2014年 10月 23日
石田三成 |
大河ドラマの「軍師官兵衛」を見ているが、ちょうど今、黒田官兵衛と石田三成の激しい対立の場面を放送している。NHKは面白いところがあって、大河ドラマでの話題の人物を取り上げて、ちょっと別の視点からそれを眺める「歴史ヒストリア」という番組を、同じ時期(2014-10-22)に放送している。このバランス感覚は中々好ましいものと感ずる。
この2つの番組を見比べてみるのは大変興味深い。大河ドラマでは、石田三成は黒田官兵衛を陥れる卑怯な悪者として描かれている。一方、歴史ヒストリアでは、2人は分業して秀吉を支えた最大の功労者として紹介されている。特に、三成は太閤検地と刀狩りに大きな功績があり、しかも各大名からの秀吉への不満を防ぐためにあえて自分が憎まれ役になったとの解説である。
黒田官兵衛の朝鮮撤兵への秀吉の怒りも、収まりをつけるための秀吉のパフォーマンスであり、スケープゴートになってしまった黒田官兵衛も納得すみのことではなかったのかと、番組に出演した歴史研究家が解説をしていた。また、博多の町の復興では、2人は共同して復興作業に尽くし、博多の祭では2人の像が並んでみこしに乗っているとのことである。
石田三成は、豊臣政権の組織を維持するために、官僚としての役目に徹して憎まれ役もあえて買っていたため、後世の評判はあまり良くないということのようだ。歴史ドラマを作る際にも、悪役にするにはちょうど手頃な存在なので、歴代の大河ドラマでも決して良く描かれたことはなかったのだろう。
ところで、この石田三成を高く評価している作家の一人に堺屋太一氏がいる。「巨いなる企て」という力作で三成の詳細を紹介しているし、「日本を創った12人」という著作の中でも、並み居る歴史上の英雄に並べて、驚くべきことに石田三成の名をあげている。
以下、堺屋氏の言い分をまとめてみたい。
1.関ヶ原合戦は、日本史上、かつてはなかった、地位の高くないものが、企画実行したビッグプロジェクトであった。
2.東軍には徳川家康という巨大な中心があったが、西軍側には中心人物はいなかった。5奉行の地位も辞した石田三成が、有力者たちを動かして、東軍よりも大規模の西軍を集め得たことは、驚くべきことであり、その手法は下記のようなものであった。
3.①大義名分を立てる(豊臣家の御ためにという):人は自分は信じてなくとも他人はどう思うか非常に気にする。また、内部を統一するには大義名分は有効である。
②スポンサーを得る(宇喜多秀家): 宣伝活動をするには資金が必要。また、他人に有力なスポンサーがついているらしいと思わせることは有効である。
③実務ネットワークを構築する:いきなり大名のところに行っても動かないし、仮に同意してもらっても後で家中でもめる。したがって、No.2あるいは有力な配下の者を説得して、実務者ネットワークを作りあげた。
④最後に象徴的な人物を総大将に祭りあげる。
4.このように、地位も財力も無い人物が、ここまで皆を動かした例は以前の日本の歴史にはなかった。しかしながら、以降の明治維新や満州国の建設、そして太平洋戦争においては、このパターンが定着した。
5.戦後になっても、新幹線建設プロジェクトや、日本万国博覧会その他においても、このパターンは踏襲されてきた。
6.今の日本という国は、中堅官僚や中堅社員のネットワークで動かされている。偉くない人が企画した事業が実現するのが、日本型プロジェクトメーキングの特徴となっている。その源流をたどると石田三成にたどりつく。その手法を開発実行した人物として、石田三成を今日の日本を創った人物の一人としてあげたい。
堺屋太一氏の思い入れが強いので、歴史研究家から見たら氏の言い分はどう評価されるのかはよく分からない。ただ、自分も会社時代のプロジェクトで、ささいなことながら似たような体験をしたので、堺屋氏の言葉には、共感を覚える。したがって石田三成には決して悪い印象は持っていない。(大河ドラマは事実とは違った創作を少しし過ぎているのではないかと思いながら見ている。)
まあ、歴史とは、見る視点によって全然違ってくるし、事実を確認しようにも残されている少ない資料に基づくしかないので、色々な解釈がでてくるのは仕方ないのかもしれない。ただ、そうした中で、NHKの異なる視点の番組を同時に提示して、視聴者に考えさせるという姿勢は、中々、良心的なものだと改めて感心した次第である。

この2つの番組を見比べてみるのは大変興味深い。大河ドラマでは、石田三成は黒田官兵衛を陥れる卑怯な悪者として描かれている。一方、歴史ヒストリアでは、2人は分業して秀吉を支えた最大の功労者として紹介されている。特に、三成は太閤検地と刀狩りに大きな功績があり、しかも各大名からの秀吉への不満を防ぐためにあえて自分が憎まれ役になったとの解説である。
黒田官兵衛の朝鮮撤兵への秀吉の怒りも、収まりをつけるための秀吉のパフォーマンスであり、スケープゴートになってしまった黒田官兵衛も納得すみのことではなかったのかと、番組に出演した歴史研究家が解説をしていた。また、博多の町の復興では、2人は共同して復興作業に尽くし、博多の祭では2人の像が並んでみこしに乗っているとのことである。
石田三成は、豊臣政権の組織を維持するために、官僚としての役目に徹して憎まれ役もあえて買っていたため、後世の評判はあまり良くないということのようだ。歴史ドラマを作る際にも、悪役にするにはちょうど手頃な存在なので、歴代の大河ドラマでも決して良く描かれたことはなかったのだろう。
ところで、この石田三成を高く評価している作家の一人に堺屋太一氏がいる。「巨いなる企て」という力作で三成の詳細を紹介しているし、「日本を創った12人」という著作の中でも、並み居る歴史上の英雄に並べて、驚くべきことに石田三成の名をあげている。
以下、堺屋氏の言い分をまとめてみたい。
1.関ヶ原合戦は、日本史上、かつてはなかった、地位の高くないものが、企画実行したビッグプロジェクトであった。
2.東軍には徳川家康という巨大な中心があったが、西軍側には中心人物はいなかった。5奉行の地位も辞した石田三成が、有力者たちを動かして、東軍よりも大規模の西軍を集め得たことは、驚くべきことであり、その手法は下記のようなものであった。
3.①大義名分を立てる(豊臣家の御ためにという):人は自分は信じてなくとも他人はどう思うか非常に気にする。また、内部を統一するには大義名分は有効である。
②スポンサーを得る(宇喜多秀家): 宣伝活動をするには資金が必要。また、他人に有力なスポンサーがついているらしいと思わせることは有効である。
③実務ネットワークを構築する:いきなり大名のところに行っても動かないし、仮に同意してもらっても後で家中でもめる。したがって、No.2あるいは有力な配下の者を説得して、実務者ネットワークを作りあげた。
④最後に象徴的な人物を総大将に祭りあげる。
4.このように、地位も財力も無い人物が、ここまで皆を動かした例は以前の日本の歴史にはなかった。しかしながら、以降の明治維新や満州国の建設、そして太平洋戦争においては、このパターンが定着した。
5.戦後になっても、新幹線建設プロジェクトや、日本万国博覧会その他においても、このパターンは踏襲されてきた。
6.今の日本という国は、中堅官僚や中堅社員のネットワークで動かされている。偉くない人が企画した事業が実現するのが、日本型プロジェクトメーキングの特徴となっている。その源流をたどると石田三成にたどりつく。その手法を開発実行した人物として、石田三成を今日の日本を創った人物の一人としてあげたい。
堺屋太一氏の思い入れが強いので、歴史研究家から見たら氏の言い分はどう評価されるのかはよく分からない。ただ、自分も会社時代のプロジェクトで、ささいなことながら似たような体験をしたので、堺屋氏の言葉には、共感を覚える。したがって石田三成には決して悪い印象は持っていない。(大河ドラマは事実とは違った創作を少しし過ぎているのではないかと思いながら見ている。)
まあ、歴史とは、見る視点によって全然違ってくるし、事実を確認しようにも残されている少ない資料に基づくしかないので、色々な解釈がでてくるのは仕方ないのかもしれない。ただ、そうした中で、NHKの異なる視点の番組を同時に提示して、視聴者に考えさせるという姿勢は、中々、良心的なものだと改めて感心した次第である。

by sakuraimac
| 2014-10-23 20:20
| 歴史
|
Comments(5)
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
ナースさん、コメントありがとうございます。ご愛読、感謝です。三成の良くない印象は江戸幕府の御用学者たちが作ったものだという話もありますよね。ところで、私が三成に親近感を覚える会社時代の経験もご覧いただければ幸いです。
http://sakuraimac.exblog.jp/15616711/
http://sakuraimac.exblog.jp/15616711/
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さらに追加ですが、豊臣秀長が亡くなってからの秀吉の乱行暴走ぶりを三成のせいだとする説がありますが、これにはちょっと無理があると思います。秀長の影の功績がいかに大きかったかと理解すべきであり、この点も堺屋氏が別の小説で詳しく書いています。
「最近、どうされているか」と御心配されていたと仄聞し恐縮しています。さて、偶然ですが小生は先月から、司馬の「関ヶ原」を40年ぶりにあるキッカケから再読しており、まもなく読了予定です。大河ドラマは見ておらず何ともコメントしがたいのですが、司馬が描く三成は平治の際の優秀な官僚として描かれております。動乱・乱世の時の必要人材と平治の時の必要人材は異なり、秀吉が天下平定後に活躍・幕府を支えた官僚武士達は机上の戦法は理解できても、再びの乱世・戦闘の際に、官僚三成は戦時の「人の心の動き」や戦場という現場で臨機応変の判断力を有しなかった。また、忍びの者を要所・要所に配置し情報収集を怠らなかった徳川軍に情報戦で敗北した様子が描かれています。一方、家康は幼少期から苦労しただけに人心収攬にも長け、準備に準備を、辛抱に辛抱を重ね、時を待ち、人を得て天下分け目の戦いを勝ち切ったように描かれています。三河武士の系譜に関しては、高校の先輩で中国歴史小説で名をはせた宮城谷氏の「風は山河にあり」や「新三河物語」に詳述されています。
jayjayさん、コメントありがとうございます。司馬さんも、三成を悪くは書いてないのですね。現代人でもテレビで悪く報道されると悪者になってしまう。マスコミの恐ろしさを感じます。

