2012年 08月 18日
ベトナム戦争-補足- |
この記事は、下記の「ベトナム戦争」の補足です。
<ベトナム戦争補足1> 1998-12-31
この夏の8月2日のNHK特集で、昨年(97年)ハノイで行われたベトナム戦争の両国指導者たちの対談が放送されました。すでに引退している米国のマクナマラ氏が、北ベトナム側の当事者に呼びかけて実現した歴史的な会合でした。
私は15年前に米国留学した時に「米国の失敗は、ベトナムという国を理解せず、自分たちの尺度だけですべてを判断したところに原因がある。」という言葉を聞いて、米国という国は事実を冷静に分析し自らの間違いを素直に反省のできるすごい国なのだなあと強く印象に残っていました。
あれから15年、ベトナム戦争の指導者と言われたマクナマラ氏が、自分の過ちを認めて、米国と北ベトナムの戦争指導者の間の対談を呼びかけたわけです。これは信じられないことであり、私は再度米国という国の不思議さに感嘆する思いで番組を見つめてしまいました。
当時、米国はベトナム戦争を自由主義世界を守るための聖戦と位置付け、ベトナム側はこれを民族独立戦争としていました。米国が非常にナーバスになっていた背景には、朝鮮戦争の体験(これは北側の意図を読み違え大苦戦に陥った)と世界大戦の直前まで行ったキューバ危機などの一連の共産主義圏からの脅威に対する強い危機意識があったと言われてます。一方、ベトナムはフランスとの戦いと通じて強い民族自立意識があったそうです。(ただし、民族解放=南の共産化という北側の意図がそこに相乗りしていたのも事実でした。)
米国内でも危機意識に基づく強硬論と、慎重論が対立していました。「当時我々は、ソ連・中共は世界中を共産化し自由主義社会をせん滅しようとしていると本気で信じていた。ベトナム戦争は民族独立戦争であり、ソ連・中共の野望の尖兵ではないという説明・説得を米国に対して何故行なわなかったのか?」というのがマクナマラ氏の問題提起です。ベトナム戦争は民族自立戦争であったという歴史評価は確立している。米国の誤解も皆の認める事実である。ただ、米国が誤解する状況証拠がすでに山のようにあった。ベトナムは何故その誤解を解く努力をしなかった(してくれなかった)のかというのがマクナマラ氏の言わんとする主題な訳です。
これに対して、北ベトナム側の当事の指導者たちは米国の論理に大きな怒りを表すと同時に、とまどいの表情を浮かべていました。世界最強の米国軍に攻撃され祖国防戦に必死であり、そんな米国内の事情など考えるゆとりがあるはずがない。また、そんな説明を敵国にすることが戦争を避ける要因になるなどとは、想像もつかないといった様子でありました。
圧巻だったのは、全面戦争に突入する北爆開始となった事件のやりとりでした。米国内でも国論が割れて大統領も判断に苦慮し、そのために調査団を南ベトナムに派遣します。ところが、調査団がついた翌日にブレイク米軍基地への大規模攻撃が行なわれます。現場を視察した調査団は、現地の惨状と負傷した米兵たちの姿にショックを受け、代表のバンディ大統領補佐官は即日「ベトナムの状況は最悪。この重大なる挑戦へ報復するため即刻北爆を開始すべし。」との勧告を出します。この報告によって、米国政府内の方針は一挙に固まり、ジョンソン大統領指示のもと、南ベトナムでの局地ゲリラ戦であったベトナム戦争は、300万人もの戦死者を出す泥沼の全面戦争に突入します。(歴史の教科書に書いてあるトンキン湾事件が決定的なトリガになった訳ではないという事実がここで明らかにされます。ちなみに、この時、ホワイトハウスの安全保障会議で北ベトナムの意思とは限らないと言って慎重論を唱えたのはマンスフィールド上院議員ただ一人であったそうです。)
当時の調査団の一員であったクーパー氏が「重要な決断をするために派遣された調査団に対して、何故真っ向から挑戦するような攻撃をハノイは指令したのか。これは我々にとっては最大のナゾであった。何故ハノイはそのような判断を行なったのだ。」と強い口調で問いただします。それに対する北ベトナムの回答は、驚くほどあっけないもので「あれは現地の司令官の判断による小規模な攻撃にすぎない。中央は何も知らなかった。ベトナムの軍隊は分散型で中央の指揮系統は先進国のように機能はしていない。そもそも我々は米国の将軍の動きは注意していたが、調査団など全く関心の外にあった。」
この回答に、今まで強気な発言を繰り返していたクーパー氏は非常に大きなショックを受けた様子で沈黙していまいます。さらにこの会議の会話を伝え聞いたバンディ氏は「通訳の間違いではないかと自分の耳を疑った。」とインタビューに答えます。 北ベトナムの焦土作戦を主張する軍部強行派の主張が一気に通ってしまう契機となった事件の裏の事情を初めて知ったホワイトハウスのスタッフ達の驚愕と無念の思いが画面から伝わってくるようでした。(なお、調査団の報告をことさら重大視する米国側に対して、もともと米国には北爆の意志があり、そのチャンスを待っていただけではないかとの疑問が北ベトナムからは強く提示されていました。)
この3日間に渡る会談では、4つの主題(戦争目的、南保証会議ベトナム中立化構想、北爆開始、停戦会談)について議論が行なわれますが、最後に、マクナマラ氏は「我々はもっと対話をし、相互を理解し、理解させる努力をお互いが行なうべきであった。それがあれば、避けられたかあるはもっと被害が少なくてすんだ戦争であったかもしれない。」と結びます。
この言葉を、戦争指導者の責任逃れの言葉だと批判するのは容易だし、この会談の出席者の発言がすべて本心なのかどうかはよく分りません。しかしながら、ここまで指導者の心情と、Decision Making のプロセスを、当事者たち自身が直接明らかにするという行為は、歴史上例のない画期的な出来事ではないかと思います。私は非常に大きな感銘を受けつつこの歴史証言番組を見ました。
何百万人の人命がかかっている決断が、いかにして行われたか、その背景にいかなる Philosophy と認識と思い込みと誤解があったのか、それをあますところなくリアルに再現してくれた後世に残すに足る本当に貴重な歴史映像だったと思います。
以上
<ベトナム戦争補足2> 1999-5-4
以下は、ベトナム戦争について私なりにちょっと調べてみた結果です。
政治学者の永井陽之助氏が1984年に「現代と戦略」(1)の中で、現代の30年戦争と呼ばれるベトナム戦争について次のように論じてます。
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・この戦争は米国では国民のコンセンサスに基づいて行われ、大統領と政策決定集団は極めて民主的によく機能していた。具体政策に移すプロセスにおいても機能麻痺、誤導、情報操作はなかった。にもかかわらず、結果的には目的と手段が混同され、戦略上の大きな誤謬をおかし続けた。
・マクナマラ国務長官は、徹底したシステム分析の手法を戦争に取り入れた。システム分析とは戦術分析の補助手段であるOR(オペレーションリサーチ)とは異なり、経済効果を計算する一種の戦略分析の補助手段である。相手の損耗率、補給、基地となる村落数それらがすべて計算され、そのデータをもとに戦況が判断される。その合理的思考はかつての日本軍には全く欠けていたものであるが、一方、士気、相手との相互作用など、計量できない要因はコンピュータにインプトできないという理由で除外されてしまった。すべてが数量化されて戦況が判断されるという偏差値思考が米軍の連帯感、団結心、廉恥心におよぼした精神的腐敗は極めて大きかった。自己の部隊の成否が報告の数値のみで決まるとなればどうなるか。すべては水増して報告され、極端な場合は数字を出すための戦闘さえ行われることになる。
・結果を見ると、戦争が拡大していったプロセスは日本が太平洋戦争で中国大陸に介入していった歴史とあまり変わらない。「失敗の本質」(2)で分析された日本軍の戦略と組織の欠陥と比較しても、米軍はかつての日本軍に通じてしまうような欠陥を露呈している。
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1972年に元ニューヨークタイムズ紙の記者ハルバースタムによって有名なベストセラー”ベスト&ブライテスト”(3)が書かれました。ケネディ政権の「最良にして最も聡明」と言われた有能なるホワイトハウスのスタッフ達(バンディ、マクナマラ、ロストウ、ラスク氏ら)が、いかに誤った政策を実行してアメリカを泥沼のベトナム戦争に導いていったかを克明に描き、アメリカの良心を呼び覚ましたニュージャーナリズムの傑作と評されました。米国の政策決定の中枢にいた人々が、外からの脅威と、過去の栄光と、国内の政治と軍部からの圧力のもとに、泥沼の戦争へと踏み込んでいった経緯には、日本が太平洋戦争へと突き進んでいった構図と、永井氏の指摘どおりに奇妙な重なって見える部分があります。
その23年後の1995年、マクナマラ氏はマクナマラ回顧録(4)を発表します。その時の米国内の最初の反応は激しい非難論争でした。その筆頭であったニューヨークタイムズ紙は「誤った戦争を起こし5万人の米国兵を殺した責任はいくら懺悔をしてもつぐなうことは出来ない。」との論評を載せました。こうした米国ジャーナリズムの情緒的な拒否反応の一方では、ベトナム側の指導者たちは、事実を淡々と述べるマクナマラ回顧録に好意的な興味を示し、96年のマクナマラ氏のハノイ訪問が実現します。そして、それがNHK特集で放送された97年のハノイでの歴史的会談につながっていくことになります。
ハルバースタム記者の政権の外からの観察はひとつの事実の側面であると思われます。ただ、マクナマラ回顧録を読んで感ずるのは、結果的に誤った政策を実行したとして非難された人々も良心を持った人間であり、その人間達が限られた情報と、内外からの強烈な圧力と、一国の運命と同盟国の安全を守るという重荷を背負った中で、いかに苦しい決断をせまられ続けてきたかということです。
その指導者達の決断への苦悩というものを正確に人々に伝えるということは、極めて難しいことのようです(註)。しかしながら、それゆえに、それらを正確な記録の形で残すことは、後世の人々への貴重な遺産になり得るのではないかという気がします。そのような行為には、動機がいかなるものであれ、愚行の歴史の繰り返しの中から、少しでも人類は進歩できるのではないかという希望をいだかせてくれる叡智というものを感ずる思いがします。
現在地上最強の国が、そのような知恵と能力のある人物を生むことのできる米国であるということは、21世紀の地球にとってはある意味では幸運なことなのではないかなという気がします。米国を礼賛しすぎているかもしれませんが(20世紀の歴史の流れにおける米国の失敗と責任を問う見解も非常に多いのは事実です)、ただ岡崎久彦氏(4)が主張する「日本はアングロサクソンと敵対しなければならなくなった時必ず破れる。」という経験則はやはりもうしばらくは生き続けるのではないかなということを、NHK特集を見て、そしてマクナラマ回顧録を読んでみて改めて私は感じました。
以上
(註)マクナマラ回顧録への米国内での反発の様子を見ればその難しさは容易に想像できます。日本においても、日露戦争での日本の国力の内情と指導者たちの苦難を国民にほとんど伝えることができなかったことが、以後の太平洋戦争への破滅への道のりを歩む遠因のひとつになったという指摘はずいんぶんと多くなされていると思います。
<参考文献>
(1)永井陽之助、”現代と戦略”、文芸春秋社 1986
(2)野中郁次郎ほか、”失敗の本質”、ダイヤモンド社 1984
(3)ハルバースタム、”ベスト&ブライテスト”、サイマル出版 1983
(4)R.S.マクナマラ、”マクナマラ回顧録ーベトナムの悲劇と教訓ー”、共同通信社
1997
(5)岡崎久彦、”戦略的思考とは何か”、中公新書 1983
(6)吉田元夫、”歴史としてのベトナム戦争”、大月書店 1991
(7)小倉貞男、”ベトナム戦争全史”、岩波書店 1992
by sakuraimac
| 2012-08-18 10:15
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