2011年 07月 03日
麻雀 |
我々の学生時代(1970年代)は麻雀の全盛期で、大学の回りには雀荘と呼ばれる麻雀サロンが林立していた。学生たちは授業をサボっては雀荘に入りびたって、青春時代を過ごしていたものである。(大学の教員の発言としては少々問題があるかもしれないが、正直に言えば、私もその中の一人であった。)
その後、他の色々な娯楽が出てきて、麻雀は衰退の一途をたどり、大学周辺の雀荘も皆姿を消してしまった・・・。 と思っていたら、最近、また麻雀が少しばかり復活してきたようである。
我々の研究室でも、学生が麻雀卓を持ちこんで、夜中になるとやっている。たまたま、私に見つかるとバツの悪そうな顔をするが、私のほうは何か嬉しくなって、思わず混ぜてよと口に出してしまいそうになる。
学生のみならず、意外なところでは、家内の通っているカルチャースクールにも麻雀教室というのがあって、中高年女性に大人気との話である。また、テニスクラブでも、おばさんたちが、テニスの後にカード麻雀に熱中して、最初は1卓だったのが最近は2卓に増えたと友人から聞いた。
ネットを見ても麻雀ゲームが目白押しに並んでおり、麻雀の面白さというのが、最近、再発見されてきたことを改めて感ずる。
囲碁が知力を競う世界最高の知的ゲームだとするなら、麻雀は運と知恵を要する世界最高のエンターテイメントゲームではないかと思われる。両方を生み出した、中国3千年の文化の奥深さに改めて驚異を感ぜずにはいられない。
さて、大学教員として学生に麻雀を勧めるべきかどうかということになると、思案のしどころである。
ちなみに、私の感想を述べると、4人で麻雀卓を囲んでいると、奇妙な連帯感とでもいうべきものが生まれて、末長くつきあえる友人ができるというメリットが一番大きいと感じている。今でも付き合っている私の友人の大半は、40年前に教室ではなく雀荘で知り合った人々である。
この40年前の友人たちとは、最近、2ヶ月に一度、東京駅に集まって麻雀を楽しんでおり、昨日もやってきて、次はゴルフへ行く約束をしている。
友人を作るという意味では、一人で引きこもってやるビデオゲームよりは、長い人生の上では役に立つのかもしれない。(決してビデオゲームを否定するわけではないが)
ということで、結論としては、「勉学・研究に支障が無い限りは麻雀をやるのは大いに結構。」 というのが、今のところの私の個人的見解である。
その後、他の色々な娯楽が出てきて、麻雀は衰退の一途をたどり、大学周辺の雀荘も皆姿を消してしまった・・・。 と思っていたら、最近、また麻雀が少しばかり復活してきたようである。
我々の研究室でも、学生が麻雀卓を持ちこんで、夜中になるとやっている。たまたま、私に見つかるとバツの悪そうな顔をするが、私のほうは何か嬉しくなって、思わず混ぜてよと口に出してしまいそうになる。
学生のみならず、意外なところでは、家内の通っているカルチャースクールにも麻雀教室というのがあって、中高年女性に大人気との話である。また、テニスクラブでも、おばさんたちが、テニスの後にカード麻雀に熱中して、最初は1卓だったのが最近は2卓に増えたと友人から聞いた。
ネットを見ても麻雀ゲームが目白押しに並んでおり、麻雀の面白さというのが、最近、再発見されてきたことを改めて感ずる。
囲碁が知力を競う世界最高の知的ゲームだとするなら、麻雀は運と知恵を要する世界最高のエンターテイメントゲームではないかと思われる。両方を生み出した、中国3千年の文化の奥深さに改めて驚異を感ぜずにはいられない。
さて、大学教員として学生に麻雀を勧めるべきかどうかということになると、思案のしどころである。
ちなみに、私の感想を述べると、4人で麻雀卓を囲んでいると、奇妙な連帯感とでもいうべきものが生まれて、末長くつきあえる友人ができるというメリットが一番大きいと感じている。今でも付き合っている私の友人の大半は、40年前に教室ではなく雀荘で知り合った人々である。
この40年前の友人たちとは、最近、2ヶ月に一度、東京駅に集まって麻雀を楽しんでおり、昨日もやってきて、次はゴルフへ行く約束をしている。
友人を作るという意味では、一人で引きこもってやるビデオゲームよりは、長い人生の上では役に立つのかもしれない。(決してビデオゲームを否定するわけではないが)
ということで、結論としては、「勉学・研究に支障が無い限りは麻雀をやるのは大いに結構。」 というのが、今のところの私の個人的見解である。
by sakuraimac
| 2011-07-03 05:10
| 娯楽・趣味
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