2014年 03月 08日
祖父の本 |
私の母方の祖父は中村善吉と言って、1900年に東京で生まれた。
実家が宝石の輸入商であったために、外国からの輸入品が手に入りやすく、明治の時代では珍しかった輸入盤クラシック音楽を若いころから熱心に聞いていたそうである。
太平洋戦争後は、その趣味を生かしてクラシックレコード(LP)の解説を書く仕事にたずさわっていた。祖父が解説を書いたGrammophon のLPレコードはずいぶんとたくさん私の古いレコード棚の中に残っている。その後は、音楽の専門家達が活躍するようになってアマチュアの祖父の出番は少なくなってしまったが。
祖父の父は細沼という姓の武士であり、明治維新後に、宝石商を始めた。幸いにも商才があったようで、それなりの財をなす。
祖父は兄とともにその商売を引き継いだが、商売をやるには細沼姓は好ましくないという理由から中村と姓を変えて兄から分家をする。その後、時代の流れで、宝石の商売も難しくなり、軍需景気に乗った商取り引き業に従事する。
戦後は焼け野原となった東京を去って、祖母の実家のある函館に移り、女学校の先生をしていた。その後、友人達の勧めで東京に戻り、冒頭に書いたレコードの解説記事などを書くこととなった。
私の記憶には、宝石商としての豊かな時代や商社マンとして活躍していた面影はなく、小さなアパートで質素に暮らしていた姿のみが印象に残っている。学生時代の私が訪問すると嬉しそうにはしていたが、特に知的な会話を交わすこともなく、何か自分の人生には満足できなかったような寂しげな雰囲気がただよっていたことを記億している。
その祖父が書いた「宝石」という本が、自宅にあり私の本棚に保管されていた。若いころの自分は特に興味も湧かずに、そのうち書籍を処分したときに紛れて、見当たらなくなってしまった。
仕事も忙しく、しばらく忘れていたのだが、あるときふと、あの本は学識はあるがそれを活かす機会が全くなかった祖父が、生涯で書いた唯一の本だったのではないかということに思い至った。以来、それを無くしてしまったのは誠に残念で申し訳なかったと心の隅でずっと気になっていた。
先日、従兄と話しをしているときに、たまたまその本のことが話題となった。そこで、試しに Amazon の書籍欄で、「宝石、中村善吉」で検索してみた。そうしたら、何と驚くべきことにこの本が見つかった。
有名人でもないし、1958年の執筆でもう56年も前の古本である。よくぞ残っていたものだと、Amazonの中古本システムと保存してくれていた中古本屋さんに感謝の念をいだきつつ、さっそく取り寄せて、読んでみた。
宝石商としての専門知識もさることながら、豊富な知識に基づいた歴史挿話が魅力的であり、文章も洒脱で、大変よく出来た本であると思った。この本によってふたたび生前の祖父と出会うことができ、その学識と文才を改めて見直した思いがした。
母に確認したら、実家には壁一面の大きな本棚があり、たくさんの書籍が並んでおり、祖父は大変な読書家だったとのことであった。その読書と学識が、この1冊に詰まっていた訳である。
ところで、その本の中に、個人体験談として次のような話が記されていた。
戦前に日暮里に流行らない医者がいた。日本にいても仕方がないと考え一旗揚げようと満州に出かける。そこで思いもかけずに成功して、財をなす。その財産を宝石に変えて日本に持ち帰る。宝石を売りさばこうとしたのだが、シロウトなのでうまくいかず、そのうちに当局に目をつけられて、密輸脱税容疑で検挙され、宝石はすべて没収されてしまう。
そのときに、裁判所から、大量の宝石の鑑定を依頼されたのが宝石商をやっていた祖父だった。迷惑な話とは思いながらも彼のために有利になるように鑑定をしてあげる。
2,3年後に、日本橋のたもとで、知らない人物に祖父は声をかけられる。驚くことに、彼こそくだんの医者であり、刑期を終えたが再就職もままならないので、これからカニ工船の船医として、オホーツク海に出かけるのだという。祖父は、なつかしさを覚えながらも、過酷な人生を歩もうとしている彼の将来を気にかけながら別れる。
さらに年月が立って戦争も終わり、東京から函館の地に移った祖父は、学校で一夜話を頼まれる。会合が終わった後に、面会人が待っているといわれる。誰かといぶかしく思って会いに行くと、若い女性が人目を避けるように薄暗がりに立っている。話を聞いてみると、彼女は、何とくだんの医者の娘だという。たまたま講演会の名前を見つけて、もしやと思い懐かしくなって会いにきたのだという。
親に手を引かれて一度だけ訪ねてきた小さな娘が、すっかり年頃になり、近いうちに修道院に入る予定だという。思いもかけぬ地での、思いもかけぬ人との再開に、祖父は大変驚くとともに運命の不思議さを感じ入ってしまう。
祖父に、こんな小説のような体験があったとは、この本を読んでみて初めて知った。
おそらく、この話は家族の誰にも話したことは無いに違いない。母も全く知らないであろう。私は、これを読んで、祖父の存在が急にとても身近に感じられる思いがした。
世の中には、長い人生の間に、こんな話を一つや二つは経験している人も多いに違いない。しかし、多くの人々は他人に話すこともなく、人知れず静かに墓に持って行って消えてしまうのだろう。そのようにして消えてしまった無数の話の中から、たまたま祖父の逸話に邂逅できたことは、私にとっては、幸運で貴重な体験であった。
お墓は何も語ってはくれない。しかし、本は、当時の様子を直接伝えてくれる。若い頃には、全く理解してはいなかった本というものの持つ意味を、この年になって、初めて知った思いがした。
自分も、将来、孫が見つけてくれて、面白がってくれるような本を一冊くらいは残してみたいものだなと、ちょっとそんな思いをいだかせる今回の体験であった。

実家が宝石の輸入商であったために、外国からの輸入品が手に入りやすく、明治の時代では珍しかった輸入盤クラシック音楽を若いころから熱心に聞いていたそうである。
太平洋戦争後は、その趣味を生かしてクラシックレコード(LP)の解説を書く仕事にたずさわっていた。祖父が解説を書いたGrammophon のLPレコードはずいぶんとたくさん私の古いレコード棚の中に残っている。その後は、音楽の専門家達が活躍するようになってアマチュアの祖父の出番は少なくなってしまったが。
祖父の父は細沼という姓の武士であり、明治維新後に、宝石商を始めた。幸いにも商才があったようで、それなりの財をなす。
祖父は兄とともにその商売を引き継いだが、商売をやるには細沼姓は好ましくないという理由から中村と姓を変えて兄から分家をする。その後、時代の流れで、宝石の商売も難しくなり、軍需景気に乗った商取り引き業に従事する。
戦後は焼け野原となった東京を去って、祖母の実家のある函館に移り、女学校の先生をしていた。その後、友人達の勧めで東京に戻り、冒頭に書いたレコードの解説記事などを書くこととなった。
私の記憶には、宝石商としての豊かな時代や商社マンとして活躍していた面影はなく、小さなアパートで質素に暮らしていた姿のみが印象に残っている。学生時代の私が訪問すると嬉しそうにはしていたが、特に知的な会話を交わすこともなく、何か自分の人生には満足できなかったような寂しげな雰囲気がただよっていたことを記億している。
その祖父が書いた「宝石」という本が、自宅にあり私の本棚に保管されていた。若いころの自分は特に興味も湧かずに、そのうち書籍を処分したときに紛れて、見当たらなくなってしまった。
仕事も忙しく、しばらく忘れていたのだが、あるときふと、あの本は学識はあるがそれを活かす機会が全くなかった祖父が、生涯で書いた唯一の本だったのではないかということに思い至った。以来、それを無くしてしまったのは誠に残念で申し訳なかったと心の隅でずっと気になっていた。
先日、従兄と話しをしているときに、たまたまその本のことが話題となった。そこで、試しに Amazon の書籍欄で、「宝石、中村善吉」で検索してみた。そうしたら、何と驚くべきことにこの本が見つかった。
有名人でもないし、1958年の執筆でもう56年も前の古本である。よくぞ残っていたものだと、Amazonの中古本システムと保存してくれていた中古本屋さんに感謝の念をいだきつつ、さっそく取り寄せて、読んでみた。
宝石商としての専門知識もさることながら、豊富な知識に基づいた歴史挿話が魅力的であり、文章も洒脱で、大変よく出来た本であると思った。この本によってふたたび生前の祖父と出会うことができ、その学識と文才を改めて見直した思いがした。
母に確認したら、実家には壁一面の大きな本棚があり、たくさんの書籍が並んでおり、祖父は大変な読書家だったとのことであった。その読書と学識が、この1冊に詰まっていた訳である。
ところで、その本の中に、個人体験談として次のような話が記されていた。
戦前に日暮里に流行らない医者がいた。日本にいても仕方がないと考え一旗揚げようと満州に出かける。そこで思いもかけずに成功して、財をなす。その財産を宝石に変えて日本に持ち帰る。宝石を売りさばこうとしたのだが、シロウトなのでうまくいかず、そのうちに当局に目をつけられて、密輸脱税容疑で検挙され、宝石はすべて没収されてしまう。
そのときに、裁判所から、大量の宝石の鑑定を依頼されたのが宝石商をやっていた祖父だった。迷惑な話とは思いながらも彼のために有利になるように鑑定をしてあげる。
2,3年後に、日本橋のたもとで、知らない人物に祖父は声をかけられる。驚くことに、彼こそくだんの医者であり、刑期を終えたが再就職もままならないので、これからカニ工船の船医として、オホーツク海に出かけるのだという。祖父は、なつかしさを覚えながらも、過酷な人生を歩もうとしている彼の将来を気にかけながら別れる。
さらに年月が立って戦争も終わり、東京から函館の地に移った祖父は、学校で一夜話を頼まれる。会合が終わった後に、面会人が待っているといわれる。誰かといぶかしく思って会いに行くと、若い女性が人目を避けるように薄暗がりに立っている。話を聞いてみると、彼女は、何とくだんの医者の娘だという。たまたま講演会の名前を見つけて、もしやと思い懐かしくなって会いにきたのだという。
親に手を引かれて一度だけ訪ねてきた小さな娘が、すっかり年頃になり、近いうちに修道院に入る予定だという。思いもかけぬ地での、思いもかけぬ人との再開に、祖父は大変驚くとともに運命の不思議さを感じ入ってしまう。
祖父に、こんな小説のような体験があったとは、この本を読んでみて初めて知った。
おそらく、この話は家族の誰にも話したことは無いに違いない。母も全く知らないであろう。私は、これを読んで、祖父の存在が急にとても身近に感じられる思いがした。
世の中には、長い人生の間に、こんな話を一つや二つは経験している人も多いに違いない。しかし、多くの人々は他人に話すこともなく、人知れず静かに墓に持って行って消えてしまうのだろう。そのようにして消えてしまった無数の話の中から、たまたま祖父の逸話に邂逅できたことは、私にとっては、幸運で貴重な体験であった。
お墓は何も語ってはくれない。しかし、本は、当時の様子を直接伝えてくれる。若い頃には、全く理解してはいなかった本というものの持つ意味を、この年になって、初めて知った思いがした。
自分も、将来、孫が見つけてくれて、面白がってくれるような本を一冊くらいは残してみたいものだなと、ちょっとそんな思いをいだかせる今回の体験であった。

by sakuraimac
| 2014-03-08 22:26
| 人生
|
Comments(2)
いい話ですね。
検索「雪の結晶」からの訪問でした。
検索「雪の結晶」からの訪問でした。
新鮮美感@川島 さん、ご訪問いただきどうもありがとうございます。川島さんもブログをたくさんお書きになられているようで。よろしくお願い申し上げます。