2014年 04月 05日
「草の花」と石原慎太郎 |
純文学はどうも苦手の分野で、小説もあまり読まない。そんな私ではあるが、青春時代に読んで深く心に残っている数少ない文学書の一冊に、福永武彦氏の「草の花」がある。
孤独な魂と純粋な愛、何より抒情的で音楽のような美しい文体に惹かれて、何度も読んだ覚えがある。最後の別れの音楽会での、ショパンのピアノ協奏曲第一番の美しい旋律が重なって聞こえてくるようで、作中で主人公が「音楽のような小説を書きたい。」と言っていることが、見事に実現されている小説だと思った。(主人公の言葉は作者自身の本心であったに違いないと私は思っている)
ショパンの音楽と重なる純愛小説が大好きなどとは、あまり人には言えることでもないと思っていたのだが、石原慎太郎氏が、この小説を絶賛していることを知ったときは大変驚いた。
ちょっと前の文藝春秋誌で、石原慎太郎氏は、「草の花」を高く評価しており、三島由紀夫の「潮騒」と福永武彦の「草の花」が文芸新人賞を争ったときに、三島由紀夫が「あんな肺病上がりのヤツに負けてたまるか」とすごく意識していたことを、紹介していた。
この文藝春秋誌はとっておいたはずなのだが、残念ながらいつの間にか紛失してしまった。石原慎太郎氏の直接の言葉は他にはないものかと捜していたら、たまたま、最近の氏の著作(新・堕落論)の中で発見することができた。
現在の世相、政治を批判する中で、「草の花」に関する記述の部分だけが別世界のようでもあり、石原氏のこの小説に対する深い思い入れが伝わってくる。氏の言葉の一部を以下そのまま紹介してみたい。
『戦後書かれた最も美しい青春小説の1つである福永武彦の「草の花」はその題名のごとくなんとも可憐で哀切な、性愛を伴わぬ純愛小説でした。この作品は戦後まだ数少なかった文学賞の中の新潮文学賞を三島由紀夫の「潮騒」と争って敗れましたが、私と親しかった三島は、この作品の存在をしきりに気にしていろいろいっていました。要するに、「なんだ、あんな肺病病みの小説」ということだった。しかし「草の花」は戦争に巻き込まれそれぞれ口惜しく挫折夭折していった戦中世代への、作者の実体験を踏まえてのオマージュといえたでしょう。』
そのあとに、石原氏は「草の花に見る愛の本質」と題して、わざわざ一章を設けて、4ページにわたって、小説の一部を引用しながら、草の花の紹介を行っている。
石原慎太郎氏は、「太陽の季節」で鮮烈なデビューをして、「スパルタ教育強い子どもに育てる本」などで強い父親のメッセージを発し、芥川賞選考委員会では毎回辛辣な批評で名を馳せ、政治家としての超タカ派の発言と実行力は周知のとおりで人である。
およそナイーブな面など持ってはいない人のように思っていたのだが、その石原氏が、純愛小説「草の花」に強い愛着を持ち、最高の賛辞を持って紹介しているのは、私には大変な驚きであり、一大発見でもあった。
驚くとともに、私自身の人生での数少ない文学愛読書の一冊が、石原慎太郎氏のような硬派で辛口の文壇の重鎮に特別に高く評価をされていたことを知って、とても嬉しい思いでもあった。
福永武彦氏は、現在ではそれほど世に知られた作家とはいえず、長男の作家・池澤夏樹、その娘の声優・池澤春菜のほうが一般には知られているようでもある。
知らない方も多いのではないかと思われるので、もし、ご興味が湧いたら、作家石原慎太郎氏の絶賛の言葉を信じて、この美しい珠玉の純愛小説を、ぜひ一度読んでみていただければと思う。

孤独な魂と純粋な愛、何より抒情的で音楽のような美しい文体に惹かれて、何度も読んだ覚えがある。最後の別れの音楽会での、ショパンのピアノ協奏曲第一番の美しい旋律が重なって聞こえてくるようで、作中で主人公が「音楽のような小説を書きたい。」と言っていることが、見事に実現されている小説だと思った。(主人公の言葉は作者自身の本心であったに違いないと私は思っている)
ショパンの音楽と重なる純愛小説が大好きなどとは、あまり人には言えることでもないと思っていたのだが、石原慎太郎氏が、この小説を絶賛していることを知ったときは大変驚いた。
ちょっと前の文藝春秋誌で、石原慎太郎氏は、「草の花」を高く評価しており、三島由紀夫の「潮騒」と福永武彦の「草の花」が文芸新人賞を争ったときに、三島由紀夫が「あんな肺病上がりのヤツに負けてたまるか」とすごく意識していたことを、紹介していた。
この文藝春秋誌はとっておいたはずなのだが、残念ながらいつの間にか紛失してしまった。石原慎太郎氏の直接の言葉は他にはないものかと捜していたら、たまたま、最近の氏の著作(新・堕落論)の中で発見することができた。
現在の世相、政治を批判する中で、「草の花」に関する記述の部分だけが別世界のようでもあり、石原氏のこの小説に対する深い思い入れが伝わってくる。氏の言葉の一部を以下そのまま紹介してみたい。
『戦後書かれた最も美しい青春小説の1つである福永武彦の「草の花」はその題名のごとくなんとも可憐で哀切な、性愛を伴わぬ純愛小説でした。この作品は戦後まだ数少なかった文学賞の中の新潮文学賞を三島由紀夫の「潮騒」と争って敗れましたが、私と親しかった三島は、この作品の存在をしきりに気にしていろいろいっていました。要するに、「なんだ、あんな肺病病みの小説」ということだった。しかし「草の花」は戦争に巻き込まれそれぞれ口惜しく挫折夭折していった戦中世代への、作者の実体験を踏まえてのオマージュといえたでしょう。』
そのあとに、石原氏は「草の花に見る愛の本質」と題して、わざわざ一章を設けて、4ページにわたって、小説の一部を引用しながら、草の花の紹介を行っている。
石原慎太郎氏は、「太陽の季節」で鮮烈なデビューをして、「スパルタ教育強い子どもに育てる本」などで強い父親のメッセージを発し、芥川賞選考委員会では毎回辛辣な批評で名を馳せ、政治家としての超タカ派の発言と実行力は周知のとおりで人である。
およそナイーブな面など持ってはいない人のように思っていたのだが、その石原氏が、純愛小説「草の花」に強い愛着を持ち、最高の賛辞を持って紹介しているのは、私には大変な驚きであり、一大発見でもあった。
驚くとともに、私自身の人生での数少ない文学愛読書の一冊が、石原慎太郎氏のような硬派で辛口の文壇の重鎮に特別に高く評価をされていたことを知って、とても嬉しい思いでもあった。
福永武彦氏は、現在ではそれほど世に知られた作家とはいえず、長男の作家・池澤夏樹、その娘の声優・池澤春菜のほうが一般には知られているようでもある。
知らない方も多いのではないかと思われるので、もし、ご興味が湧いたら、作家石原慎太郎氏の絶賛の言葉を信じて、この美しい珠玉の純愛小説を、ぜひ一度読んでみていただければと思う。

by sakuraimac
| 2014-04-05 00:25
| 文学
|
Comments(4)
人の記憶の不思議に物思う春の一日でした。高速を飛ばしていたときに桜の花びらがフロントガラスをサーっと横切っていった瞬間、父が亡くなって高速を飛ばして実家に帰省した春の日の景色が鮮やかによみがえり、父の命日が近いことを悟った。最近、薬を飲んだのか否かすぐに忘れてしまうと先輩に嘆いたら「そんなの日常茶飯事だ。もっとひどくなるから心配するな。」と叱咤激励された。「草の花」は大学時代の愛読書の一つであったにも関わらず、まったく内容は記憶していない。三島の「潮騒」も、山口百恵の映画は記憶しているのだが・・・。新堕落論も2~3年前に読んだが、福永のことに触れていた部分は全く記憶にない。何なのだろう人間の記憶とは・・・・。 ところで、若かりし三島の恋愛を描いた岩下尚史の「ヒタメン」は大変興味深く読んだ。内容も文章も美しく時代の空気を感じさせて秀逸であった。 ところで、我らの憧れであった、ヨットマン・スポーツマン慎太郎の体調が心配だ。
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jayjayさん、コメントありがとうございます。私はjayjayさんほどの読書家ではないのですが、本の何に感じたのかは、人によってかなり異なるのではと思ってます。草の花も私が感動したのは、その音楽性であり、石原慎太郎の評価はきっと別の部分にあったものと思っています。
元気な石原慎太郎さんも最近は、流石に年の衰えを感じますね。そろそろ引退しても良い頃なのではないでしょうかね?
元気な石原慎太郎さんも最近は、流石に年の衰えを感じますね。そろそろ引退しても良い頃なのではないでしょうかね?
草の花は原口統三の二十歳のエチュードと共に私の青春時代の二つの愛読書でした。何度読み直したかわかりません。今でももし一番好きな文学作品を訊ねられたら真っ先にこの二冊を挙げます。読んでいるとまるでショパンなどの美しい音楽が聞こえて来るような作品です。昨今のような性的描写は一切なく、とにかく純粋過ぎるほど純粋な魂の物語でした。
眠り猫さん、コメントありがとうございます。二十歳のエチュード、読んでみたいと思います。

