2015年 01月 18日
ノイマンの功績 |
現在のコンピュータ・情報社会の基礎を創った偉人として、チューリング、シャノン、ノイマンの3名が挙げられる。シャノンとチューリングについてはその功績を以前にこのブログで書いてみたことがある。
シャノンの功績
http://sakuraimac.exblog.jp/17779657/
チューリングの功績
http://sakuraimac.exblog.jp/20316522/
3番目のノイマンの功績についても、調べて書いてみたいと思っていたのだが、シャノンとチューリングに比べると、何かちょっと書きにくいところがある。その理由は末尾に記すとして、まずは彼の仕事についてまとめてみる。
1.ノイマン型コンピュータ:
ノイマン型という呼称は有名で、どの情報関連の教科書にもプログラミングの本にも載っている。従って彼が現在のコンピュータの発案者のように思う人もあるかもしれないが、実情はそう単純ではないのでその経緯をまとめてみたい。
コンピュータの原型を提示したのはチューリングであり、その論理演算を電子回路で実現できることを示したのはシャノンである。デジタルコンピュータを大規模に実現したことで有名なのが、1946年に陸軍の援助を得て米国ペンシルバニア大学で開発されたENIAC である。
ENIACは、プログラムが回路の結線(ハードウェア)によって作られていた。ENIAC と並行して開発されていたEDVACの開発に参画していたノイマンは、プログラムもメモリに書き込んでおき、そこから逐次読み出していく方式(いわゆるプログラム内蔵方式)を論文発表した。いわば、ハードウェアをソフトウェア化して自由度を大幅に増したといってもよい。
ノイマンは、秘密事項として伏されることが多かった当時のコンピュータに関して論文を書くことによって情報公開を積極的に行った。その結果、世界中の研究者がコンピュータの開発を進めやすくなり、コンピュータの発展に大きく貢献した。ノイマンの名が今のコンピュータの名前に冠せられるという栄誉を得たのも、彼がその基本構造の発明者であったというよりは、その伝道師であったという側面も強かったようだ。
2.数学の分野での功績:
ノイマンは、特に数学的な能力に優れ、ゲーデル、チューリングとともに、数学の3大天才とも言われている。数学の分野での活躍は大きく、広い応用分野で大きな功績を残している。
① 量子力学の解釈への貢献
② ゲーデルの第二不完全性定理の独立の発見
③ ゲームの理論の創設
④ モンテカルロ法の考案
⑤ セルオートマトンの創出
⑥ 数理経済学(経済成長理論への貢献)
などが挙げられている。私はこれらの分野の専門家ではないので、各項目の説明は省略するが、彼は天才的な数学者であったことが伺えるとともに、その応用範囲の広さは、やはり天才の名に恥じないものと思われる。
3.マンハッタン計画への参加:
これを、功績と呼ぶのは、大きなためらいがあるが、彼の果たした役割は小さくないのでまとめてみる。
原子力爆弾については、米国が開発を進めた大きな理由はナチスドイツが先に完成してしまうことへの恐れから、専門家たちが米国政府に強く進言したからである。1941年にルーズベルト大統領の命令でマンハッタン計画と名付けられた大がかりなプロジュクトがスタートした。その中核となった研究所はオッペンハイマーの指揮のもと、ニューメキシコ州のロスアラモスに置かれた。そこに、数学の能力を見込まれたノイマンも参加する。
そこで、彼の行った仕事は2つあり、一つは実験が簡単には出来ない爆発を計算で推測すること、今でいうシミュレーションである。もう一つは、分離されたウランを臨界量に達するまでに集める爆縮のモデルを作ることであった。
原爆の開発以降もソ連に対抗した水爆の開発の推進にも関与した。
彼は、原子力兵器の開発に参画したばかりではなく、その政策面においても積極的に発言をした。科学者としては、ずいぶんと行政にも影響力を行使していたようである。
<付記>
最初に記した、ノイマンの功績は書きにくいと述べた理由について追記しておきたい。
核兵器の開発に関与した科学者は、自らの発明・開発した大規模殺戮兵器の及ぼす影響力に良心の痛みを感じた人々は少なくなかったようである。
ところが、ノイマンはそれとは無縁であり、京都への原爆投下を主張したり、ソ連への水爆先制攻撃を主張したことが伝えらており、そのような経緯から、映画「博士の異常な愛情」のモデルにもなったとも言われている。そのような話を聞くと、ノイマンの功績という表現を使うことにはかなりの抵抗感を持たざるを得ない。
ただし、彼の伝記を読むと、彼の冷静な判断力は正しかったことも分かってくる。
まず、日本への原爆投下であるが、彼は、米軍から最初に提示された皇居への投下には反対している。もし、皇居に投下されていたとしたら、日本は降伏の機会を失い、さらなる原爆の投下、およびソ連の大規模な侵攻を招き、どのような悲惨な状況が日本国土に展開されていたかは想像がつかない。
ソ連への対抗意識についても、彼は早い時期にその将来を予測しており、皆がナチスに気を取られていた時期に、「ナチズムとボルシェビズムのどちらが悪いか?」と問われて、「騙される人間の知的レベルが高いのでボルシェビズムの方が悪い」と答えている。その後の世界における共産革命の進行とそれに対する知識人やマスコミの好意的な支持を見ると、これは卓見であったと言わざるを得ない。
結果としては、彼の心配どおりソ連は米国の首脳が予想したより遥かに早く水爆の開発を進めたのは事実であり、彼の過激な発言はそれに対する危機感であったとも解釈できる。また、彼は大き過ぎる破壊力を持つ兵器を保持してしまうとお互いにそれを使えないという、後に言われるいわゆる「核の抑止力」についても早くから予測をしていた。
彼は彼なりに、正確に歴史の流れを予測していたという点は見逃せない。それを科学者としての彼の功績の欄で同時に紹介することには違和感もあるのだが、無視はできないし・・・。
(しかしこういうデリケートな政治問題が絡むと、書くのが急にしんどくなって気を使う。右下に示した本でも、3人の中でノイマンのページ数が一番少ないのを見ても、著者の苦労が偲ばれる。実際には一番話題は豊富のはずなのであるが。)
シャノンの功績
http://sakuraimac.exblog.jp/17779657/
チューリングの功績
http://sakuraimac.exblog.jp/20316522/
3番目のノイマンの功績についても、調べて書いてみたいと思っていたのだが、シャノンとチューリングに比べると、何かちょっと書きにくいところがある。その理由は末尾に記すとして、まずは彼の仕事についてまとめてみる。
1.ノイマン型コンピュータ:
ノイマン型という呼称は有名で、どの情報関連の教科書にもプログラミングの本にも載っている。従って彼が現在のコンピュータの発案者のように思う人もあるかもしれないが、実情はそう単純ではないのでその経緯をまとめてみたい。
コンピュータの原型を提示したのはチューリングであり、その論理演算を電子回路で実現できることを示したのはシャノンである。デジタルコンピュータを大規模に実現したことで有名なのが、1946年に陸軍の援助を得て米国ペンシルバニア大学で開発されたENIAC である。
ENIACは、プログラムが回路の結線(ハードウェア)によって作られていた。ENIAC と並行して開発されていたEDVACの開発に参画していたノイマンは、プログラムもメモリに書き込んでおき、そこから逐次読み出していく方式(いわゆるプログラム内蔵方式)を論文発表した。いわば、ハードウェアをソフトウェア化して自由度を大幅に増したといってもよい。
ノイマンは、秘密事項として伏されることが多かった当時のコンピュータに関して論文を書くことによって情報公開を積極的に行った。その結果、世界中の研究者がコンピュータの開発を進めやすくなり、コンピュータの発展に大きく貢献した。ノイマンの名が今のコンピュータの名前に冠せられるという栄誉を得たのも、彼がその基本構造の発明者であったというよりは、その伝道師であったという側面も強かったようだ。
2.数学の分野での功績:
ノイマンは、特に数学的な能力に優れ、ゲーデル、チューリングとともに、数学の3大天才とも言われている。数学の分野での活躍は大きく、広い応用分野で大きな功績を残している。
① 量子力学の解釈への貢献
② ゲーデルの第二不完全性定理の独立の発見
③ ゲームの理論の創設
④ モンテカルロ法の考案
⑤ セルオートマトンの創出
⑥ 数理経済学(経済成長理論への貢献)
などが挙げられている。私はこれらの分野の専門家ではないので、各項目の説明は省略するが、彼は天才的な数学者であったことが伺えるとともに、その応用範囲の広さは、やはり天才の名に恥じないものと思われる。
3.マンハッタン計画への参加:
これを、功績と呼ぶのは、大きなためらいがあるが、彼の果たした役割は小さくないのでまとめてみる。
原子力爆弾については、米国が開発を進めた大きな理由はナチスドイツが先に完成してしまうことへの恐れから、専門家たちが米国政府に強く進言したからである。1941年にルーズベルト大統領の命令でマンハッタン計画と名付けられた大がかりなプロジュクトがスタートした。その中核となった研究所はオッペンハイマーの指揮のもと、ニューメキシコ州のロスアラモスに置かれた。そこに、数学の能力を見込まれたノイマンも参加する。
そこで、彼の行った仕事は2つあり、一つは実験が簡単には出来ない爆発を計算で推測すること、今でいうシミュレーションである。もう一つは、分離されたウランを臨界量に達するまでに集める爆縮のモデルを作ることであった。
原爆の開発以降もソ連に対抗した水爆の開発の推進にも関与した。
彼は、原子力兵器の開発に参画したばかりではなく、その政策面においても積極的に発言をした。科学者としては、ずいぶんと行政にも影響力を行使していたようである。
<付記>
最初に記した、ノイマンの功績は書きにくいと述べた理由について追記しておきたい。
核兵器の開発に関与した科学者は、自らの発明・開発した大規模殺戮兵器の及ぼす影響力に良心の痛みを感じた人々は少なくなかったようである。
ところが、ノイマンはそれとは無縁であり、京都への原爆投下を主張したり、ソ連への水爆先制攻撃を主張したことが伝えらており、そのような経緯から、映画「博士の異常な愛情」のモデルにもなったとも言われている。そのような話を聞くと、ノイマンの功績という表現を使うことにはかなりの抵抗感を持たざるを得ない。
ただし、彼の伝記を読むと、彼の冷静な判断力は正しかったことも分かってくる。
まず、日本への原爆投下であるが、彼は、米軍から最初に提示された皇居への投下には反対している。もし、皇居に投下されていたとしたら、日本は降伏の機会を失い、さらなる原爆の投下、およびソ連の大規模な侵攻を招き、どのような悲惨な状況が日本国土に展開されていたかは想像がつかない。
ソ連への対抗意識についても、彼は早い時期にその将来を予測しており、皆がナチスに気を取られていた時期に、「ナチズムとボルシェビズムのどちらが悪いか?」と問われて、「騙される人間の知的レベルが高いのでボルシェビズムの方が悪い」と答えている。その後の世界における共産革命の進行とそれに対する知識人やマスコミの好意的な支持を見ると、これは卓見であったと言わざるを得ない。
結果としては、彼の心配どおりソ連は米国の首脳が予想したより遥かに早く水爆の開発を進めたのは事実であり、彼の過激な発言はそれに対する危機感であったとも解釈できる。また、彼は大き過ぎる破壊力を持つ兵器を保持してしまうとお互いにそれを使えないという、後に言われるいわゆる「核の抑止力」についても早くから予測をしていた。
彼は彼なりに、正確に歴史の流れを予測していたという点は見逃せない。それを科学者としての彼の功績の欄で同時に紹介することには違和感もあるのだが、無視はできないし・・・。
(しかしこういうデリケートな政治問題が絡むと、書くのが急にしんどくなって気を使う。右下に示した本でも、3人の中でノイマンのページ数が一番少ないのを見ても、著者の苦労が偲ばれる。実際には一番話題は豊富のはずなのであるが。)
by sakuraimac
| 2015-01-18 17:02
| 科学技術
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