2012年 04月 29日
還暦 |
昔は還暦というと、長生しましたねと長寿のお祝いをする習慣があったようだ。しかし、最近では、還暦をお祝いされても喜ぶ人はまずいないだろう。私も昨年還暦を迎えたが、自分が老人になったという実感は全くない。(学生たちからお祝いをもらった時は、気にかけてもらっているということはとても嬉しかったが。)
高齢者医療にたずさわっている医師の和田秀樹氏によると、1970年代に比べて日本人の年齢は確実に10歳以上は若返っているそうである。漫画サザエさんの父親磯野波平は54歳という設定であったそうだが、今の感覚では、60半ばのイメージだろうから、確かに10歳若返っているというのは感覚的に合っている。
和田氏が例に挙げていたが、40歳の伴淳三郎と福山雅治、50歳の美空ひばりと黒木瞳、70歳の東野英次郎(水戸黄門)と加山雄三、どれも、昭和と平成では明らかに老いというものに大きな差が認められる。
私の母は、自分の人生の中で60 歳台が一番充実していたとさかんに言っていた。
もと外務官僚で有名な著作をたくさん書いてきた岡崎久彦氏は、「年齢は60 歳以上がよい。私自身現役中よりも今のほうがはるかに物事がよく見える。」と語っている。
渡辺淳一氏の話題作「天上紅蓮」では、平安時代の最高権力者であった62 歳の白河法王が、15 歳の待賢門院璋子に激しい恋をした様が描かれている。
私事で恐縮であるが、私も60歳でブログを始めてハマり、61 歳で facebook を始めてこれまたすっかりハマってしまった。
このような状況に鑑みてみると、日本の雇用制度というものは、人々の高齢化(若返り)についていけていないように思われる。60代、70代の人々(これらの多くはあと20年以上も元気に生きるのだ)の年金問題・高齢者医療費の問題が、国の大きな財政負担(それも破滅的な予測数字ととに)としてクローズアップされて久しい。
それを解決する方法のひとつは、高齢者に低賃金でもよいから、満足感を持って働く機会が提供されることなのではないかとも思われる。元気で力の有り余っている大量の人々を遊ばせておいて、苦しい国家財政から膨大な年金を満額支給するよりは、少しでも働いて自活してもらったほうが、国のためにも当人のためにもなるのではないだろうか。
外国の人々の場合は、退職後は悠々自適することを目的として働くということをよく聞く。しかしながら、日本人の男性の場合、働くことを止めたとたんに、生きる張り合いが無くなり、同時に健康状態も衰えてしまうという人も少なくないのではないだろうか。若い人々の雇用の場を奪うことなく、何とか高齢者にそれなりの雇用の場を創出することはできないものであろうかと思う。
これは国の施策ではなく(国の定年延長の要請は、既存の民間企業には大きな負担になっておりうまく機能してはいないようだ)、既存の企業以外の民間の知恵が重要な気がする。もし、高齢者の低賃金労働力と知恵をうまく使いこなすことができたとしたら、そこには大きなビジネスチャンスが発生するのではないだろうか。
今の中堅層と若い世代の活力をもっと生かしていかねば、日本の将来は無いのは明らかである。政治は、一番の票田である高齢者のほうにどうしても目が行き、その優遇策が優先される。しかし、それでは、将来の日本は大量の高齢者層とともに沈没してしまうのではないのかと心配である。
政治が若年層の活性化にもっと目を向け、高齢者層の扱いには民間の知恵がもう少し生かされるようになれば、理想的なのではないかと思うのであるが、現実は中々うまくはいかないようだ。(しかし高齢者というのは、そんなに使いづらいものなのだろうか。人の上に立つのでなければ、工夫次第で、もっと色々と使い道はあるのではないかという気がするのだが・・・)
<追記> ITは若い人ではなくてはダメだと言う話をよく聞く。たしかにプログラミングや機器の操作や知識という面ではそれは事実だろう。しかし、ITのもうひとつの側面にコンテンツというものがある。コンテンツは伝達手段とは全く独立した創作活動である。高名な小説家や芸術家などで、高齢になってからも豊富な経験を生かしてさらなる活躍している人は少なくない。高齢者こそ、ブログとか facebook を活用して、自分が蓄積してきた経験を若い世代に伝えていくことをもっと行ってもよいのではないかと思われる(特に表現の場のほとんどないサラリーマン経験者たちには)。
創作などというおおげさなことでなくとも、twitter でグチをどんどんつぶやくだけでもよいと思う。グチ仲間ができるだけでも、ずいぶんと人生が豊かにになるような気がする。その意味では、SNS は時間の豊富な高齢者にとってこそ、おおいにその利用価値があるものではないかという気がしている。(ということに、私自身がごく最近気がついたわけであるが。)
高齢者医療にたずさわっている医師の和田秀樹氏によると、1970年代に比べて日本人の年齢は確実に10歳以上は若返っているそうである。漫画サザエさんの父親磯野波平は54歳という設定であったそうだが、今の感覚では、60半ばのイメージだろうから、確かに10歳若返っているというのは感覚的に合っている。
和田氏が例に挙げていたが、40歳の伴淳三郎と福山雅治、50歳の美空ひばりと黒木瞳、70歳の東野英次郎(水戸黄門)と加山雄三、どれも、昭和と平成では明らかに老いというものに大きな差が認められる。
私の母は、自分の人生の中で60 歳台が一番充実していたとさかんに言っていた。
もと外務官僚で有名な著作をたくさん書いてきた岡崎久彦氏は、「年齢は60 歳以上がよい。私自身現役中よりも今のほうがはるかに物事がよく見える。」と語っている。
渡辺淳一氏の話題作「天上紅蓮」では、平安時代の最高権力者であった62 歳の白河法王が、15 歳の待賢門院璋子に激しい恋をした様が描かれている。
私事で恐縮であるが、私も60歳でブログを始めてハマり、61 歳で facebook を始めてこれまたすっかりハマってしまった。
このような状況に鑑みてみると、日本の雇用制度というものは、人々の高齢化(若返り)についていけていないように思われる。60代、70代の人々(これらの多くはあと20年以上も元気に生きるのだ)の年金問題・高齢者医療費の問題が、国の大きな財政負担(それも破滅的な予測数字ととに)としてクローズアップされて久しい。
それを解決する方法のひとつは、高齢者に低賃金でもよいから、満足感を持って働く機会が提供されることなのではないかとも思われる。元気で力の有り余っている大量の人々を遊ばせておいて、苦しい国家財政から膨大な年金を満額支給するよりは、少しでも働いて自活してもらったほうが、国のためにも当人のためにもなるのではないだろうか。
外国の人々の場合は、退職後は悠々自適することを目的として働くということをよく聞く。しかしながら、日本人の男性の場合、働くことを止めたとたんに、生きる張り合いが無くなり、同時に健康状態も衰えてしまうという人も少なくないのではないだろうか。若い人々の雇用の場を奪うことなく、何とか高齢者にそれなりの雇用の場を創出することはできないものであろうかと思う。
これは国の施策ではなく(国の定年延長の要請は、既存の民間企業には大きな負担になっておりうまく機能してはいないようだ)、既存の企業以外の民間の知恵が重要な気がする。もし、高齢者の低賃金労働力と知恵をうまく使いこなすことができたとしたら、そこには大きなビジネスチャンスが発生するのではないだろうか。
今の中堅層と若い世代の活力をもっと生かしていかねば、日本の将来は無いのは明らかである。政治は、一番の票田である高齢者のほうにどうしても目が行き、その優遇策が優先される。しかし、それでは、将来の日本は大量の高齢者層とともに沈没してしまうのではないのかと心配である。
政治が若年層の活性化にもっと目を向け、高齢者層の扱いには民間の知恵がもう少し生かされるようになれば、理想的なのではないかと思うのであるが、現実は中々うまくはいかないようだ。(しかし高齢者というのは、そんなに使いづらいものなのだろうか。人の上に立つのでなければ、工夫次第で、もっと色々と使い道はあるのではないかという気がするのだが・・・)
<追記> ITは若い人ではなくてはダメだと言う話をよく聞く。たしかにプログラミングや機器の操作や知識という面ではそれは事実だろう。しかし、ITのもうひとつの側面にコンテンツというものがある。コンテンツは伝達手段とは全く独立した創作活動である。高名な小説家や芸術家などで、高齢になってからも豊富な経験を生かしてさらなる活躍している人は少なくない。高齢者こそ、ブログとか facebook を活用して、自分が蓄積してきた経験を若い世代に伝えていくことをもっと行ってもよいのではないかと思われる(特に表現の場のほとんどないサラリーマン経験者たちには)。
創作などというおおげさなことでなくとも、twitter でグチをどんどんつぶやくだけでもよいと思う。グチ仲間ができるだけでも、ずいぶんと人生が豊かにになるような気がする。その意味では、SNS は時間の豊富な高齢者にとってこそ、おおいにその利用価値があるものではないかという気がしている。(ということに、私自身がごく最近気がついたわけであるが。)
by sakuraimac
| 2012-04-29 22:22
| 人生
|
Comments(0)

