2014年 01月 29日
地方と中央 |
学会などで、地方の都市に行くと、駅前の商店街のシャッターの余りの多さに驚いてしまうことが多い。地方の活性化が言われて久しいが、現実は地方の過疎化はどんどんと進み、東京首都圏への一極集中は、とどまるところを知らないように見える。
このまま進んでいくと、日本の将来は大丈夫なのかと心配になってくる。首都圏への集中をさらにうながすだろうと予想されるリニア新幹線や東京オリンピック2020も、その意味では私には素直には共感できない思いがしている。
ビジネスブレークスルー代表取締役で、企業経営に関する論客としても知られている大前研一氏が興味深いことを言っている。
日本は、今後、米国を手本としてシリコンバレーのような生態系を求めても、移民政策や起業支援システムの問題から無理である。では、日本がこれから手本とすべきは国というものはどこにあるのだろうか?
昨年、企業経営者70名とともにドイツを視察してきた大前氏は、日本が今後手本にすべきは、ドイツの地方分権制度だと主張する。
ドイツは、戦後、ナチスの復活を防ぐために、占領軍が中央集権を排して、徹底した地方分権の制度を作った。その後、東西ドイツの統一によって東ドイツの経済援助という重い負担を抱え、長らく経済の低迷が続いていたが、2000年代に入ってからは、ドイツの産業・経済は大きく復活した。
最近では、ゴルフが日本のカー・オブ・ザ・イヤーに選ばれ注目を集めたが、BMWやフォルクスワーゲン、BOSCHなどの自動車産業の活況は、トヨタ自動車に危機感をいだかせるほどだと言われている。
大前氏の見方によると、このドイツ産業の躍進は、地方分権制度がうまく機能している面が大きいという。ドイツでは、16の州が独立しており、強力な自治権と徴税権を有し、企業誘致をはじめとする産業政策も国とは関係なくそれぞれの州が独自に展開している。
その結果、国際化、産業誘致、教育レベルなどのあらゆる面で、他の州と競争をして、差別化を図り戦略的な思考で産業政策をグローバルに展開しようとする。現在ではそれが非常にうまく機能しているというのである。
日本においては、中央集権化が、明治維新の成功、戦後の復興の2つにおいて大変大きな役割を果たしてきたというのは事実である。しかしながら、現在においては、その役目はほぼ終わっており、ある時点からは、地方分権にシフトすべきだったというのが、大前氏の意見である。
これは、中々説得力のある提言だと思った。首都圏への一極集中への弊害は、以前から皆の問題意識にはあったと思う。東京への一極集中を避けるために、筑波に学園都市を作って、主な国の研究機関を移動するという試みが行われたのは1970年代である。また、地方分権改革は幾度となく、政府の政策運営のテーブルに載ってきた。それでも、有効な手段実行されず、東京への集中と地方の衰退は止まらない。
ところで、歴史を振り返ってみると、明治維新の成功の背景には、江戸時代の各藩における産業振興と教育水準の高さがあったと言われている。各藩の産業振興と人材育成という基盤なくしては、中央集権化による奇跡の明治維新の成功は成し得なかっただろうという見方である。
確かに、江戸時代における、幕府による3大改革(享保の改革、寛政の改革、天保の改革)はすべてが失敗している。一方、藩レベルの改革では、成功しているものが少なくない。(上杉鷹山の米沢藩、恩田木工の松代藩、そして、幕末の薩摩藩と長州藩、佐賀藩、土佐藩、福井藩の改革などなど)
日本はドイツを手本にして、中央集権から地方分権に移行すべきだという大前氏の意見は、日本の歴史と重ね合わせてみても中々説得力がある。
教育の場にいても、文科省の全国一律の教育政策の弊害は小さくない。大学間に競争をさせて大学としての質を向上させようと、文科省は色々な案を策定する。しかしながら、それがうまく行っている(あるいは行きそうだ)と感じている関係者はおそらくほとんどいないのではないだろうか。(大前氏は、教育の問題についても鋭い熱弁をふるっているが、それはまた別の機会に紹介してみたい。)
中央からの改革は、常に一律性を維持せざるを得ず、またいったん決めると修正が非常に困難である。そのため、試しにやってみてそこから学んで、修正をして行こうというプロセスが中々取れない。
慣性モーメントが大きすぎるので、前例のない改革には、中々踏み切れず、思い切ったことができない。また、最大公約数的な平均を取るので、個々の現場にはなじまないものとなってしまう例も多いようだ。
地方分権にして、地方の間で自由競争させるというのは、今後の日本にとっては、国を復興させるには、かなり現実味のあるひとつの有効な施策なのではないかという気がする。
ただ、それを中央政府自身が行わねばならないという状況が、自己矛盾を抱えており、最大の課題のようだ。
地方も地方で、長年に渡って国へ依存してきたので、大きな予算権限と責任を与えられることに、人材不足から尻込みをしてしまっている面もあるようだ。
小泉元首相が、あの勢いと指導力のもとで遂行すべだったことは、郵政の民営化でもなく、派閥の解消でもなく、地方分権化への道を拓くことだったのではないのかという気がする。
橋下徹さんは、政治家としての実力は別として、その理念と問題提起をする姿勢は至極まっとうだったと思う。(その後の迷走・失速は残念であるが)
日本が、これから、金融立国ではなく産業立国をめざしていくのなら(実際にそれしかないだろう)、東京一極集中はやはり好ましくないのではと思う。
これは、日本で今や工業出荷額において日本一となった、中京工業地帯の中心の名古屋に滞在する者としても、肌で感ずることである。中京工業地帯のような場所が、九州、関西、東北、北海道に出来て、それぞれが、独立して発展を目指せば、日本はもっと活性化できるのではないかと思われる。
規制緩和にしても、全国一律の大雑把なものではなく、地方の実情に合わせたきめ細かい配慮がなされたほうがうまくいくはずである。
何とか、地方がもっと活性化していってほしいものである。それが、日本の将来の活性化につながるものという、大前氏の意見には大いに同感する次第である。
(しかし、一番の壁は、根本にある税金徴収と予算配分の権限を中央官庁は絶対に手離さないだろうなということである。それにからんだ利権に関係する反対も多いに違いない。占領されるくらいの外圧でもなければ、実現しそうもないような気もする。地方分権は言うのは簡単だが、その実現は本当に難しそうだ。)
このまま進んでいくと、日本の将来は大丈夫なのかと心配になってくる。首都圏への集中をさらにうながすだろうと予想されるリニア新幹線や東京オリンピック2020も、その意味では私には素直には共感できない思いがしている。
ビジネスブレークスルー代表取締役で、企業経営に関する論客としても知られている大前研一氏が興味深いことを言っている。
日本は、今後、米国を手本としてシリコンバレーのような生態系を求めても、移民政策や起業支援システムの問題から無理である。では、日本がこれから手本とすべきは国というものはどこにあるのだろうか?
昨年、企業経営者70名とともにドイツを視察してきた大前氏は、日本が今後手本にすべきは、ドイツの地方分権制度だと主張する。
ドイツは、戦後、ナチスの復活を防ぐために、占領軍が中央集権を排して、徹底した地方分権の制度を作った。その後、東西ドイツの統一によって東ドイツの経済援助という重い負担を抱え、長らく経済の低迷が続いていたが、2000年代に入ってからは、ドイツの産業・経済は大きく復活した。
最近では、ゴルフが日本のカー・オブ・ザ・イヤーに選ばれ注目を集めたが、BMWやフォルクスワーゲン、BOSCHなどの自動車産業の活況は、トヨタ自動車に危機感をいだかせるほどだと言われている。
大前氏の見方によると、このドイツ産業の躍進は、地方分権制度がうまく機能している面が大きいという。ドイツでは、16の州が独立しており、強力な自治権と徴税権を有し、企業誘致をはじめとする産業政策も国とは関係なくそれぞれの州が独自に展開している。
その結果、国際化、産業誘致、教育レベルなどのあらゆる面で、他の州と競争をして、差別化を図り戦略的な思考で産業政策をグローバルに展開しようとする。現在ではそれが非常にうまく機能しているというのである。
日本においては、中央集権化が、明治維新の成功、戦後の復興の2つにおいて大変大きな役割を果たしてきたというのは事実である。しかしながら、現在においては、その役目はほぼ終わっており、ある時点からは、地方分権にシフトすべきだったというのが、大前氏の意見である。
これは、中々説得力のある提言だと思った。首都圏への一極集中への弊害は、以前から皆の問題意識にはあったと思う。東京への一極集中を避けるために、筑波に学園都市を作って、主な国の研究機関を移動するという試みが行われたのは1970年代である。また、地方分権改革は幾度となく、政府の政策運営のテーブルに載ってきた。それでも、有効な手段実行されず、東京への集中と地方の衰退は止まらない。
ところで、歴史を振り返ってみると、明治維新の成功の背景には、江戸時代の各藩における産業振興と教育水準の高さがあったと言われている。各藩の産業振興と人材育成という基盤なくしては、中央集権化による奇跡の明治維新の成功は成し得なかっただろうという見方である。
確かに、江戸時代における、幕府による3大改革(享保の改革、寛政の改革、天保の改革)はすべてが失敗している。一方、藩レベルの改革では、成功しているものが少なくない。(上杉鷹山の米沢藩、恩田木工の松代藩、そして、幕末の薩摩藩と長州藩、佐賀藩、土佐藩、福井藩の改革などなど)
日本はドイツを手本にして、中央集権から地方分権に移行すべきだという大前氏の意見は、日本の歴史と重ね合わせてみても中々説得力がある。
教育の場にいても、文科省の全国一律の教育政策の弊害は小さくない。大学間に競争をさせて大学としての質を向上させようと、文科省は色々な案を策定する。しかしながら、それがうまく行っている(あるいは行きそうだ)と感じている関係者はおそらくほとんどいないのではないだろうか。(大前氏は、教育の問題についても鋭い熱弁をふるっているが、それはまた別の機会に紹介してみたい。)
中央からの改革は、常に一律性を維持せざるを得ず、またいったん決めると修正が非常に困難である。そのため、試しにやってみてそこから学んで、修正をして行こうというプロセスが中々取れない。
慣性モーメントが大きすぎるので、前例のない改革には、中々踏み切れず、思い切ったことができない。また、最大公約数的な平均を取るので、個々の現場にはなじまないものとなってしまう例も多いようだ。
地方分権にして、地方の間で自由競争させるというのは、今後の日本にとっては、国を復興させるには、かなり現実味のあるひとつの有効な施策なのではないかという気がする。
ただ、それを中央政府自身が行わねばならないという状況が、自己矛盾を抱えており、最大の課題のようだ。
地方も地方で、長年に渡って国へ依存してきたので、大きな予算権限と責任を与えられることに、人材不足から尻込みをしてしまっている面もあるようだ。
小泉元首相が、あの勢いと指導力のもとで遂行すべだったことは、郵政の民営化でもなく、派閥の解消でもなく、地方分権化への道を拓くことだったのではないのかという気がする。
橋下徹さんは、政治家としての実力は別として、その理念と問題提起をする姿勢は至極まっとうだったと思う。(その後の迷走・失速は残念であるが)
日本が、これから、金融立国ではなく産業立国をめざしていくのなら(実際にそれしかないだろう)、東京一極集中はやはり好ましくないのではと思う。
これは、日本で今や工業出荷額において日本一となった、中京工業地帯の中心の名古屋に滞在する者としても、肌で感ずることである。中京工業地帯のような場所が、九州、関西、東北、北海道に出来て、それぞれが、独立して発展を目指せば、日本はもっと活性化できるのではないかと思われる。
規制緩和にしても、全国一律の大雑把なものではなく、地方の実情に合わせたきめ細かい配慮がなされたほうがうまくいくはずである。
何とか、地方がもっと活性化していってほしいものである。それが、日本の将来の活性化につながるものという、大前氏の意見には大いに同感する次第である。
(しかし、一番の壁は、根本にある税金徴収と予算配分の権限を中央官庁は絶対に手離さないだろうなということである。それにからんだ利権に関係する反対も多いに違いない。占領されるくらいの外圧でもなければ、実現しそうもないような気もする。地方分権は言うのは簡単だが、その実現は本当に難しそうだ。)
by sakuraimac
| 2014-01-29 15:34
| 社会
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