2011年 12月 25日
坂の上の雲 |
NHK のスペシャルドラマ「坂の上の雲」の第 3 部が 12 月になってから 4 回連続で放送された。
「旅順総攻撃」「203 高地」「敵艦見ゆ」そして「日本海海戦」と、日露戦争におけるクライマックスの場面が続き 12/25 に最終回を終えた。昔、感動しながら読んだ「坂の上の雲」の場面を思い出しながら、テレビの画面にずっと見入っていた。
「坂の上の雲」 の作者の司馬遼太郎は、執筆直後から、多方面から申し入れのあったこの小説の映像化を、戦争賛美につながりかねないと、断り続けていたという。NHK は、最後に、財団と夫人の許諾を得ることに成功して2002 年に制作チームを結成し、紆余曲折を経て、2009 年より13 回のスペシャルドラマとして放映が開始された。
我々の世代が受けてきた歴史教育では、明治時代というのは、「藩閥政治が民主主義を弾圧し、帝国主義によってアジア諸国を侵略し、軍備拡張に邁進して日清戦争・日露戦争を引き起こした。」 と教えられ、日本の不幸な暗い時代だと思い込まされてきた。
ところが、偶然にも 「坂の上の雲」 を読んだとき、自分の歴史観が、180 度ひっくり返されるような、大きな興奮と感動を覚えた。
我々の先達の明治の人々が、いかにして日本という国の近代化を成し遂げたのか、いかにして亡国の危機の国難を乗り越えてきたのか、そして明治政府の指導者たちがいかに賢かったのかということを、司馬遼太郎は壮大なスケールで描く。自国の歴史への見方を根本的に変えさせ、自分の物の見方に最も大きな影響を与えた 1 冊であった。
自分の本棚にある本の中で、2 度読んだことのある本というのは少ない。その中で、「坂の上の雲」だけは、3 度読み直した唯一の本であった。
文藝春秋誌が、かつて、二十世紀図書館という企画で各界の著名人たちに読書アンケートを取ったことがある。そのとき、圧倒的な支持を集めて 1 位になったのは 「坂の上の雲」 であった。皆、やはりこの本を読んで同じ感動を味わうのだと、その結果に大きな感慨を覚えた記憶がある。
今回の NHK のドラマ放映を機会に、若い人々にもこの国民的な第一級の名著をぜひ読んでみてほしいと改めて思った次第である。
<付記>ロシアという国について
「坂の上の雲」 については、読んでみることをお勧めするだけであるが、明治の時代に、日本が国家の存亡をかけて戦ったロシアという国について、私の持っている知識と感ずるところを、この機会にちょっと記してみたい。
ロシアは、近代の歴史の中では、常に、戦争の場面では必ず顔を出してきた国である。第一次対戦、第二次大戦、そして戦後の冷戦時代でも主役であった。
20 世紀における最大の害毒?とも言える独裁共産主義によってソビエト連邦を結成し、世界中にこの害毒を広めたのもロシアである。(その被害の爪後は今でもアフリカや北朝鮮に残されている。特に、悲惨極まりない数々のアフリカの内戦は、もとはといえばソ連の共産主義の輸出が大きな原因のひとつであったということは、案外と知られていないことである。)
一方では、このロシアという大国は、戦争によって自分自身が大変な被害を受けてきた国でもある。最初の災難はナポレオンによる侵攻であった。この戦いで、モスクワを占領されたロシアは、やむなく自ら焦土作戦を実行し、数百万人の犠牲を出すという大変な損害を被る。
2 度目は、第二次大戦時のヒトラーのナチスによる侵攻である。あまり知られていないことであるが、ナチスドイツの侵攻によって、ロシア(ソビエト連邦)は民間人を含めて 2000~3000 万人もの犠牲者を出したと言われている。これは、第二次大戦の参戦国の中において最大の被害者数であり、日本が太平洋戦争で失った人命の数の 10 倍にも当たる実に驚くべき数字である。
ナチスドイツに攻め込まれ窮地に陥ったスターリンは、ナチスの進路に当たる町をすべて焼き払い、軍需工場をウラル山脈の内側に移動する。そこで、軍需物資の生産目標を達成できなかった工場長はすべて死刑に処されたという。
このような過酷な歴史を持った国がロシアである。それゆえ、常に自国の安全保障を求めて、領土を拡大し周辺を支配しようとする。また、海への進出を欲し、欧州と極東において、港を求めて、戦いを起こしてきた。その中のひとつが、日露戦争だったのである。
幸運がいくつも重なって、日本はかろうじて、日露戦争には負けないで講和に持ちこむことに成功した。しかしながら、もしそれらの幸運が重ならければ、日本はその後どうなっていたかは全く分からない。
太平洋戦争においては、一度も侵略された経験のない、したがって人の良い米国が相手だったことは、日本にとっては幸運なことであった。(と明記することには日本人としてはためらいを覚えるが、客観的には事実である。原爆投下さえ除けば、ソ連の日本人捕虜のシベリア抑留の過酷さや満州開拓民の悲惨さと比較すれば、米国とソ連の他国民への対応の差には歴然としたものがある。)
もし、終戦があと数ヶ月でも遅れていたら、北海道と東北地方の一部は、西部戦線が収束しシベリア鉄道にて極東に大援軍を送り始めていたソ連にあっと言う間に占領され、その地域は今の北朝鮮と同じ運命をたどっていたことに違いない。
私個人としては、ロシアという国に特別なうらみがある訳ではない。ロシア人の親しい友人もいる。ただ、ロシアという国の歴史的な本質の部分を客観的に理解しておくことは、過去において侵略され、ひどい目に会ったことのない日本という国にとっては、非常に重要なことなのではないかと思う。
ロシアが国力を復活し、大国としての自信を回復したとき、「かつてはこしゃくな東洋の小国に不覚にもやられてしまった。いつかはこの仕返しをしてやろう。」という世論が何時またどこかで復活するか分からない、という可能性があることは、日本はよくよく気をつけておかねばならないのではないのかと思うのである。
「坂の上の雲」の放送を見終えて、改めて、そんなことを思い出していた。(あまりこのブログで書くべきような内容ではなかったかもしれないが、やはり若い人々にはぜひ知っておいてもらいたい歴史の一面である。)
<補足>日露戦争の後について
上に書いたことは、あくまで私見であり、また戦争という側面から見た歴史の一面にしかすぎない。だからロシアとはこういう国なのだと早まった認識は持たないでほしいと思う。その国を理解するためには、もっともっと色々な側面から見ておく必要があることは言うまでもない。
司馬遼太郎氏が「坂の上の雲」の映像化を拒否し続けたのは、戦争の部分のみが拡大解釈され、戦争賛美に繋がりかねないという懸念を強く持っていたからである。
この、節度ある態度は実にりっぱである。その節度があったからこそ、「坂の上の雲」がここまで広く国民に支持されるようになったものと思う。
日本海海戦に勝利した時点で日本の国力と財政は底をついていた。もし、ロシアがあくまで戦争続行の意思を捨てなかったら、日本は破滅するという淵にあった。
そこで、ポーツマス講和条約の締結に臨むにあたって、日本政府はロシアに対してのみではなく、自国民に対しても日本の苦しい実情を徹底して隠さざるを得なかった。
このために、日本国民と軍部は自国の窮状を知ることなく、戦争の勝利 (これも勝利ではなく単なる停戦にすぎないのだが) に酔いしれてしまった。
このことが、軍部の増長を招き、昭和の時代の破滅へとつながっていく一因となってしまったということは、多くの人々によって指摘されているところである。
太平洋戦争の開戦当時は、政府の要人や軍部の指導者たちは誰一人として米国に勝てるとは思っていなかった。開戦の際、政府が最後の決断のよりどころとしたのは、何の根拠もない、「大国は初戦でたたけば、戦意を失い、講和に持ちこめる。」という日露戦争での教訓だったそうである。
(結果は全く逆となり、真珠湾攻撃によって、それまで厭戦的だった米国内世論と議会は一気に参戦の方向に沸騰し、英国を救うために欧州での対独開戦を強く欲していたルーズベルト大統領は小躍りして喜んだと言われている。昭和の日本は何と愚かなことであったのだろうか・・・)
日露戦争の終結という近代日本の頂点(坂の上)に立った以降の、坂を転げ落ちていく日本の姿については、司馬遼太郎氏は、口を閉ざして最後まで決して語ろうとはしなかった。
「旅順総攻撃」「203 高地」「敵艦見ゆ」そして「日本海海戦」と、日露戦争におけるクライマックスの場面が続き 12/25 に最終回を終えた。昔、感動しながら読んだ「坂の上の雲」の場面を思い出しながら、テレビの画面にずっと見入っていた。
「坂の上の雲」 の作者の司馬遼太郎は、執筆直後から、多方面から申し入れのあったこの小説の映像化を、戦争賛美につながりかねないと、断り続けていたという。NHK は、最後に、財団と夫人の許諾を得ることに成功して2002 年に制作チームを結成し、紆余曲折を経て、2009 年より13 回のスペシャルドラマとして放映が開始された。
我々の世代が受けてきた歴史教育では、明治時代というのは、「藩閥政治が民主主義を弾圧し、帝国主義によってアジア諸国を侵略し、軍備拡張に邁進して日清戦争・日露戦争を引き起こした。」 と教えられ、日本の不幸な暗い時代だと思い込まされてきた。
ところが、偶然にも 「坂の上の雲」 を読んだとき、自分の歴史観が、180 度ひっくり返されるような、大きな興奮と感動を覚えた。
我々の先達の明治の人々が、いかにして日本という国の近代化を成し遂げたのか、いかにして亡国の危機の国難を乗り越えてきたのか、そして明治政府の指導者たちがいかに賢かったのかということを、司馬遼太郎は壮大なスケールで描く。自国の歴史への見方を根本的に変えさせ、自分の物の見方に最も大きな影響を与えた 1 冊であった。
自分の本棚にある本の中で、2 度読んだことのある本というのは少ない。その中で、「坂の上の雲」だけは、3 度読み直した唯一の本であった。
文藝春秋誌が、かつて、二十世紀図書館という企画で各界の著名人たちに読書アンケートを取ったことがある。そのとき、圧倒的な支持を集めて 1 位になったのは 「坂の上の雲」 であった。皆、やはりこの本を読んで同じ感動を味わうのだと、その結果に大きな感慨を覚えた記憶がある。
今回の NHK のドラマ放映を機会に、若い人々にもこの国民的な第一級の名著をぜひ読んでみてほしいと改めて思った次第である。
<付記>ロシアという国について
「坂の上の雲」 については、読んでみることをお勧めするだけであるが、明治の時代に、日本が国家の存亡をかけて戦ったロシアという国について、私の持っている知識と感ずるところを、この機会にちょっと記してみたい。
ロシアは、近代の歴史の中では、常に、戦争の場面では必ず顔を出してきた国である。第一次対戦、第二次大戦、そして戦後の冷戦時代でも主役であった。
20 世紀における最大の害毒?とも言える独裁共産主義によってソビエト連邦を結成し、世界中にこの害毒を広めたのもロシアである。(その被害の爪後は今でもアフリカや北朝鮮に残されている。特に、悲惨極まりない数々のアフリカの内戦は、もとはといえばソ連の共産主義の輸出が大きな原因のひとつであったということは、案外と知られていないことである。)
一方では、このロシアという大国は、戦争によって自分自身が大変な被害を受けてきた国でもある。最初の災難はナポレオンによる侵攻であった。この戦いで、モスクワを占領されたロシアは、やむなく自ら焦土作戦を実行し、数百万人の犠牲を出すという大変な損害を被る。
2 度目は、第二次大戦時のヒトラーのナチスによる侵攻である。あまり知られていないことであるが、ナチスドイツの侵攻によって、ロシア(ソビエト連邦)は民間人を含めて 2000~3000 万人もの犠牲者を出したと言われている。これは、第二次大戦の参戦国の中において最大の被害者数であり、日本が太平洋戦争で失った人命の数の 10 倍にも当たる実に驚くべき数字である。
ナチスドイツに攻め込まれ窮地に陥ったスターリンは、ナチスの進路に当たる町をすべて焼き払い、軍需工場をウラル山脈の内側に移動する。そこで、軍需物資の生産目標を達成できなかった工場長はすべて死刑に処されたという。
このような過酷な歴史を持った国がロシアである。それゆえ、常に自国の安全保障を求めて、領土を拡大し周辺を支配しようとする。また、海への進出を欲し、欧州と極東において、港を求めて、戦いを起こしてきた。その中のひとつが、日露戦争だったのである。
幸運がいくつも重なって、日本はかろうじて、日露戦争には負けないで講和に持ちこむことに成功した。しかしながら、もしそれらの幸運が重ならければ、日本はその後どうなっていたかは全く分からない。
太平洋戦争においては、一度も侵略された経験のない、したがって人の良い米国が相手だったことは、日本にとっては幸運なことであった。(と明記することには日本人としてはためらいを覚えるが、客観的には事実である。原爆投下さえ除けば、ソ連の日本人捕虜のシベリア抑留の過酷さや満州開拓民の悲惨さと比較すれば、米国とソ連の他国民への対応の差には歴然としたものがある。)
もし、終戦があと数ヶ月でも遅れていたら、北海道と東北地方の一部は、西部戦線が収束しシベリア鉄道にて極東に大援軍を送り始めていたソ連にあっと言う間に占領され、その地域は今の北朝鮮と同じ運命をたどっていたことに違いない。
私個人としては、ロシアという国に特別なうらみがある訳ではない。ロシア人の親しい友人もいる。ただ、ロシアという国の歴史的な本質の部分を客観的に理解しておくことは、過去において侵略され、ひどい目に会ったことのない日本という国にとっては、非常に重要なことなのではないかと思う。
ロシアが国力を復活し、大国としての自信を回復したとき、「かつてはこしゃくな東洋の小国に不覚にもやられてしまった。いつかはこの仕返しをしてやろう。」という世論が何時またどこかで復活するか分からない、という可能性があることは、日本はよくよく気をつけておかねばならないのではないのかと思うのである。
「坂の上の雲」の放送を見終えて、改めて、そんなことを思い出していた。(あまりこのブログで書くべきような内容ではなかったかもしれないが、やはり若い人々にはぜひ知っておいてもらいたい歴史の一面である。)
<補足>日露戦争の後について
上に書いたことは、あくまで私見であり、また戦争という側面から見た歴史の一面にしかすぎない。だからロシアとはこういう国なのだと早まった認識は持たないでほしいと思う。その国を理解するためには、もっともっと色々な側面から見ておく必要があることは言うまでもない。
司馬遼太郎氏が「坂の上の雲」の映像化を拒否し続けたのは、戦争の部分のみが拡大解釈され、戦争賛美に繋がりかねないという懸念を強く持っていたからである。
この、節度ある態度は実にりっぱである。その節度があったからこそ、「坂の上の雲」がここまで広く国民に支持されるようになったものと思う。
日本海海戦に勝利した時点で日本の国力と財政は底をついていた。もし、ロシアがあくまで戦争続行の意思を捨てなかったら、日本は破滅するという淵にあった。
そこで、ポーツマス講和条約の締結に臨むにあたって、日本政府はロシアに対してのみではなく、自国民に対しても日本の苦しい実情を徹底して隠さざるを得なかった。
このために、日本国民と軍部は自国の窮状を知ることなく、戦争の勝利 (これも勝利ではなく単なる停戦にすぎないのだが) に酔いしれてしまった。
このことが、軍部の増長を招き、昭和の時代の破滅へとつながっていく一因となってしまったということは、多くの人々によって指摘されているところである。
太平洋戦争の開戦当時は、政府の要人や軍部の指導者たちは誰一人として米国に勝てるとは思っていなかった。開戦の際、政府が最後の決断のよりどころとしたのは、何の根拠もない、「大国は初戦でたたけば、戦意を失い、講和に持ちこめる。」という日露戦争での教訓だったそうである。
(結果は全く逆となり、真珠湾攻撃によって、それまで厭戦的だった米国内世論と議会は一気に参戦の方向に沸騰し、英国を救うために欧州での対独開戦を強く欲していたルーズベルト大統領は小躍りして喜んだと言われている。昭和の日本は何と愚かなことであったのだろうか・・・)
日露戦争の終結という近代日本の頂点(坂の上)に立った以降の、坂を転げ落ちていく日本の姿については、司馬遼太郎氏は、口を閉ざして最後まで決して語ろうとはしなかった。
by sakuraimac
| 2011-12-25 22:20
| テレビ
|
Comments(3)
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by
sakuraimac at 2011-12-27 17:45
司馬遼太郎はあまりに国民的人気が大きすぎるために、その多大なる影響力から、司馬史観というものが識者の間では議論になっていることを付け加えておきます。
また、今回のNHK のドラマは、気合いは入っており、ハリウッド映画なみのCG 画像も駆使されてましたが、ストーリの展開が分かりにくく、決して出来がよい作品とは言えないと思います。やはり、原作を読むのが一番と思ったことも付け加えておきます。
また、今回のNHK のドラマは、気合いは入っており、ハリウッド映画なみのCG 画像も駆使されてましたが、ストーリの展開が分かりにくく、決して出来がよい作品とは言えないと思います。やはり、原作を読むのが一番と思ったことも付け加えておきます。
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sakuraimac at 2011-12-28 22:24
朝日新聞のモスクワ支局長が、西欧と日本のロシアへの無理解さをなげいている記事を見ました。日本人の好感度調査では米国が8割なのに、ロシアに対しては1割しかない。西欧もロシアへの警戒感を緩めず、プーチン大統領はNATOへの加盟も検討していたがこれを拒絶した。ソ連は消滅し、100を超える民族を抱え平和を欲しているロシアのことをもっとよく理解してほしい、という内容でした。
私はこのブログで皆があまり知らないであろう歴史の一面を書いたのですが、何を書いて何を書かないか、ということ自体が人の意見のある方向に誘導することにつながるという自戒は十分に持っています。
したがって、このモスクワ支局長の言葉もぜひ紹介しておかねばと思いました。
私はこのブログで皆があまり知らないであろう歴史の一面を書いたのですが、何を書いて何を書かないか、ということ自体が人の意見のある方向に誘導することにつながるという自戒は十分に持っています。
したがって、このモスクワ支局長の言葉もぜひ紹介しておかねばと思いました。
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sakuraimac at 2011-12-29 17:10
本文で言い忘れたのですが、司馬遼太郎氏は「坂の上の雲」を書いたときからロシアのことが大変気になっていたようで、後に、「ロシアについて」という本を書いています。これは読売文学賞を受けました。
私のように近代戦史のことには一切ふれずに、ロシア民族のこととその国の成り立ちについて淡々と述べています。この本のこともぜひ付記しておかねばと思いました。
私のように近代戦史のことには一切ふれずに、ロシア民族のこととその国の成り立ちについて淡々と述べています。この本のこともぜひ付記しておかねばと思いました。