2011年 11月 01日
リーダーシップについて |
以前このブログの Knife and Handle という題目で、米国人マネージャとの会話を紹介したが、当時は幸運にも、他にも何人かのシリコンバレーの米国人マネージャと色々と話をする機会があった。皆、我々と同じような悩みを持っており、人間をマネジメントする難しさには世界共通のものがあるのだなと大いに共感し合った記憶がある。
ただ、ひとつだけ、全く理解が噛みあわなかった、というより、先方が全く興味を示さなかった話題がひとつだけあった。それが今に至るまで、自分の中で未解決の問題として心にひっかかっていたので、ちょっと紹介してみたい。
当時、私が彼らに提示した問題は、プロジェクトにおけるリーダーの役割の型である。 「プロジェクトの推進には汽車型と電車型の2つがある。汽車型はパワーのある機関車が全体を引っ張っていく。電車型は、パワーは複数の動力車に分散され、トップの車両はコントロールの指示を出すだけである。日本では圧倒的に後者が多いようだ。」
自分では、けっこう説得力のあるモデルを提示したつもりだったのだが、彼らは、見事に全く関心を示さなかった。これは私としてはちょっと意外で大変不思議なことであった。彼らには電車型のリーダーという概念は全く存在しないのだろうか? この完璧な無視のされ方の背景には、ひょっとしたら、日本と欧米のリーダシップの違いの根本的な問題が含まれているのかもしれないのではないかと思ったのだが、当時は解答を見いだせなかった。
以来、この問題は、仕事において直面する機会がなかったので、記憶に埋もれてしまっていたのだが、先日のNHKの白熱教室JAPN (10/23放送)で、明治大学の小笠原泰氏が、日本型リーダシップと欧米型リーダシップの違いについて、実に面白い論議を展開しており、昔の自分の疑問の思い出があざやかによみがえってきた。
小笠原氏が 「君たちどうやってグループのリーダーを決めるの?」 と質問すると、当てられた学生がしばらく考え込んでから 「じゃんけんで決める。」 と答えたので、見ていた私も思わず笑ってしまった。小笠原氏曰く、「日本ではじゃんけんで決めたリーダーでも成り立つ。欧米では絶対に考えられないことだ。」 それを出発点として、小笠原氏のリーダシップ論議が続いていくのであるが、欧米で言うリーダーとは、パワーをすべて掌中にするところにある。日本のように、実際の力はないものを神輿のようにかつぐことは絶対にない、と氏は説明する。したがって、欧米から見れば、日本は常にリーダー不在の国と言えるのだそうだ。
なるほど、欧米ではパワーをすべて掌握することがリーダーの必須条件ということなのであれば、パワーを分散して他に与えてしまう電車型モデルというものは、そもそも欧米人にとってはリーダーシップ論の観点からは、全く論外の話となるのであろう。小笠原氏の話を聞いて、昔の私の疑問は見事に氷解した思いであった。
ところで、そうした文化の問題は置いておいて、組織体の機能として考えたとき、電車型モデルは、極めて近代的で合理的なものではないかと私には思える。蒸気機関車がすべてを引っ張る気車型モデルのほうが組織体の機能として優れているとは、とても素直には納得できない。
もちろん、人間の営む組織なわけだから、そのまま単純なモデルを持ちこむことはできないだろう。ただ、日本の多くの会社が今までうまくやっていたのは、この電車モデルがうまく機能していたためではないだろうか。それが、制度疲弊を起こしてしまい自分自身ではどうしようもなくなって、外国人にパワーを与えて(日本人ではパワーをすべて与えることに皆が納得しない)、気車型モデルを取り入れてみることにとした。日産のカルロスゴーン氏や、ソニーのハワードストリンガー氏の社長招聘はその典型的な例であろう。
しかし、これは、あくまで一時的な非常手段であり、日本の企業におけるリーダシップの型が、本質的に今後欧米式に変わっていくとは、まず思えない。それは、人材や慣習の問題だけではなく、電車型のリーダシップというのは、本質的に極めて合理的なものであり、かつ、日本人の適性に合ったシステムだと思われるからである。
たしかに、戦後半世紀の間に制度疲弊を起こしているのも事実なので、少し外部からの刺激を受けて、変形させる必要はあるのかもしれない。しかしながら、原則は変えずに、たくみに外部からの知恵を取り入れてシステムを修正していくというのは日本人の歴史的なお家芸でもある。きっと、またうまいさらに合理的なシステムができあがっていくものであろうと、私は信じているのだが・・・。
ただ、ひとつだけ、全く理解が噛みあわなかった、というより、先方が全く興味を示さなかった話題がひとつだけあった。それが今に至るまで、自分の中で未解決の問題として心にひっかかっていたので、ちょっと紹介してみたい。
当時、私が彼らに提示した問題は、プロジェクトにおけるリーダーの役割の型である。 「プロジェクトの推進には汽車型と電車型の2つがある。汽車型はパワーのある機関車が全体を引っ張っていく。電車型は、パワーは複数の動力車に分散され、トップの車両はコントロールの指示を出すだけである。日本では圧倒的に後者が多いようだ。」
自分では、けっこう説得力のあるモデルを提示したつもりだったのだが、彼らは、見事に全く関心を示さなかった。これは私としてはちょっと意外で大変不思議なことであった。彼らには電車型のリーダーという概念は全く存在しないのだろうか? この完璧な無視のされ方の背景には、ひょっとしたら、日本と欧米のリーダシップの違いの根本的な問題が含まれているのかもしれないのではないかと思ったのだが、当時は解答を見いだせなかった。
以来、この問題は、仕事において直面する機会がなかったので、記憶に埋もれてしまっていたのだが、先日のNHKの白熱教室JAPN (10/23放送)で、明治大学の小笠原泰氏が、日本型リーダシップと欧米型リーダシップの違いについて、実に面白い論議を展開しており、昔の自分の疑問の思い出があざやかによみがえってきた。
小笠原氏が 「君たちどうやってグループのリーダーを決めるの?」 と質問すると、当てられた学生がしばらく考え込んでから 「じゃんけんで決める。」 と答えたので、見ていた私も思わず笑ってしまった。小笠原氏曰く、「日本ではじゃんけんで決めたリーダーでも成り立つ。欧米では絶対に考えられないことだ。」 それを出発点として、小笠原氏のリーダシップ論議が続いていくのであるが、欧米で言うリーダーとは、パワーをすべて掌中にするところにある。日本のように、実際の力はないものを神輿のようにかつぐことは絶対にない、と氏は説明する。したがって、欧米から見れば、日本は常にリーダー不在の国と言えるのだそうだ。
なるほど、欧米ではパワーをすべて掌握することがリーダーの必須条件ということなのであれば、パワーを分散して他に与えてしまう電車型モデルというものは、そもそも欧米人にとってはリーダーシップ論の観点からは、全く論外の話となるのであろう。小笠原氏の話を聞いて、昔の私の疑問は見事に氷解した思いであった。
ところで、そうした文化の問題は置いておいて、組織体の機能として考えたとき、電車型モデルは、極めて近代的で合理的なものではないかと私には思える。蒸気機関車がすべてを引っ張る気車型モデルのほうが組織体の機能として優れているとは、とても素直には納得できない。
もちろん、人間の営む組織なわけだから、そのまま単純なモデルを持ちこむことはできないだろう。ただ、日本の多くの会社が今までうまくやっていたのは、この電車モデルがうまく機能していたためではないだろうか。それが、制度疲弊を起こしてしまい自分自身ではどうしようもなくなって、外国人にパワーを与えて(日本人ではパワーをすべて与えることに皆が納得しない)、気車型モデルを取り入れてみることにとした。日産のカルロスゴーン氏や、ソニーのハワードストリンガー氏の社長招聘はその典型的な例であろう。
しかし、これは、あくまで一時的な非常手段であり、日本の企業におけるリーダシップの型が、本質的に今後欧米式に変わっていくとは、まず思えない。それは、人材や慣習の問題だけではなく、電車型のリーダシップというのは、本質的に極めて合理的なものであり、かつ、日本人の適性に合ったシステムだと思われるからである。
たしかに、戦後半世紀の間に制度疲弊を起こしているのも事実なので、少し外部からの刺激を受けて、変形させる必要はあるのかもしれない。しかしながら、原則は変えずに、たくみに外部からの知恵を取り入れてシステムを修正していくというのは日本人の歴史的なお家芸でもある。きっと、またうまいさらに合理的なシステムができあがっていくものであろうと、私は信じているのだが・・・。
by sakuraimac
| 2011-11-01 00:04
| 仕事
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