2011年 07月 08日
教養 |
教養という言葉を国語辞典で引いて見ると次のように書いてある。「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。」
私が東京工業大学に入学した頃 (1969年) は、当時の学長の意向で、教養学部に多数の文科系の有名教授を迎えていた。文部大臣になった永井道雄、評論家として大活躍した江藤淳、永井陽之助など、今にして思えば錚々たる顔ぶれが揃っていた。当時はあまり意識していなかったが、こうした先生たちの講義を間近で聞くことができたのは、後から思えば大変な余特であったことに気付く。もっとよく聞いておけばよかったと後悔もした。
また、ちょっと変わった美術の先生がいて、講義は一切なく、毎週、東京都内の美術館を順にめぐるという授業もあった。これは、後々、色々な意味で大変役に立った。
私自身卒業以降はずっと大学を離れていたので、その間の詳しい事情は知らないのであるが、近年、専門教育の充実ということで、昔あった教養学部というものが無くなってしまった大学が多いようだ。その結果、学生がいわゆる教養の片鱗に触れるという機会が、大きく減ってしまっているのは残念なことである。
学生時代の4年間(あるいは6年間)というのは、ちょっと背のびをしても、いわゆる教養というものに触れてみる、あるいは挑戦してみるという、絶好の機会ではないかと思う。就職してサラリーマンになってしまえば、残業、宴会、カラオケ、ゴルフと、まず教養などという言葉とは無縁の世界が待っている。
長いサラリーマン時代を終えて退職し、さて老後の趣味をということで、音楽・美術・読書と始めようと思っても、やはり、感性とチャレンジ精神というものが若いときとは全く違ってしまっていることを改めて感ずる人も多いであろう。
あまり話題にはならないが、会社において責任ある立場につくにつれて、重要な判断をするときとか、困ったときに知恵を出すというような場面において、いわゆる教養というものが、影でけっこう重要な働きをしている場合も多いように私は感じている。
日本の政治家などが海外の要人と会談するときに、先方は深い教養を持っているのに、こちらは何もなくて恥ずかしい思いをするという話はよく聞く。宴会、ゴルフ、カラオケでは仲間内では顔が効いても、外に対しては全く無力なのである。
今さら、大学の組織制度を論ずるつもりはないが、少なくとも、理工科系の学生には、文科系の有名講師(社会人でもかまわない)の有意義な話を聞かせてあげる機会を、何とか少しでも作ってあげることができないものかなあと思うこの頃である。
同じ有意義な話でも、20歳のときに聞くのと60歳になって聞くのとでは、人生における役立ち具合には天と地ほどの差があるのは明らかである。(巷の有名人の講演会が高齢者で一杯なのを見ると何とも皮肉な感じがしてならない・・・)
私が東京工業大学に入学した頃 (1969年) は、当時の学長の意向で、教養学部に多数の文科系の有名教授を迎えていた。文部大臣になった永井道雄、評論家として大活躍した江藤淳、永井陽之助など、今にして思えば錚々たる顔ぶれが揃っていた。当時はあまり意識していなかったが、こうした先生たちの講義を間近で聞くことができたのは、後から思えば大変な余特であったことに気付く。もっとよく聞いておけばよかったと後悔もした。
また、ちょっと変わった美術の先生がいて、講義は一切なく、毎週、東京都内の美術館を順にめぐるという授業もあった。これは、後々、色々な意味で大変役に立った。
私自身卒業以降はずっと大学を離れていたので、その間の詳しい事情は知らないのであるが、近年、専門教育の充実ということで、昔あった教養学部というものが無くなってしまった大学が多いようだ。その結果、学生がいわゆる教養の片鱗に触れるという機会が、大きく減ってしまっているのは残念なことである。
学生時代の4年間(あるいは6年間)というのは、ちょっと背のびをしても、いわゆる教養というものに触れてみる、あるいは挑戦してみるという、絶好の機会ではないかと思う。就職してサラリーマンになってしまえば、残業、宴会、カラオケ、ゴルフと、まず教養などという言葉とは無縁の世界が待っている。
長いサラリーマン時代を終えて退職し、さて老後の趣味をということで、音楽・美術・読書と始めようと思っても、やはり、感性とチャレンジ精神というものが若いときとは全く違ってしまっていることを改めて感ずる人も多いであろう。
あまり話題にはならないが、会社において責任ある立場につくにつれて、重要な判断をするときとか、困ったときに知恵を出すというような場面において、いわゆる教養というものが、影でけっこう重要な働きをしている場合も多いように私は感じている。
日本の政治家などが海外の要人と会談するときに、先方は深い教養を持っているのに、こちらは何もなくて恥ずかしい思いをするという話はよく聞く。宴会、ゴルフ、カラオケでは仲間内では顔が効いても、外に対しては全く無力なのである。
今さら、大学の組織制度を論ずるつもりはないが、少なくとも、理工科系の学生には、文科系の有名講師(社会人でもかまわない)の有意義な話を聞かせてあげる機会を、何とか少しでも作ってあげることができないものかなあと思うこの頃である。
同じ有意義な話でも、20歳のときに聞くのと60歳になって聞くのとでは、人生における役立ち具合には天と地ほどの差があるのは明らかである。(巷の有名人の講演会が高齢者で一杯なのを見ると何とも皮肉な感じがしてならない・・・)
by sakuraimac
| 2011-07-08 17:25
| 教育・大学
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