2015年 01月 04日
テレビジョン |
学会誌の巻頭言で、テレビジョンについて書くように依頼されて、少々難儀をしている。私自身は、電機メーカにてテレビの研究開発にかかわってきたので、書く材料には事欠かないのであるが、学会の記事となると、技術イノベーションへの期待や将来へ向けての展望を、奇をてらわず前向きであたりさわりなく書かねばならない。
しかしながら、巷でのテレビに関する論評には、かなり手厳しいものが多い。ネットへの広告費の流出や若者のテレビ離れの傾向から、テレビを衰退産業と呼ぶ人は少なくない。また、番組内容の質の低下を指摘し、それがテレビ離れを加速しているとの論評も多い。
一方では、家電メーカの苦戦の一番の原因としてテレビ受像機があげられており、「ソニーはテレビさえ捨てれば復活できる」、と経済アナリスト達に言われてから久しいものがある。
何か四面楚歌の感じもするのだが、あえて、そこに切り込むことは出来ないかと苦心している。まだ、途中ではあるが、テレビに関して、電子機器のとしての側面とメディア(媒体)としての側面の両面から感ずるところを、ここでちょっとまとめてみたい。
まず、テレビを電子機器として眺めてみると、中々面白い性格を持っている。テレビは、時代の電子技術の粋を集めているようなところがある。大雑把に言ってアナログテレビは20世紀前半の電子工学の集大成、ディジタルテレビは20世紀後半の電子工学の集大成と言っても過言ではない。(電波、ディジタル伝送、ディジタル圧縮、集積回路、暗号方式、ディスプレイなど、ほとんどすべての電子工学技術が詰め込まれている。)
ただし、どんなに優れた技術がベースにあっても、民生用電子機器の製品寿命は長くはない。10年も経つとコモディティ化・低価格化が進み大手のメーカにとっては事業価値が減ってしまうのが普通である。現在のテレビが、大企業にとって事業価値がどんどん下がっているということは、ある意味自然な流れであるとも言える。
その流れに逆らい、テレビという電子機器が、10年という製品寿命の壁を乗り越えて,半世紀以上もの間家電メーカのトップ製品で有り続けてきた理由は、ただ一点、おおよそ10年周期でディスプレイの技術ブレークスルーが出現してきたということに尽きる。
テレビを商品として見たときのユーザ価値は、ディスプレイに大きく依存している。現在の日本のメーカが、テレビ事業において苦戦しているのは、基本的には次のディスプレイのメドが立っていないというのが一番大きな理由と言える。テレビが産業として復権できる鍵は次世代ディスプレイにあり,その分野での研究開発の進展を大いに期待したいところである。(それが実現されれば、確実にテレビが復活するのは間違いない。)
次に,テレビのメディア(媒体)としての側面に触れてみたい。ずいぶんと以前から、通信と放送の融合の議論が交わされてきた。しかしながら,その進展には意外と時間がかかっている。テレビの分野に進出を試みたIT関連の人々からは、「テレビは意外と手強い」という声が聞こえてくる。著作権などのハードルも色々あるだろうが、マスメディアとしての、技術的な放送と通信の違いは無視できない。
例えば,視聴率が30%のテレビ番組は、1200万世帯の人が視聴していることになる。これだけの人々がネットで同時アクセスすれば、サーバは耐えきれない。通信メディアによる放送には、こうした量の限界があることは否定できない。
もう1点,テレビ媒体というのは,世の中の人々の信用が意外にあるということがあげられる。ネットからの情報は疑っても,テレビからの情報を頭から疑う人はそういない。その社会的信用度というものは,コンテンツの中身に責任を持つ放送事業と,中身には基本的には関与しない通信事業の基本的な差異であるとも言える。
通信と放送の融合が実現したとしても、双方の特性による住み分けは、そう大きくは変わらないような気がする。テレビの衰退を予言する人が多いが、通信によって番組の宣伝が有効になされて,テレビ放送の視聴率はむしろ上がるという現象が起こるのではないかと、私は逆の予想をしている。私見ではあるが、通信がテレビの領域を侵食する割合よりは、テレビ放送が通信を利用して事業を伸長する割合のほうが大きいのではと感じている。
視覚の情報量というのは,文字や音声に比べて圧倒的に大きなものがある。私が大学において研究している画像処理の分野は、毎年国際会議の規模は増大する一方であり、世界中の研究者の数も増え続けている。
テレビは,画像を一般の家庭に届けるという意味においては,未来永劫衰えるものではたぶんないと思う。
今後も、人々の生活に根付いて、着実に進化していくことは間違いないだろう。テレビ機器やテレビ放送の研究開発にたずさわっている人々には、夢を持ってさらなる技術革新を進めてほしいと願うものである。
<付記1>
ホリエモンがフジテレビを買収しようとした騒動があった。彼の意図は、テレビという魅力的な媒体はネットによってさらに活性化できるのではないかというものであったと、私は理解している。(多くの人はネットがテレビを飲み込むための挑戦と受け取ったようだが。)
現在、インターネットを活用して大きく成功しているビジネスは、全く新規の価値を創造しているというより、既にあるビジネスをネット情報でうまく拡張・効率化したというケースが多いようだ。シリコンバレーが、そうしたたぐいのITベンチャー事業の飽和状態に限界を感じて、新たな価値の創造に目を向け始めたことが、今の人工知能ブームの一つの要因になっていることも見逃せない。
冷静に眺めてみると、既存のテレビ放送がネットに飲み込まれるということまず無いであろうと思われる。上述の、IT関連の人々の「テレビは意外と手強い」という感想は、そうした肌で感ずる実感にも基づいているのではないかと思っている。
<付記2>
人々のテレビを見る時間が減少しているのは事実である。ただし、娯楽中心で受け身のテレビというものは、そのスイッチを入れている時間は、今後はそうは減らないのではないかとも感ずる。例えば、私自身は、家ではテレビをつけながら、iPad でメールとかFacebook とか Twitter を眺めている。(テレビはつけてはいるが、あまり見てはいないのは事実である。) ただし、途中で、こういう番組が面白いという情報が入れば、テレビをまじめに見るし録画予約もする。外出時は別として、番組はやはりテレビの大きな画面で見たい。
もう一点、ブログを書いていて感ずるのだが、時々自分のある記事に異様にアクセスが集中して発生することがある。その原因を調べてみると、テレビ放送あるいはネット(主にTwitter)の2つにおいて関係する題目が取り上げられた場合が多い。その際、2つを比較してみると、ネットに比べて、テレビの影響力のほうが桁違いに大きいように感ずる。
ネット通信とテレビ放送が対立すると考える人は、現在はあまりいないと思うが、双方がそれぞれどのようなポイントにおいて落ち着くかは興味深いものがある。私は、テレビ放送は予想外にしぶとく、進化しながらずっと生き延びていくに違ないと思っている。何故なら、テレビの持つ、”Coach and Potato” 文化(長椅子に寝そべってポテトチップを食べながら見る)は決して衰えることはないと思うからである。これは技術の問題でもなく経済の問題でもなく規制緩和の問題でもなく、人間の性向に基づく「文化」の問題なのだから。
<独白>
どうも書いていて、すでに皆が分かっていることをだらだらと並べただけであり、学術論文で言えば、nothing new で、即却下だなあと思ってます。評論文としても迫力も説得力も無いし。もう少し、皆の意見を聞いて、something new を打ち出せないかと思案中です。本稿はまた書き直したいと思ってます。

しかしながら、巷でのテレビに関する論評には、かなり手厳しいものが多い。ネットへの広告費の流出や若者のテレビ離れの傾向から、テレビを衰退産業と呼ぶ人は少なくない。また、番組内容の質の低下を指摘し、それがテレビ離れを加速しているとの論評も多い。
一方では、家電メーカの苦戦の一番の原因としてテレビ受像機があげられており、「ソニーはテレビさえ捨てれば復活できる」、と経済アナリスト達に言われてから久しいものがある。
何か四面楚歌の感じもするのだが、あえて、そこに切り込むことは出来ないかと苦心している。まだ、途中ではあるが、テレビに関して、電子機器のとしての側面とメディア(媒体)としての側面の両面から感ずるところを、ここでちょっとまとめてみたい。
まず、テレビを電子機器として眺めてみると、中々面白い性格を持っている。テレビは、時代の電子技術の粋を集めているようなところがある。大雑把に言ってアナログテレビは20世紀前半の電子工学の集大成、ディジタルテレビは20世紀後半の電子工学の集大成と言っても過言ではない。(電波、ディジタル伝送、ディジタル圧縮、集積回路、暗号方式、ディスプレイなど、ほとんどすべての電子工学技術が詰め込まれている。)
ただし、どんなに優れた技術がベースにあっても、民生用電子機器の製品寿命は長くはない。10年も経つとコモディティ化・低価格化が進み大手のメーカにとっては事業価値が減ってしまうのが普通である。現在のテレビが、大企業にとって事業価値がどんどん下がっているということは、ある意味自然な流れであるとも言える。
その流れに逆らい、テレビという電子機器が、10年という製品寿命の壁を乗り越えて,半世紀以上もの間家電メーカのトップ製品で有り続けてきた理由は、ただ一点、おおよそ10年周期でディスプレイの技術ブレークスルーが出現してきたということに尽きる。
テレビを商品として見たときのユーザ価値は、ディスプレイに大きく依存している。現在の日本のメーカが、テレビ事業において苦戦しているのは、基本的には次のディスプレイのメドが立っていないというのが一番大きな理由と言える。テレビが産業として復権できる鍵は次世代ディスプレイにあり,その分野での研究開発の進展を大いに期待したいところである。(それが実現されれば、確実にテレビが復活するのは間違いない。)
次に,テレビのメディア(媒体)としての側面に触れてみたい。ずいぶんと以前から、通信と放送の融合の議論が交わされてきた。しかしながら,その進展には意外と時間がかかっている。テレビの分野に進出を試みたIT関連の人々からは、「テレビは意外と手強い」という声が聞こえてくる。著作権などのハードルも色々あるだろうが、マスメディアとしての、技術的な放送と通信の違いは無視できない。
例えば,視聴率が30%のテレビ番組は、1200万世帯の人が視聴していることになる。これだけの人々がネットで同時アクセスすれば、サーバは耐えきれない。通信メディアによる放送には、こうした量の限界があることは否定できない。
もう1点,テレビ媒体というのは,世の中の人々の信用が意外にあるということがあげられる。ネットからの情報は疑っても,テレビからの情報を頭から疑う人はそういない。その社会的信用度というものは,コンテンツの中身に責任を持つ放送事業と,中身には基本的には関与しない通信事業の基本的な差異であるとも言える。
通信と放送の融合が実現したとしても、双方の特性による住み分けは、そう大きくは変わらないような気がする。テレビの衰退を予言する人が多いが、通信によって番組の宣伝が有効になされて,テレビ放送の視聴率はむしろ上がるという現象が起こるのではないかと、私は逆の予想をしている。私見ではあるが、通信がテレビの領域を侵食する割合よりは、テレビ放送が通信を利用して事業を伸長する割合のほうが大きいのではと感じている。
視覚の情報量というのは,文字や音声に比べて圧倒的に大きなものがある。私が大学において研究している画像処理の分野は、毎年国際会議の規模は増大する一方であり、世界中の研究者の数も増え続けている。
テレビは,画像を一般の家庭に届けるという意味においては,未来永劫衰えるものではたぶんないと思う。
今後も、人々の生活に根付いて、着実に進化していくことは間違いないだろう。テレビ機器やテレビ放送の研究開発にたずさわっている人々には、夢を持ってさらなる技術革新を進めてほしいと願うものである。
<付記1>
ホリエモンがフジテレビを買収しようとした騒動があった。彼の意図は、テレビという魅力的な媒体はネットによってさらに活性化できるのではないかというものであったと、私は理解している。(多くの人はネットがテレビを飲み込むための挑戦と受け取ったようだが。)
現在、インターネットを活用して大きく成功しているビジネスは、全く新規の価値を創造しているというより、既にあるビジネスをネット情報でうまく拡張・効率化したというケースが多いようだ。シリコンバレーが、そうしたたぐいのITベンチャー事業の飽和状態に限界を感じて、新たな価値の創造に目を向け始めたことが、今の人工知能ブームの一つの要因になっていることも見逃せない。
冷静に眺めてみると、既存のテレビ放送がネットに飲み込まれるということまず無いであろうと思われる。上述の、IT関連の人々の「テレビは意外と手強い」という感想は、そうした肌で感ずる実感にも基づいているのではないかと思っている。
<付記2>
人々のテレビを見る時間が減少しているのは事実である。ただし、娯楽中心で受け身のテレビというものは、そのスイッチを入れている時間は、今後はそうは減らないのではないかとも感ずる。例えば、私自身は、家ではテレビをつけながら、iPad でメールとかFacebook とか Twitter を眺めている。(テレビはつけてはいるが、あまり見てはいないのは事実である。) ただし、途中で、こういう番組が面白いという情報が入れば、テレビをまじめに見るし録画予約もする。外出時は別として、番組はやはりテレビの大きな画面で見たい。
もう一点、ブログを書いていて感ずるのだが、時々自分のある記事に異様にアクセスが集中して発生することがある。その原因を調べてみると、テレビ放送あるいはネット(主にTwitter)の2つにおいて関係する題目が取り上げられた場合が多い。その際、2つを比較してみると、ネットに比べて、テレビの影響力のほうが桁違いに大きいように感ずる。
ネット通信とテレビ放送が対立すると考える人は、現在はあまりいないと思うが、双方がそれぞれどのようなポイントにおいて落ち着くかは興味深いものがある。私は、テレビ放送は予想外にしぶとく、進化しながらずっと生き延びていくに違ないと思っている。何故なら、テレビの持つ、”Coach and Potato” 文化(長椅子に寝そべってポテトチップを食べながら見る)は決して衰えることはないと思うからである。これは技術の問題でもなく経済の問題でもなく規制緩和の問題でもなく、人間の性向に基づく「文化」の問題なのだから。
<独白>
どうも書いていて、すでに皆が分かっていることをだらだらと並べただけであり、学術論文で言えば、nothing new で、即却下だなあと思ってます。評論文としても迫力も説得力も無いし。もう少し、皆の意見を聞いて、something new を打ち出せないかと思案中です。本稿はまた書き直したいと思ってます。

by sakuraimac
| 2015-01-04 17:26
| 社会
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