2013年 11月 27日
経済学は科学か? |
今年のノーベル経済学賞がまたもや物議を醸しているという記事(週刊東洋経済誌 11/2 号)を見て、ずっと気になっていたので、ちょっとここに記して見たい。
二つの全く相反する学説が同時に受賞したというものであるが、これに関連して同記事は、ノーベル経済学賞というものへの疑問点をあげている。それは2点あって、ひとつは「科学」であると言う印象を与えるとそれが無条件で正しいものとして人々に受け入れられてしまうという問題点、もうひとつはそれが「政治的」価値判断から中立であるかのように認識されてしまうことの危険性である。
私は経済学は全く門外漢なので、それを論ずる資格も知識も自分にはないことは十分自覚している。
ただ、この記事を読んで、どうしても思い出すのが、マルクス経済学のことである。
マルクスが提唱しエンゲルスが普及して、多くの知的人々を魅了したのは、「科学的」な唯物史観と、「政治的」な階級闘争であったと思う。
その思想をベースにして生まれた独裁共産主義というものが、20世紀においてどれだけの多くの人々に被害を及ぼしたかを、はっきりと指摘する論評を一般にはあまり見かけないのは、社会学・歴史学には全くシロウトである私にはずっと不思議で仕方がなかった。
私の乏しい聞きかじりの知識で不正確かもしれないが、レーニンとスターリンがソ連で粛清した自国民は2000万人以上とも言われている。毛沢東の文化大革命のもとで殺された中国の人々は、2000万人~6000万人?、ポルポト共産政権が殺した自国民は200万人、また、アフリカの各地における悲惨極まりない内戦の背景には、旧ソ連が推進したアフリカ諸国の共産化の影響が色濃くあったことは以前から指摘されている。また、中国共産政権が周辺諸国に対して行った暴挙での犠牲者も決して無視はできない。
共産主義の名のもとに殺された人々がどれだけいたかということは、何故、歴史学者はちゃんと数えて皆に示さないのだろうか。ナチスのユダヤ人600万人の虐殺は世紀の悪業と喧伝されるが、共産主義の名のもとに行われた悪業によって死んだ人々の数は、シロウトの私の目から見ても、明らかにそれよりは1桁は多いように感ずる。(1説には1億人という話さえある。)
そのことを思い出すと、冒頭の東洋経済誌の批判、すなわち、経済学が「科学」と「政治的」中立性を装うことの危険性への指摘は実にもっともな正論だと思う。
専門家たちはそんなことはもう十分に分かっているのかもしれないが、問題は一般のシロウトに近い人々が、自分の日常生活に直結する経済や政治というものを、どのように感じて理解するのかということなのだ。
本文はノーベル経済賞の話から、いきなり共産主義に飛躍して、自分勝手な議論を展開しただけかもしれない。
二つの全く相反する学説が同時に受賞したというものであるが、これに関連して同記事は、ノーベル経済学賞というものへの疑問点をあげている。それは2点あって、ひとつは「科学」であると言う印象を与えるとそれが無条件で正しいものとして人々に受け入れられてしまうという問題点、もうひとつはそれが「政治的」価値判断から中立であるかのように認識されてしまうことの危険性である。
私は経済学は全く門外漢なので、それを論ずる資格も知識も自分にはないことは十分自覚している。
ただ、この記事を読んで、どうしても思い出すのが、マルクス経済学のことである。
マルクスが提唱しエンゲルスが普及して、多くの知的人々を魅了したのは、「科学的」な唯物史観と、「政治的」な階級闘争であったと思う。
その思想をベースにして生まれた独裁共産主義というものが、20世紀においてどれだけの多くの人々に被害を及ぼしたかを、はっきりと指摘する論評を一般にはあまり見かけないのは、社会学・歴史学には全くシロウトである私にはずっと不思議で仕方がなかった。
私の乏しい聞きかじりの知識で不正確かもしれないが、レーニンとスターリンがソ連で粛清した自国民は2000万人以上とも言われている。毛沢東の文化大革命のもとで殺された中国の人々は、2000万人~6000万人?、ポルポト共産政権が殺した自国民は200万人、また、アフリカの各地における悲惨極まりない内戦の背景には、旧ソ連が推進したアフリカ諸国の共産化の影響が色濃くあったことは以前から指摘されている。また、中国共産政権が周辺諸国に対して行った暴挙での犠牲者も決して無視はできない。
共産主義の名のもとに殺された人々がどれだけいたかということは、何故、歴史学者はちゃんと数えて皆に示さないのだろうか。ナチスのユダヤ人600万人の虐殺は世紀の悪業と喧伝されるが、共産主義の名のもとに行われた悪業によって死んだ人々の数は、シロウトの私の目から見ても、明らかにそれよりは1桁は多いように感ずる。(1説には1億人という話さえある。)
そのことを思い出すと、冒頭の東洋経済誌の批判、すなわち、経済学が「科学」と「政治的」中立性を装うことの危険性への指摘は実にもっともな正論だと思う。
専門家たちはそんなことはもう十分に分かっているのかもしれないが、問題は一般のシロウトに近い人々が、自分の日常生活に直結する経済や政治というものを、どのように感じて理解するのかということなのだ。
本文はノーベル経済賞の話から、いきなり共産主義に飛躍して、自分勝手な議論を展開しただけかもしれない。
共産主義の悲劇は経済学のせいではなく、階級闘争という概念が、人を殺すことに正義の名分を与えてしまった結果と言うべきなのだろう。しかしながら、そのことに多くの知識人(およびマスコミも)が気がつかなかったのは、マルクス経済学の科学性への幻覚が原因のひとつであったというのも事実なのではないだろうか。
検証と再現性の確認のできない経済学は、いかに数学を駆使したとしても、本質的に科学とは言えないと思う。同時に経済学は政策に影響を与える政治的な側面を常に内包せざるを得ない。
その政治とは切り離せない経済学が、あたかも科学のような再現性のある真理であるとの印象を人々に与えることの危険性は、過去の共産主義の大げさな例を持ち出すまでもなく、リーマンショックの一因となった金融工学の例からも学ぶことができるのではないだろうか。
by sakuraimac
| 2013-11-27 18:51
| 社会
|
Comments(3)
私の学生時代は、学園紛争真っ只中、左翼思想にのめり込んだ友人たちがたくさんいました。私は全くのノンポリでどちららかというと無関心層でしたが、左翼思想が暴力を振うことを肯定する根拠を特に頭のよいインテリ層に与えることに、何か非常に大きな違和感を感じてました。彼らは戦時中に生まれていたら、真っ先に軍国青年になっていたのだろうなと思いつつ。
0
マルクスらの「科学的唯物史観」の「科学」はWissenschaftの訳語ですが、実はWissenschaftというドイツ語はscienceよりも広義な語彙で「哲学」などもWissenschaftに含まれます。実際、エンゲルスの「空想から科学へ」というスローガンからも分かるように、彼らはWissenschaftという語彙を「空想」の対義語として用いており、これを「近代西欧科学」という意味のscienceと混同すべきではありません。
文学院生さん、コメントありがとうございます。
ドイツ語の意味までは知りませんでした。ご指摘ありがとうございました。
ドイツ語の意味までは知りませんでした。ご指摘ありがとうございました。

