2012年 04月 14日
facebook 2 |
facebook を始めて3週間近くになる。どうせ面倒で続かないだろうと、半信半疑で登録してみたのではあるが、旧友を見つけて会話を始めたらすっかりハマってしまった。
最近、仕事の大半はPC に向う作業が占めている。PCと向き合う時間は、1番がメールの処理、2番が書類の作成(論文、報告書、予算など)、3番が学校のポータルサイト検索であり、4番目が何と息抜きのfacebookサイトになってしまった。(ブログは休日に家でやっているので別であるが。)
同じ大学の先生と、facebook上でチャットをしていたら、あまりに応答が早いので、向こうもちょうど仕事を休んでfacebook上にしばらく滞在しているのだなと知って、思わず苦笑してしまった。
ところで、世の中、このたぐいのSNS はたくさんあると思うのだが、facebook で特に印象的なのは、実名での「いいね!」マークである。投稿した言葉とか写真に対して興味を持ってくれた人は「いいね!」ボタンを押すのだが、その情報が、メールで通知されてくる。親しい友達から 2,3 件「いいね!」メッセージジが送付されてくると、それだけでその日一日はちょっぴりと幸せな気分になれる。(膨大なジャンクメールと、事務局からの催促メールの洪水の中で、一服の清涼剤のような趣がある。)
この「いいね!」メッセージの心地よさは何だろうと思っていたのだが、facebook での友人との対話の中で 「承認欲求」 という言葉が出てきて、これがそのまさにその答に違いないと思った。
米国の心理学者のアブラハム・マズロー氏が、人間の欲求階層説というものを唱えている。人間の欲求は5層に分類することができ、一番下から、1. 生理的欲求(生命を維持したい)、2. 安全欲求(生命の安定的維持を求めたい)、3. 親和欲求(他者とかかわり集団帰属したい)、4. 承認欲求(他者から存在価値を認められたい)、5. 自己実現(能力を発揮して想像的活動をしたい)というものである。
「いいね!」メッセージを得ることは、4番目の「承認欲求」を満たしてくれるということに合致している。しかも不特定な人ではなく、実名というところに非常に大きな意味がある。
私事であるが、独立して、家庭を持つ娘が、時々、「いいね!」マークをつけてくれるのだが、そのときはひとしお嬉しい思いがする。単にボタンを押すだけなのに、会話では得られないある種の特別な心の交流を、そこに感ずるのは何とも不思議であり、この心理は自分でもよく説明ができない。
ネットの社会で行われている交流を、マズローの欲求階層説にそれぞれ当てはめてみると、かなり面白そうな心理分析ができそうな気がする。
なお、マズローの分類にないものとして「他人を傷つける欲求」というものが現実には存在する。犯罪行為は別としても、誹謗・中傷・イジメなどがこれに相当する。無記名のネット上で無責任に行われるこうした行為が、世の多くの人々のネット交流に対する不信感を持たせ、毛嫌いさせる原因のひとつになっている面も否定できない。
その意味では、実名を出して、個人の発言に責任を持たせ、しかも限定した友人にしか情報を公開しない facebook は大変うまくできているシステムだと思う。それがこれだけ広く普及した理由でもあるのだろう。
先日、電通のメディア部門の責任者と対談したときに、テレビにつぐ次の最大の広告媒体は facebook になると電通では認識していると語っていた。自分の滞在時間とハマリ具合を見ても、なるほどと彼の言葉は素直に納得することができる。
おしむらくは、実名登録とネット上での会話ということに抵抗感を持つ人はまだ多く、登録してほいしいなと思う知人に声をかけても、中々乗ってきてくれないことである。私のような年寄りがハマっているのだから、特に若い人はダマされたと思ってやってみてほしいと思う次第である。
最近、仕事の大半はPC に向う作業が占めている。PCと向き合う時間は、1番がメールの処理、2番が書類の作成(論文、報告書、予算など)、3番が学校のポータルサイト検索であり、4番目が何と息抜きのfacebookサイトになってしまった。(ブログは休日に家でやっているので別であるが。)
同じ大学の先生と、facebook上でチャットをしていたら、あまりに応答が早いので、向こうもちょうど仕事を休んでfacebook上にしばらく滞在しているのだなと知って、思わず苦笑してしまった。
ところで、世の中、このたぐいのSNS はたくさんあると思うのだが、facebook で特に印象的なのは、実名での「いいね!」マークである。投稿した言葉とか写真に対して興味を持ってくれた人は「いいね!」ボタンを押すのだが、その情報が、メールで通知されてくる。親しい友達から 2,3 件「いいね!」メッセージジが送付されてくると、それだけでその日一日はちょっぴりと幸せな気分になれる。(膨大なジャンクメールと、事務局からの催促メールの洪水の中で、一服の清涼剤のような趣がある。)
この「いいね!」メッセージの心地よさは何だろうと思っていたのだが、facebook での友人との対話の中で 「承認欲求」 という言葉が出てきて、これがそのまさにその答に違いないと思った。
米国の心理学者のアブラハム・マズロー氏が、人間の欲求階層説というものを唱えている。人間の欲求は5層に分類することができ、一番下から、1. 生理的欲求(生命を維持したい)、2. 安全欲求(生命の安定的維持を求めたい)、3. 親和欲求(他者とかかわり集団帰属したい)、4. 承認欲求(他者から存在価値を認められたい)、5. 自己実現(能力を発揮して想像的活動をしたい)というものである。
「いいね!」メッセージを得ることは、4番目の「承認欲求」を満たしてくれるということに合致している。しかも不特定な人ではなく、実名というところに非常に大きな意味がある。
私事であるが、独立して、家庭を持つ娘が、時々、「いいね!」マークをつけてくれるのだが、そのときはひとしお嬉しい思いがする。単にボタンを押すだけなのに、会話では得られないある種の特別な心の交流を、そこに感ずるのは何とも不思議であり、この心理は自分でもよく説明ができない。
ネットの社会で行われている交流を、マズローの欲求階層説にそれぞれ当てはめてみると、かなり面白そうな心理分析ができそうな気がする。
なお、マズローの分類にないものとして「他人を傷つける欲求」というものが現実には存在する。犯罪行為は別としても、誹謗・中傷・イジメなどがこれに相当する。無記名のネット上で無責任に行われるこうした行為が、世の多くの人々のネット交流に対する不信感を持たせ、毛嫌いさせる原因のひとつになっている面も否定できない。
その意味では、実名を出して、個人の発言に責任を持たせ、しかも限定した友人にしか情報を公開しない facebook は大変うまくできているシステムだと思う。それがこれだけ広く普及した理由でもあるのだろう。
先日、電通のメディア部門の責任者と対談したときに、テレビにつぐ次の最大の広告媒体は facebook になると電通では認識していると語っていた。自分の滞在時間とハマリ具合を見ても、なるほどと彼の言葉は素直に納得することができる。
おしむらくは、実名登録とネット上での会話ということに抵抗感を持つ人はまだ多く、登録してほいしいなと思う知人に声をかけても、中々乗ってきてくれないことである。私のような年寄りがハマっているのだから、特に若い人はダマされたと思ってやってみてほしいと思う次第である。
by sakuraimac
| 2012-04-14 17:30
|
Comments(0)

