2012年 06月 03日
インテル |
日本の半導体業界の不振に比べ、米国の半導体メーカである Intel 社の絶好調さの秘密は何なのだろうとかねてから不思議に思ってきた。先日、日本の半導体産業のことを書いたので、この機会にちょっと Intel の歴史を調べてみた。
以前から、パソコンには、”intel inside” というロゴマークが貼られていて、一般の人にも、Intel という名前はよく知られていると思う。マイクロソフトのWindows と Intel のMPU(マイクロプロセッサユニット)チップのコンビが、Wintel と呼ばれて世界のパソコン市場を支配し始めてから、もうかれこれ20年くらい経っている。変遷の激しいIT業界において、これだけの長い間の独占状態は稀有のことと言ってよいのではないだろうか。Wintel を育てた巨人IBMは、軒を貸して母屋を取られる格好で、パソコン事業の撤退をせまられ、中国のレノボにパソコン事業の売却をせざるを得なかったが、Wintel は未だに健在である。
インテル社は、半導体の分野では有名な、ノイス氏とムーア氏が創設した。当初は、DRAM(メモリ)の会社であったが、日本向けの電卓用MPU(マイクロプロセサユニット)を開発したことからMPUも製造するようにもなっていた。しかし、当時のインテル社内では、半導体技術として先頭を行くDRAM部門が圧倒的な力を持っていた。
最初のインテルの成功は、1981年にIBMが自社のパソコンに、インテルのMPU 8086 を採用したことであった。その歴史で面白いのは、当時のMPUの性能では、モトローラ社の68000のほうが技術的にずっと優れていたことである。モトローラに勝てた理由は、チップの性能ではなく、インテルの優れた顧客サービスとサポート体制だったと言われている。その後、パソコンブームに乗って過剰設備を行ったため経営難に陥る。
そこに、追撃を加えたのが、1980年中頃の日本の半導体メーカの進出である。官民あげての技術開発と品質管理と低価格攻勢で、日本は世界のDRAM市場を席巻し、インテル社は会社の存亡にかかわる窮地に追い込まれる。
冷静な経営判断をすれば、価格競争で勝ち目のないDRAMは撤退し、今後の売上が期待できるMPUに特化すればよいことは明らかであった。しかし、DRAMはインテルを育ててきた柱でもあり技術進歩の源泉でもあった。社内での勢力も強くかかわっている従業員も多い。
そのような状況では、米国の会社といえども、方針転換をするのは容易ではない。結局、1年間に渡り、社内での苦闘と激論の末、最後にトップはDRAM撤退を決断するに至る。
MPUの圧倒的な性能によって世界を支配し続けてきたと思っていた Intel 社の思いがけぬ歴史を知って、ちょっと意外な感じがした。
その後、Intel は名経営者と言われた、グローブ氏のもとで、パソコンの市場の拡大とともに成長していく。しかし、ここで不思議に思うのは、MPUといえどもしょせん、人間の考えたチップである。膨大なるパソコン市場を前にして、競合他社が現れて当然である。同じ回路構造のMPUチップを作って低価格攻勢をかけてきたら、これにどう対抗すればよいのか?
Intel の取った方法は、MPUを接続するためのPCIバスを徹底的に研究し、MPUをプリント基盤(マザーボード)に実装する技術を開発したことであった。そして、Intel のMPUを搭載したマザーボードの製造を台湾のメーカに技術供与して作らせた。これが、大成功し、各PCメーカは安くて確実に動く(しかしそこには安くはないIntel チップが載っている)マザーボードを購入し、手軽に安価なPCを大量に作ることができる。結果的に、競合他社の半導体メーカが参入できないようなしくみを作り上げてしまった。
私の専門は、MOT(技術マネジメント)ではないので、Intel の例から、日本の半導体産業が何か教訓を得るべきと主張するつもりは全くない。ただ、Intel はそのMPUの圧倒的な設計技術力で、パソコンの世界を支配してきたように思ってきたのだが、それは全く違うのだということを知った。
これからは、技術を持っていることもさることながら、その技術をうまく生かす知恵をつけていくことが重要なのだと、改めて認識した次第である。(大学教員の私が認識しても仕方のないことではあるが、企業に行く学生諸君には、ちょっと知っておいてもらってもよいことかなと思った。)

以前から、パソコンには、”intel inside” というロゴマークが貼られていて、一般の人にも、Intel という名前はよく知られていると思う。マイクロソフトのWindows と Intel のMPU(マイクロプロセッサユニット)チップのコンビが、Wintel と呼ばれて世界のパソコン市場を支配し始めてから、もうかれこれ20年くらい経っている。変遷の激しいIT業界において、これだけの長い間の独占状態は稀有のことと言ってよいのではないだろうか。Wintel を育てた巨人IBMは、軒を貸して母屋を取られる格好で、パソコン事業の撤退をせまられ、中国のレノボにパソコン事業の売却をせざるを得なかったが、Wintel は未だに健在である。
インテル社は、半導体の分野では有名な、ノイス氏とムーア氏が創設した。当初は、DRAM(メモリ)の会社であったが、日本向けの電卓用MPU(マイクロプロセサユニット)を開発したことからMPUも製造するようにもなっていた。しかし、当時のインテル社内では、半導体技術として先頭を行くDRAM部門が圧倒的な力を持っていた。
最初のインテルの成功は、1981年にIBMが自社のパソコンに、インテルのMPU 8086 を採用したことであった。その歴史で面白いのは、当時のMPUの性能では、モトローラ社の68000のほうが技術的にずっと優れていたことである。モトローラに勝てた理由は、チップの性能ではなく、インテルの優れた顧客サービスとサポート体制だったと言われている。その後、パソコンブームに乗って過剰設備を行ったため経営難に陥る。
そこに、追撃を加えたのが、1980年中頃の日本の半導体メーカの進出である。官民あげての技術開発と品質管理と低価格攻勢で、日本は世界のDRAM市場を席巻し、インテル社は会社の存亡にかかわる窮地に追い込まれる。
冷静な経営判断をすれば、価格競争で勝ち目のないDRAMは撤退し、今後の売上が期待できるMPUに特化すればよいことは明らかであった。しかし、DRAMはインテルを育ててきた柱でもあり技術進歩の源泉でもあった。社内での勢力も強くかかわっている従業員も多い。
そのような状況では、米国の会社といえども、方針転換をするのは容易ではない。結局、1年間に渡り、社内での苦闘と激論の末、最後にトップはDRAM撤退を決断するに至る。
MPUの圧倒的な性能によって世界を支配し続けてきたと思っていた Intel 社の思いがけぬ歴史を知って、ちょっと意外な感じがした。
その後、Intel は名経営者と言われた、グローブ氏のもとで、パソコンの市場の拡大とともに成長していく。しかし、ここで不思議に思うのは、MPUといえどもしょせん、人間の考えたチップである。膨大なるパソコン市場を前にして、競合他社が現れて当然である。同じ回路構造のMPUチップを作って低価格攻勢をかけてきたら、これにどう対抗すればよいのか?
Intel の取った方法は、MPUを接続するためのPCIバスを徹底的に研究し、MPUをプリント基盤(マザーボード)に実装する技術を開発したことであった。そして、Intel のMPUを搭載したマザーボードの製造を台湾のメーカに技術供与して作らせた。これが、大成功し、各PCメーカは安くて確実に動く(しかしそこには安くはないIntel チップが載っている)マザーボードを購入し、手軽に安価なPCを大量に作ることができる。結果的に、競合他社の半導体メーカが参入できないようなしくみを作り上げてしまった。
私の専門は、MOT(技術マネジメント)ではないので、Intel の例から、日本の半導体産業が何か教訓を得るべきと主張するつもりは全くない。ただ、Intel はそのMPUの圧倒的な設計技術力で、パソコンの世界を支配してきたように思ってきたのだが、それは全く違うのだということを知った。
これからは、技術を持っていることもさることながら、その技術をうまく生かす知恵をつけていくことが重要なのだと、改めて認識した次第である。(大学教員の私が認識しても仕方のないことではあるが、企業に行く学生諸君には、ちょっと知っておいてもらってもよいことかなと思った。)

by sakuraimac
| 2012-06-03 23:14
| 科学技術
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