴上がりを各自自主練習せよ。1ケ月後に試験を行う。」と宣言した。バスケットボールやサッカーが得意の運動神経の発達した連中は、皆イヤな顔をして嫌いな鉄棒を睨んでいた。 私はといえば、運動神経はからきしだめで、体育の成績はいつも2か3だったのだが、そのときこれはチャンスだと思った。それから、毎放課後グランドの隅の鉄棒にぶらさがって練習を始めた。嫌いな鉄棒の自主練習をする生徒はほとんどいなかった。最初はどのタイミングでどこに力を入れればよいのか全く分からなかったが2週間目くらいからコツが掴めてきた。3週目になると足のつかない高い鉄棒に挑戦した。これは腹筋で足先を鉄棒まで上げねばならないのでなかなか難しい。4週目になると高い鉄棒でも何とかできるようになった。我ながら1日もかかさず一人で考えながら練習をしたのは自分をほめてやりたい思いである。 「蹴上がり」の試験の当日が来た。皆低い鉄棒で挑戦するのだが失敗、私の前で成功したのは驚くべきことにゼロ。私の番がきたので先生にことわって足の届かない高い鉄棒に移る。皆のオーツという声が聞こえる。体を揺らしながら、ここぞというところで足を引き上げる、その足を土台にして上体を起こす。大成功だった。私の後ろの番の生徒は低い鉄棒で皆成功はゼロ。結局、「蹴上がり」が高い鉄棒でできたのはクラスで私1人のみ。何であいつができるんだと、皆が首をかしげていたようだ。この快挙に応じて、期末の通信簿では、体育は5であった。生まれて初めて取った体育5の成績が嬉しくてならなかった。 親に通信簿を見せたら、4に下がった数学の成績ばかりを気にして、体育5には全く関心を持たない。子供の人生における大金星を評価しないとは、何と愚かな親だろうと内心あきれた。自分は運動神経はからきしダメで、とくに野球、サッカー、バスケットなどの球技は苦手であった。団体球技というのは下手だとボールが回ってこないので、練習する機会がなく上達できるチャンスがほとんどない。その点個人競技は自分で好きなだけ練習ができるので下手な人間にもチャンスがある。体操、陸上、スキー、ゴルフなどがそうであろう。 ところで、体操で活躍された内村航平さんが引退会見で、一番印象に残っている技は何かと聞かれたとき「蹴上がり」と答えたそうである。大車輪ではないのかと少し驚いた。蹴上がりは高度な鉄棒の技の基礎となるものらしい。 #
by sakuraimac
| 2022-06-21 16:41
| スポーツ
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2022年 03月 26日
ロシアがウクライナに侵攻してから1ヶ月が経つ。早々にウクライナが降伏しロシアの傀儡政権が樹立されることと想像していたのだが、予想外にウクライナが善戦してロシア軍がモタついているようだ。戦争が長引くとこの先どうなるかは予断を許さない。 ロシアは過去に仏のナポレオンに侵攻されて700万人、独のヒトラーに侵攻されて2-3000万人の犠牲を出した。西からの攻撃には神経質にならざるを得ない歴史を持っている。第二次大戦が終わったあと、ソ連は西欧と間に緩衝地帯を設けた。それが東欧諸国である。西欧諸国と米国はソ連の共産主義の拡大を防ぐために1949年に北大西洋条約機構(NATO)を結成した。これに対抗してソ連と東欧諸国はワルシャワ条約機構(WTO)を1955年に結成した。 1991年ソ連邦が解体されたとき、WTOは解消されたがNATOは残った。そのとき、ロシアはNATOが現状以上に拡大しないようにと西欧諸国と約束をした。ただこの約束は明文化されていなかったので、プーチン大統領は約束はあったと主張し、欧米は無かったと主張しており、今となってはどちらが正しいのかは不明となっている。 いずれにしても、プーチン大統領にしてみれば、旧同盟国であった東欧諸国がどんどんNATOに加盟してロシアを包囲してゆく有様を見て、何とかしなければという強いあせりを感じていたのは間違いない。 そうした中、こともあろうに最後の友好国であるウクライナに、親欧米であるゼレンスキー政権ができて、NATO加盟へ動き出した。もしNATOがウクライナに軍備を配置すれば、それはモスクワを直接狙う匕首のようなものとなる。プーチン大統領としては決して看過できない事態である。(キューバ危機のときの状況とどこか似ている。)この国家安全保障の脅威に対するには、ウクライナを武力で押さえつけるほかないとプーチン大統領は侵攻を決断したのだろう。 現在、ロシア測が表明している停戦の条件は、下記のようなものとなっている。 ① 中立化(NATO非加盟) ② 非軍事化(武装解除) ③ クリミヤの併合承認 ④ 東部2州ルガンスクとドネツクの独立承認 キエフが陥落するかどうかにもよるが、①と③はウクライナが諦めて、②と④はロシアが諦めるというところが、妥当なところかもしれない。ただ、攻勢にあるロシアは④は妥協しないかもしれない。 キエフが陥落するまでは、もうしばらく戦闘は続くようだが、その間に不測の事態が起きて戦火が広がらないことを祈るのみである。 注)ロシアの侵攻が開始されたのは2022-2-24 <追記1>欧州が平穏であるためにはロシアと西欧諸国との間に緩衝地帯が必要のようだ。その役目を果たすべきウクライナに援助を出して親欧米政権を樹立させ、ロシアを無用に刺激した米国の責任は大きい。ウクライナを西側につけることは欧米諸国には全く必要ないことなのだ。米国は対中政策に専念して欧州からは手を引くべきだと思う。 <追記2>東欧諸国が次々とNATOに加盟していった背景には過去にロシアから侵略・抑圧された経験がありロシアに嫌悪感をいだいていることがあげられる。バルト3国、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーなど。ウクライナについていえば、西側が欧州への回帰志向であり東側が親ロシア的という難しい状態にある。プーチンは全土を掌握するというよりは東部を支配下におくこと注力するに違いない。 <追記3>ウクライナでは1932~1933にホロドモールと呼ばれる大惨劇があった。スターリンが、ウクライナの富農を追放し過大な農作物の徴収を行ったため、数百万人が餓死するという民族大虐殺である。これがウクライナの反ロシアの源流となっている。ナチスドイツがソ連に侵攻してきたとき、反ロシアの精神はナチスをロシアの圧政から救ってくれる救世主と見なして大歓迎した。ウクライナ・ナチスはユダヤ人を虐殺しただけでなく、ロシア人も虐殺した。プーチンがネオナチスに神経をとがらせているのはこのためである。 ![]() #
by sakuraimac
| 2022-03-26 08:42
| 社会
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2021年 12月 04日
11月14日に小室圭・眞子ご夫妻が、新生活に向けてニューヨークに出発した。これで加熱していた報道も一段落というところで収まったようだ。
眞子さまのご結婚については、様々な報道と問題提起がなされてきたが、私個人としては眞子さまの一途の思いが達成されて、よかったと思っている。 眞子さまのご結婚に異を唱える論調としてはおおよそ次のようなものが挙げられる。 (1)小室圭氏およびその母親は皇室の内親王の夫と姑としてはふさわしくない。 (2)皇室に悪しき慣例を作る(皇室崩壊の可能性もある)。 (3)税金を投入して警護とか借金の返済に充てるのは納得できない。 これらの議論はさんざんなされているので、省略するとして、私が気になったのは、皇族の基本的人権についてであった。皇族に生まれると選挙権や職業選択の自由がなくなる。自由な結婚や言論の自由も含まれる。その代りに税金によって高水準の生活が保障されるとともに皇室としての公務が発生する。眞子さまは生活の安定より自由を選んだのであろう。 10月26日の結婚記者会見を見たが、この結婚は眞子さまが主導権を握っているように感じた。小室氏の米国留学を早めること、宮内庁の説得(儀式の省略など)、ニューヨークの住まい、すべてが眞子さまの意向どおりに進んできた。小室氏を深く愛しているというより、皇族という束縛から自分を解放してくれる白馬の騎士として小室氏は必要な人と思っているという印象を受けた。眞子さまの行動力と決断力は中々のものである。 海外で王室と恋が騒ぎとなった例をあげるとすれば、英国のエドワード8世だろう。シンプソン夫人と恋をして、王位を捨て去り、王位は弟のジョージ6世が継ぐ。「王冠をかけた恋」として有名になった。王が人妻に恋をして王位を捨てるなどとは前代未聞の話で、当時のイギリスは大変な騒ぎになったであろう。それでも英国の王室はゆらぎもせずに安泰に続いている。 それと比べると、眞子さまの件はごく小さなことだと思われる。今後の日本の皇室へ大きな影響があると心配する人もいるが、英国の例を見てもそう心配することもないのではないだろうか。 晴れて30歳で結婚し愛する小室さんとあこがれのニューヨークに旅立つ眞子さま、こころから応援したいと思う。どうかお幸せに。 ![]() #
by sakuraimac
| 2021-12-04 16:29
| 社会
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